じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

まど・みちお絵画展と三善晃「交響四部作」

昨日のブログ記事を書いていたとき、川崎市市民ミュージアムで、現在「アイヌ−美を求める心」と同時に「まど・みちお え てん —ある詩人の100年の軌跡、童謡・抽象画・詩— 」という展覧会が開催されていることを知りました。詩人まど・みちおさんは絵もお描きになりますが、それが意外にも抽象画で、本当に素晴らしいのです。微妙な色の世界は印刷での再現は難しいだろうと思われるものばかりで、実物を見ることのできる機会は貴重です。開催期間は10月3日(日)まで。

昨年当財団で発売したCD『三善晃 交響四部作』の制作時に、三善さんの音楽が表出する繊細でいて圧倒的な、多方向に分離しながら輻輳する比類ない力を受け止められるカヴァー・デザインとはどういうものか、つねに頭の片隅で考え続けていたのですが、まど・みちおさんの抽象画を見たときに「これしかない」と思いました。まどさんと三善さんは以前、混声合唱組曲『詩の歌』(1997年)で一緒にお仕事をされています。

まど・みちおさんの詩は、「やぎさん ゆうびん」、「ぞうさん」(1951年)、「ふしぎな ポケット」(1954年)をはじめ、節(ふし)がついて多くの人に歌われているものが多く、2007年には白寿を記念して、『ぞうさんまど・みちお童謡集―』という1969年にまどさんが第6回野間児童文芸賞を受賞した際に制作されたLPを元に新作童謡2作を加えた復刻CDがキングレコードから発売されています。

この新訂版『まど・みちお全詩集』(理論社)を読んでいると、人間という基準や枠を超えた目と心で世界すべてと触れ合い、驚きと感嘆が泉のようにあふれる瑞々しい精神の営みに烈しく揺さぶられます。もし、アリが人間と同じ大きさだったらどうだろう、風が遠く離れた土地の出来事を話しかけてくれたらどんな言葉になるのか、といった手前勝手な思いつきや空想が、まどさんの詩を読んでいると、べつに不思議でもなんでもないごくあたりまえのことのように思えてきます。人間は、むしろそうしたあたりまえの感覚を自分自身に閉ざすことで、世の中を都合よく切り取って日々気ぜわしく生きることに馴れ過ぎているのではないか、とも。これは自戒をこめて。

700頁を超える全詩集の「あとがきにかえて」という文章で、しかし、まど・みちおさんは、ご自身が書いた二篇の「戦争協力詩」についてだけを丹念に記されています。本全詩集の制作過程で1990年に改めて知るまで、ご自身がその二篇の詩を書いたことを忘れていたこと。それを当時読んだであろう子供たちへの申し訳ない思い。なぜ、どういう経緯でこれらの詩を自分が書いたのか。記憶を掘り起こしながら、自分が伝えられることを克明に書き、それを全詩集の最後に置くことの意味。そこに、戦争の不条理がもたらした死者と生者の存在を見つめ続ける作曲家三善晃さんの創作の営みと交差するものを感じます。

追記(2010.11.7):朝日新聞まど・みちおさんの書いた戦争詩が新たに発見されたという記事が掲載されました。


「三善晃 交響四部作――夏の散乱/谺つり星/霧の果実/焉歌・波摘み」
(表紙画:まど・みちお「無題」)

2009年度(第47回)レコード・アカデミー賞受賞(現代曲部門)
<審査員評> 抜粋


三善晃という作曲家がどれだけ真摯な音楽家であるかは改めて述べるまでもないが、この《交響四部作》は、その三善の持つ「心の傷」と「時代への問いかけ」の集大成とも呼ぶべきもの。こうして四部作がまとめて収録されることによって、その音楽の厳しい美しさは、なお一層はっきりと姿を現す。秋山和慶による演奏も秀逸。(國土潤一


(前略)これまであまり顧みられなかった邦人現代作品、三善の独自のサウンドいっぱいの四部作、三善独自の交響世界を推すことにした。大阪フィルの熱演も応援したい。(畑中良輔


三善晃さんの「交響四部作」は、特筆すべき業績である。不条理に死んでいった、いや、死なされた無名の人々による思いにあふれ、作曲者の慟哭が切々と伝わってくる。同一の作品を異なる演奏で、二通りに聴かせるアイディアも好ましい。(皆川達夫


三善晃は第二次大戦の際に体験した生と死を凝視し続けてきた。それは三善の原体験であり、それが「レクイエム」三部作と、今回の「交響四部作」となって結実している。「交響四部作」は、各々の曲が独立していると同時に、全体を4楽章の交響曲として聴くこともできる。三善の後生への語り部としての渾身の作品である。(佐野光司


三善晃の「交響四部作」は十全にといえるほどに演奏のエネルギーをよく伝えて見事であり、録音という切り口から見ても澄明感の高いオーケストラ音場の展開といい、魅力横溢である。また同じ曲の、異なる奏者による異なる演奏空間での演奏を1アルバムに収めるという、聴き手の興味をそそる企画面にも注目した。(神崎一雄

(「レコード芸術」誌2010年1月号より)


(堀内)