じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

武満徹・雅楽「秋庭歌一具」

 

1992年に開始されて今年20周年を迎えた「サイトウ・キネン・フェスティバル松本2012」(8月4日から9月7日)。芸術総監督を務める小澤征爾さんが、盟友だった武満徹さんの音楽を特集する「武満徹メモリアルコンサート」を毎年プログラムに組み入れ、もう17回目になりました。今年は、雅楽作品「秋庭歌一具(しゅうていが いちぐ)」が上演されます。

武満徹メモリアルコンサート XVII」
8月30日(木) 19:00開演
キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館
武満徹:アントゥル=タン
武満徹:そして、それが風であることを知った
武満徹秋庭歌一具
(演奏)
雅楽:伶楽舎
ヴァイオリン:井上静香、双紙正哉
ヴィオラ:川本嘉子、柳瀬省太
チェロ:イズー・シュア
フルート:ジャック・ズーン
オーボエ:フィリップ・トーンドゥル
ハープ:吉野直子
http://www.saito-kinen.com/j/program/takemitsu/


「アントゥル=タン」オーボエ弦楽四重奏のための曲。タイトルはトリスタン・ツァラの詩からとられています。武満さんによる曲目解説。

「曲は、夢の構造(かたち)に類似している。同じ深層に根ざしながら、外形的には異なる挿話(エピソード)が、夜を、薄明へ向かって進んで行く。その細部は、明晰でありながら、その非現実的な連続によって、多義性を深めている」(武満徹


今朝、早起きして、スコアを見ながらこの曲を聴いてみたのですが、弦楽四重奏の醸しだす朧げで曖昧な縁取りの中を、オーボエの旋法的な線がくっきりと横切っていくところに、武満さんの言う「夢」の構造を改めて感じ取りました。しかし、この音楽は、たんに親しみ深いというよりは、なにか差し迫った危機や残酷な美しさを秘めているようにも思われます。

「そして、それが風であることを知った」というタイトルは、エミリ・ディキンソンの詩から。ドビュッシーの最晩年の作品と同じ楽器編成、フルート、ヴィオラ、ハープのための作品。こちらも、大変、imaginativeな音楽です。

雅楽秋庭歌一具。これは、最初、1973年に「秋庭歌」という雅楽曲が国立劇場からの委嘱で作曲され、その6年後の1979年に、この「秋庭歌」を第4曲とする、より大きな曲として完成された作品です。演奏時間は約50分で、通常の雅楽とは異なる特殊な編成を要しますが、何度となく再演を重ねている名作です。


 

伶楽舎の音楽監督の芝祐靖さんは、宮内庁の楽師、また東京楽所の一員として、「秋庭歌」ならびに「秋庭歌一具」の初演に参加し、この作品の虜になります。そして定年を待たずに宮内庁雅楽部を退職し、「秋庭歌一具」の理想的な演奏を実現するために「伶楽舎」を設立します。若い演奏家を集め、実際に「秋庭歌一具」を演奏するようになったのはずっと後のことですが、今では、伶楽舎が演奏する「秋庭歌一具」は、毎回新たな響きの色と気配を深めながら、作品が含み持つさらなる深い次元を発見し提示する稀有な音楽体験となっています。

芝祐靖さんが「秋庭歌一具」にかける思いは、昨年、国立劇場で「秋庭歌一具」が演奏されたときのインタヴュー記事で読むことができます。→ <「秋庭歌一具」雅楽奏者 芝祐靖氏にインタビュー>


ピアニストのピーター・ゼルキンさんのCD『武満徹ピアノ作品集』の国内盤には、渡辺和さんによるインタヴュー記事が掲載されていて、そこで、ピーター・ゼルキンは畏友である武満さんの人柄と芸術について語っています。そのなかで、「秋庭歌一具」について触れている印象的な部分があります。(じつは私は本作の国内盤CDブックレットの編集を担当していたこともあり、特に思い出深いアルバムです)

ピーター・ゼルキン
私が武満さんで興味深く思うのは、彼が西洋音楽との関わりを深めながら、同時に面白いパラドックス、曖昧さがあったことです。響きがとても西洋的な音楽、たとえば≪ウォーター・ウェイズ≫。この作品は、響きは西洋的でも、彼が言うには、構造は雅楽なんです。西洋音楽に由来するものでは全くありません。また、逆のパラドックスを含んだ作品もあります。とても日本的な響きで邦楽器さえ用いているのに……そう、≪秋庭歌一具≫です。この作品では、ほとんどの部分がとても西洋的な構造からできているのです。ご存じでしょう。


さて、以前に当ブログで「雅楽 新しき古き響き/木戸敏郎・武満徹」というエントリーを投稿した際、1980年に放送されたNHK-FM番組『秋庭歌 雅楽 新しき古き響き』(東京楽所による雅楽演奏会のライブ)の中から、武満さんと国立劇場の木戸敏郎さんが、伝統的な雅楽について語った部分を掲載いたしましたが、今回は、武満さんと木戸さんの「秋庭歌一具」についての対談部分をご紹介することにいたします。対談といっても、ほとんど武満さんが自作について語っています。(この1980年5月8日の東京楽所の公演では、第一部は伝統的な舞楽(「舞楽 春庭歌」)が演奏され、そして第二部には武満徹作曲「雅楽 秋庭歌一具」が演奏されました。)


