じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。 https://jtcf.jp

お水取りと大野松雄さん

奈良へ向かって東京を出発したのが3月11日金曜日の午前。大地震が起こったことも知らぬまま、午後3時過ぎには時々みぞれまじりの雪が降るなか、東大寺正倉院の前に立ち、1200年の来し方、その間に生きた夥しい数の人々、そのひとつひとつの命の連鎖に思いを巡らせていました。

戒壇堂を参拝して四天王像と三十数年ぶりに対面してから、夜の「修二会(しゅにえ)」の聴聞(ちょうもん)の前に一旦夕食を摂ろうと近鉄奈良駅近くに戻ったとき、大災害を伝える街頭テレビの前で立ち止まり、しばらく動くことができませんでした。

その夜の東大寺二月堂周辺はひっそりと闇(くら)く静まり、堂内の局(つぼね)では聴聞する人も数少なく、底冷えが迫る夜半過ぎまで、わたしは最初に座した正面の局を動かず、帳越しに揺れる十一人の連行衆の影を見つめ、読経に耳を傾けていました。

 
 
翌12日は修二会のなかでも最も多くの儀式が行なわれる日で、ひときわ大きな籠松明が上がることで例年多くの見物客で賑わいます。しかし今年は災害の影響で東京から来る人が少なかったこともあって全般的に人出は少なく、欄干から突き出されて炎と火の粉を舞い踊らせる籠松明への歓声も幾分控え目なものでした。聴聞に訪れていた人々の胸に秘められた地震被災者に向けた祈りの心が、この夜の二月堂を、深夜まで静かに覆っていたように思われました。

この12日しか行われない深夜の「お水取り」の儀式。わたしは閼伽井屋(あかいや)のすぐ脇に佇み、若狭井(わかさい)から汲み上げる水音に耳をすましていました。そのとき、聞こえない音が聞こえたような気がしました。この二月堂の井戸につながっているとされる、福井県の神宮寺、遠敷(おにゅう)川、鵜の瀬で毎年3月2日に行われる「お水送り」の儀式を、今度は観に行こうと思っています。


翌日13日(日)、奈良を離れて東京へ戻る途中、京都で大野松雄さんとお逢いしました。最近の宇宙論超ひも理論への関心や、重力と音響の話題など、大野さんとの対話は、いつも刺戟に満ちています。そして常識だと思われていることがじつは簡単に覆るものだということを、これまでの大野さんの仕事での実例を挙げつつ、色々と教えて下さいます。

「80歳にしてナントカ、っていうような言い方は、なんか、おかしいですよね」と笑顔の奥で、しかし目だけは鋭い。「●●歳にしてなお第一線で活躍中」・・・私も以前に使ったことがあるフレーズです。はげしく反省。

本人としては、目の前にある道をただ進んでいるだけ。周りが予断をもちこんで鋳型や定規を当てるからおかしなことになるわけで、大体脈絡とか因果関係を説明・捏造したがるのは、「分かりたがり」の弊害というか、当人にとっては有難迷惑な話。

大野松雄さんのこれまでの活動にしても、実際のところは偶然の出会いに従いながら「なるようになった」ということでしかなく、でも「これをやろう」となったとき、そのなりゆきを受け容れ、どこまでこだわって、面白がって、既成観念に「ゆらぎ」を与えつつ、ヴィジョンを実行できるかどうか、そのことが結局は大きな違いになってくる──。

たしかに振り返ってしか見えてこない脈絡もあるとは思いますが、当時の場面でも、今の視点でも、なお捕らえられない「ゆらぎ」の気配といったもの、その「なんだか分からないようなもの」の仕組みやモデル(型)といったものが、かろうじて作品という姿のなかに秘密の成分として残されているのかもしれない、と思ったりします。

一昨日の午後、奈良東大寺の講堂跡の礎石を見ているときに思い出したことを、大野さんに話しました。

大野松雄さんが音響デザインを担当した松川八洲雄さんのドキュメンタリー映画『飛鳥を造る』(1976)のなかに登場する、当時の宮大工の技術が紹介されるシーンについて。

たとえば、残された当時の本堂の図面を前に、完成後の屋根の寸法との違いを指摘する建築学者。しかしそれは、瓦の重量で屋根が沈む分をあらかじめ計算して設計した図面であることが判明します。

あるいはまた、建造物の礎石の上に丸太の柱を立てるときの作業の仕方について。現在ならば台座も柱の底面も平らに削ることを考えるところを、飛鳥時代の工法では、数ミリ単位で高さがずれる細い木片が一列に組まれた測定器具で礎石の凹凸をなぞって正確に測り、それに則して丸太側の底面を削ることで、木の柱と石の表面はそれぞれの形状に応じてぴったりとひとつに噛み合います。均一な素材の組み合わせではなく、その都度の事態に応じて適切な対応を探すという発想、そこから生まれる技術。

「そう、近代がなんでも進歩と結びつくということはないですね。昔の時代のほうが自然に対する考え方や技術もそうだし、第一、生活ということでいえば、精神的にずっと豊かだったともいえるわけだから。」

テープデッキや発振器など近代が生みだした技術で鉄腕アトムの音を作った大野松雄さんですが、お話を伺っていると、たえず根源的なものから触発されていることがよく分かります。もっともその根源とは、見えるようで見えない、聞こえるようで聞こえない、想像力に引き出されて浮かぶ幻影のようなものであって、しかしだからこそ、つねに終わりなき旅の途上に立ち続けることができるのかもしれないと・・・。

何か、最後は、全然「お水取り」の話ではなくなってしまいました。今回のブログのタイトルは、「お水取りと大野松雄さん」ということで。



お水取り 東大寺修二会(実況録音)[語り:小沢昭一]



鉄腕アトム・音の世界/大野松雄

(堀内)