じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

チャンム・ダンス・カンパニー

先週末は京都へ行ってきました。10日の土曜日、午後2時から「越境する伝統 ─ 韓国舞踊の場所から≪金梅子(キム・メジャ)の仕事≫」京都造形芸術大学内・京都芸術劇場春秋座)の第一日、出演はキム・メジャ、チャンム・ダンス・カンパニー(創舞会[チャンムフェ])。演目は、キム・メジャの創作を通史的に俯瞰しつつ、韓国の伝統的舞踊をベースにした作品を特集した内容。「サルプリ」、「チュンボムII」、「舞、その神明」(韓国伝統音楽演奏=ソ・フソク、キム・スボ、ヨム・クィゴン、チョン・ミナ)、「光」(音楽演奏=土取利行)、以上四作品。各作品の内容は、以下のチラシ画像で(なんとか読めます?)。

金梅子(キム・メジャ)さんについては、長年交流があり、今回のイベントの企画者でもある舞踊家の山田せつ子さんのインタヴューをぜひご覧ください。

日本舞踊とは違う、しなやかさを感じさせる韓国の踊り。手の指先、足の爪先から気流が迸り、波動となって空間を舞う。チャンム・ダンス・カンパニーのメンバーは、皆、伝統舞踊を習得しており、その上でモダン・ダンスの技法を取り入れた、斬新な舞踊を生み出しています。身体を越えて空間を揺らし、身体と天のはざまに祈りをこめて凛乎たるエネルギーが解き放たれていく。

終演後のアフタートークで、韓国の舞踊評論家チェ・ヒワンさん(大変知的で精神性の深い言葉が印象に残りました)が興味深いことを仰いました。韓国の舞踊では、世の中にある抑圧や平和を脅かすもの、悪鬼(あっき)による不安や困難などから解放されたいと願うこと(これらを総じて「恨(はん)」という概念で捉え、「恨(はん)を解く」と言うそうです)がひとつの基本になっていて、一方に、神が支配し神と一体化する恍惚の境地である「神明(しんみょう)」への到達があるとのこと。

キム・メジャさんが仰るには、海外で公演をすると、「切れそうで切れない細い針金のようだ」と評されることが多く、それが韓国舞踊の本質ではないかと思っている、とのことです。

今年8月、岡山県美星町での土取利行さんとキム・メジャさんの「光」の公演を観に行ったときに購入した、写真が多く掲載されているハングルの本『韓国の舞』(日本語訳の冊子つきが有り難い!)。そこから気になる部分を引用(少し訳文を変えています)。

韓国の舞の精神は東洋の宗教と哲学のパターンにもとづく。また人間存在の起源に通じる、無我の境地からわき出る大自然の調和した響きで生成された奥深い精神的背景をもつ。上古時代の巫覡思想と民間信仰、そこに儒教と仏教の思想が加味されて、形式と内容に多くの変化がもたらされ、また大陸の舞楽を積極的に摂取するなかで、韓国みずからのものとして再創造と成長を重ねた。そのようにして、繊細でありつつも風流的性格を失うことなく発展を遂げてきた。生きる経験と生活内部で感じる感興、神明の集約された表現が舞踊芸術とすれば、韓国の舞には、労働と芸術の根元的一致という世界の普遍的な特性が認められる。仕事やクッ、ノリ、演劇を一つの総体的なものに集め連結したひとつの「輪」。すなわち、分散した人間活動を一つにまとめる役割を果たす。踊りの振り一つ一つに力が凝縮され、構成においても力を凝縮させる形式で、決して力を外に分散させない。

韓国の舞は「情的だ」「恨(ハン)を表現する」〔恨=ハン(心に抱き続けてきた)望みを果たす、又は恨み〕と言われるが、それは単に一面を指摘したのにすぎない。韓国舞踊表現は、正確性と自由奔放、そしてエネルギッシュという特徴をもつ。これは、日常生活での自由な生活感情から湧き出る穏やかな力強さだといえる。穏やかであり同時にダイナミックである性質は、たとえば、踊りのクライマックスで「リズム(チャンダン)を飲み込む」箇所、すなわち、ひきしぼった力を緩めたり、解放されたものを引き締める緊張というかたちで現れる場合もある。緊張と弛緩の適切な配合、引き締め、ほどき、また引き寄せては引き離す、そういった部分に韓国舞踊の妙味がある。

また、同書の33ページにはキム・メジャさんが写真と文章で紹介されています。

最近の舞踊界では(海外の舞踊の導入ではなく)われわれ自らの舞踊を探し出そうとする動きが活発に起こり始め、それぞれの創作者は、韓国の伝統にある確固たる認識と概念を基盤として現代化の方向に発展させている。それは舞の形式だけでなく、内面の奥深い精神までも正しく引き継ぎ、伝統の歴史的な意味と方法論を摸索することにより、未来指向的な創造を追究するものとなっている。(中略)右上の写真は、『チュムボン』という作品で、韓国伝統のチュムサウィに対する構造的な接近を通じ、今日の創作方法を提示したものだ。金梅子(キム・メジャ)、1987年ホアム・アートホール。


キム・メジャさんにとっても、生まれた時すでに伝統的な舞踊は身近な存在ではなかったそうで、これらは自ら探し求めて習得しなければならなかったとのこと。とはいえ、そうした困難を越えて韓国の伝統舞踊と伝統的な身体および精神性をまなび、それを表現の基盤とすることによって、その上に現代性や斬新な試みへの挑戦をさまざまな仕方で重ね合わせたキム・メジャさんの創作には、西洋の身体とは違う強靱な思想と美学が見事に凝縮されていると感じました。

日本もたとえばもう一度、各地に残る民俗芸能の身体所作や、あるいは郡司正勝さんの名著『おどりの美学』(松岡正剛「千夜千冊」)と向き合い、日本の舞踊表現の独自の核を取り出して、それを拠点に、新たな創作を模索してみてもよいのでは。

チャンム・ダンス・カンパニーの創設は1976年。伝統を土台に現代の韓国舞踊を創り出すことを目指して、金梅子さんと梨花女子大学舞踊科の5人の弟子で結成され、韓国国内での公演以外に世界各国からも高い評価を得、これまでに20カ国近くの国で海外公演を行っているとのことです。創舞(チャンム)芸術院のホームページはこちら(ハングル)。

終演後のパーティで批評家の渡邊守章さんは、韓国舞踊における尾骶骨の重要性と、身体の内部に小宇宙をもっていることを指摘されていました。(これは、渡邊さんの「乾杯の挨拶」のひとこま) ちなみに今回のイベントのタイトルは渡邊さんの近著のタイトルから採られたもの。『渡邊守章評論集 越境する伝統』(Amazon.co.jp)。

それはそうと全然話は飛びますが、土取利行さんから、2006年8月18日に白州で田中泯さん、近藤等則さんと土取さんの三人で行なわれたライヴ・パフォーマンスがインカス・レーベルからDVDで発売されたと教えてもらいました。土取さんの鞄の中からすでに完成した現物が・・・。おおっ!

この山梨県白州でのライヴはなんとしても行きたかったのですが、じつは丁度このとき何度目かの眼の手術で私は大学病院に入院中の身。三週間近く、就寝時も特殊器具でうつ伏せのまま、顔を上げることを禁じられた苦行の日々。あれから5年が経ったとは・・・。色々な意味で感無量。

(堀内)