【木戸】
今(「舞楽 春庭歌」を)演奏したグループは東京楽所というグループですけど、これは一昨年の秋に結成されたグループなんです。それまでは、雅楽紫絃会とか、あるいは宮内庁式部職楽部とか、小野雅楽会とか、そういうような人たちで演奏会をやっていたんですが、この東京楽所は、その人たちの中から、非常に有能な人たちを選りすぐって50人ほどで編成されたグループなんです。ですからどのグループというわけでもなくて、すべてがまたがっているわけなんです。これは、どうしてこのようなグループを作ることになったかというと、雅楽というのは、さっきも話が出ましたけど、どうしても、式楽という観念がつきまとう、あるいは有職(ゆうそく)と言いますか、そういう観念がつきまとってくると。

【武満】
「ゆうそく」というのは?

【木戸】
有職故実(ゆうそくこじつ)の有職ですね。古いしきたりを色々調べたりする、あの有職です。

【武満】
あぁ、はい。

【木戸】
有職として雅楽を捉えるんでなくて、芸術音楽として雅楽を捉えようという気持ちが、宮内庁の人たちのなかにも自ずとございまして。ところが宮内庁の人たちは25人しかいないんです。あそこはお役所ですから定員がありまして。で、25人で出来るものというと、そうたくさんはないんです。で、宮内庁の人たちは、すべて覚えていますけれども、連続してはできない、25人ではできないんです。大曲などやろうとすると、どうしても50人必要ですし。そういうような人数的な問題と、芸術的な意味で、有職(ゆうそく)としてでなくて芸術音楽としてやろうという意欲から、こういうグループが結成されたわけなんです。あの、7年前でしたか、武満さんに一番最初に、このメインになっている「秋庭歌」を書いていただいたときは、あれは宮内庁で初演いたしましたね。

【武満】
あれは、先程も申しましたように、一管通りっていう、いわゆるまあ、最少の編成ですね。例外的に高麗笛が一本入っていますけれど、17名。今度の場合は、それに、左右の木魂(こだま)群、後ろの入れて、確か……

【木戸】
29人。

【武満】
あ、そうだったかもしれない。(笑) 最初はまあ、ぼくがまったく雅楽に触れるのが初めてでしたから、一番、その、まあ基本のかたちで書いてみたいっていう気持ちがありましたね。

【木戸】
そうでしたね。まあ私たちが、武満さんの「秋庭歌」を聴きまして、私なんかも感じていること、雅楽のここが魅力だなと感じてるようなことを、武満さんは、拡大してわれわれに見せてくれたような気がするんですけれども。あの狙いっていいますか。

【武満】
ぼくの場合はですね、まあ、あの、非常に…、興味、雅楽に対しての興味っていうのを、まあ一言でいうと、ぼくはやっぱり音色(ねいろ)、音色(おんしょく)なんですね。響きなんです。

【木戸】
そうでしょうね。

【武満】
それはあの、もちろん、楽器それぞれの持っている固有の音色(おんしょく)に惹かれたっていうこともありますけれど、それはまあ、非常に、先程から言っているように、特殊な楽器が集まって、そこに醸される音色っていうのが、ほかの、他の西洋楽器やなんかを使ってはどうしても得られないような、おもしろい響きだ、と思うんですね。それで、きわめて新鮮だと思ったわけです。それがなぜ、その、特別に音色といっても、違うのは、配置の問題なんです。で、ぼくは、音色っていうものはね、たぶんその、人間が音色(おんしょく)っていうものを知覚するのは、時間的な推移のなかで、音色(ねいろ)っていうのは知覚されるわけですね。と同時に、雅楽の場合はね、空間的なものがあると思いますね。空間的に音色が作られていくと。つまりぼくは、意識的に、先程、御遊(ぎょゆう)とかのお話しがありましたけど、そういう場をですね、今度の「秋庭歌」では、ひとつの庭というかたちで設定して、色々な楽器を意識的にずらしたりすることで、そこに出てくる色々な、なんて言うんでしょう、響きっていうかな、音色(おんしょく)、それがまあ、ぼくの一番追究したかった問題なんですよ。

【木戸】
でしょうねえ。

【武満】
で、変則なのは、いわゆる打楽器、鞨鼓やなんかを、三人も入れたりですね、それはあの、日本の庭園の鹿威し(ししおどし)とかですね、そういうものからヒントを得てるところもありますけれど、その、空間的に、しかも時間的に、その場が、なんか変化していくなかで、その、音場(おんじょう)っていうもの全体が、ひとつの音色(おんしょく)として変わっていくということを試みたといってもいいと思うんです。最初の、7年前に書いた「秋庭歌」では、まだそういうことはあんまりやってないわけなんですよね。その後に、5つの、なんて言うんでしょう、楽章っていうのはおかしいですけど、まあそういうような5つの部分を付け加えまして、今度の、「秋庭歌一具」、まあ、木戸さんのご命名ですけれども(笑)、「秋庭歌一具」という曲になったわけですけどね。

【木戸】
わたしは非常にいい曲ができたと思って喜んでいるんですよ。

【武満】
いやあ。まだその、それでもなおねぇ、やっぱり、ぼくの手に余るような魅力的な素材なんですよね。まだまだ色々な、芸術的な意味で、今後、雅楽を今日のものとして、作曲家が、なんと言うんでしょうね、自分たちの題材としてですね、書くことができるなという、可能性を非常に秘めていると思いますけれどね。

【木戸】
ああ、そうでしょうね。それでわたしはまだまだ、可能性があると思うんですよ。

【武満】
ぼくもそう思いますね。この曲の場合は、楽器の配置に最も特色があると思うんです。それは、メインになる、そのオーケストラっていうのは、先程も言いましたように、一管通りの編成、つまり、龍笛高麗笛篳篥、笙、鉦皷、鞨鼓、それから太鼓に、箏、琵琶と。それが、舞台のちょうど中央に位置するわけですね。その後ろに、<木魂(こだま)>として、龍笛が二本、篳篥二本、笙四本というのがいるわけです。それと、左右遥か離れたところに、<木魂の2>と<木魂の3>というグループが、それぞれ篳篥が二本、龍笛一本、笙二本、それから鞨鼓がひとりと、その人たちが、かなり離れて座るわけですね。そこで、ぼくは、この曲の場合は、意識的に、一切、いわゆる西洋的な意味でのコンダクターは使わないと。ということは、それぞれが、ぼくはその、いわゆる、当然起こってくる時差とかですね、そういうものは、作曲の上で、それを考慮に入れて作曲していますから。作曲家が、それからまた演奏者も思いがけないような、その、時差の効果、それによって自分たちがまた触発されて、ひとつの大きなアンサンブルを、まあ西洋的な意味でじゃないですけれど、そういうアンサンブルを作っていくというところが、特色だと思うんですね。で、音楽は全体で、3曲目になる「塩梅(えんばい)」っていう、これは、ぼくはメリスマ(Melisma)っていうふうに曲名を付けているんですけど、これは、木戸さんが「塩梅」と訳して下さったわけですね。(笑) じつはこの曲は、英語のタイトルが先に出来て付いていて、雅楽のタイトル、雅楽的な、いわゆるなんて言うんでしょう、ことば、タイトルは、木戸さんが翻訳して下さったわけで。(笑)

【木戸】
その英語のタイトルを紹介したほうが分かりいいんじゃないでしょうかね。

【武満】
一曲目がですね「ストロフ(Strophe)」っていう、これはまあ、ギリシャ劇やなんかの要するに入場ですね、入ってくる音楽。これは、木戸さんは「参音聲(まいりおんじょう)」とされていますが、参音聲というのはどういう?

【木戸】
これは出てくるときの道楽(みちがく)なんですね。

【武満】
それじゃあぼくが考えているのと同じなわけですね。それから第2曲が「エコー(Echo)」の1というんですけれど、これは「吹渡(ふきわたし)」っていうふうに訳して頂きまして。それから、3曲目が「塩梅(えんばい)」、これはメリスマっていう、なんて言うんでしょう、ギリシャ語で言えば、歌、ソリとかユリとかの多い歌ですね。これが「塩梅」。それから4曲目が「秋庭歌」というんで、これは、この言葉通り、秋の庭の歌です。それで5曲目が、「エコー」の2。これは「吹渡の二段」という。最後がアンティストロフ(Antistrophe)で、退場の音楽ですけれど、これは「退出音聲(まかでおんじょう)」という退出の音楽です。というふうになっています。で、中心になる前後ふたつの楽章が、ひとつの、なんて言うんでしょう、対称的に、真ん中にある「塩梅」と「秋庭歌」という、非常に性質の違う、わりあいと大きな曲が真ん中にあって、その前後にイントロダクションとコーダみたいなものがついて、全部で6つになっているわけですね。ぼくとしてはね、もっと、こういうものにね、今後は声やなんかをたくさん加えたいんですよね。

【木戸】
うん、なるほどね。

【武満】
まだそこまでは行ってないんですけれど。今少し考えているのは、そういう声、特に聲明(しょうみょう)ですね、聲明に、付楽(つけがく)、合わせ楽として雅楽をつけてって、今度は、聲明っていうものの持っている、またあの独特な音色(ねいろ)、響きががありますね、その、西洋のコーラスなんかにはない響きがありますでしょ。あれと、雅楽の響きっていうものを、いつか、ぶつけてみたいっていう。

【木戸】
天台聲明なんかと、いいでしょうね。

【武満】
そうなんですね。

(堀内)