じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

「日本の70年代 1968-1982」展

現在、埼玉県立近代美術館で、「日本の70年代 1968-1982」と題した興味深い展覧会が開催されています。美術作品だけでなく、雑誌の表紙やレイアウト、ポスターなども展示されているのが特徴。反万博運動の機関紙や先鋭的な漫画雑誌、そして『季刊フィルム』といった伝説的な芸術誌から、『an・an』や『ぴあ』といったカルチャー誌まで、見事に時代の勢いを表現しています。タイトル文字が写植どころかデザイナーによるレタリングで描かれているケースも多く、その手触りの感覚が独特な熱を伝えています。この展覧会の案内チラシのデザインも、その頃の時代感覚を思い起こさせるものです。チラシには、以下の案内文が掲載されています。

学生運動の激化や大阪万博の熱狂など、1970年前後の日本は、熱い時代を迎えていました。同じ頃、様々な分野の表現者が大胆に交流しながら、芸術を根源から問い直そうとする動きが起こります。表現することを疑い、原点を探るような試みが多く現れました。同時に、万博に反対する反博や、権威と見なされた組織への反抗なども起こります。
時代の気分が大きく変化した70年代後半になると、原点から再出発するように絵画が復権します。軽やかで日常的なイラストレーションも多く見られるようになります。若者文化を取り上げる雑誌が次々と創刊され、セゾン文化と呼ばれる西武百貨店を中心としたデザインやコマーシャルの華やかさは、この時代を彩りました。
本展は、当館が開館した1982年までの15年間の時代の精神を、美術、デザイン、建築、写真、演劇、音楽、漫画などによって回顧しようとするものです。


なるほど、展覧会タイトル「1968-1982」の終わりの「1982年」は埼玉県立近代美術館の開館年なのですね。では「1968年」は何の年なのか。展覧会カタログにその答えが書いてありました。本展を担当された学芸員の前山裕司さんは、次のように記しています。

時代の枠組みは1968年から1982年の15年間という設定にしている。1968年はパリの5月革命など、世界的な学生運動と政治的抵抗の年としていわば特別視され、語られる。それは書店に並ぶ「1968」という書名の数を見るだけでわかるだろう。15年の起点を1968年にしたのは、政治状況よりも、むしろ「もの派」の始まりとされる関根伸夫の《位相―大地》であり、映画雑誌『季刊フィルム』や写真雑誌『プロヴォーク』の創刊であり、「あしたのジョー」の『少年マガジン』での連載開始である。それらがみな出発点であることに注意してほしい。政治的な興奮状態が1968年をピークとするならば、文化は68年頃に新たな段階へと動き出す。つまり70年代は1968年に始まるとさえいえる。


私が美術館に着いたのはもう夕方近くの遅い時間だったので、館内の観客の数はそれほど多くなく、世代構成を観察してみました。すると、20歳代前半と60歳前後の世代とに完全に二分されていて、その中間に属するのはわたしを含む数名だけ。若い世代の観客は展示を食い入るように見つめていて、その真剣な佇まいは、まるで感性に焼き鏝(ごて)を当てているような按配。一方、老世代は展示物への懐かしさを感じつつ、それらが湛えている今もなお当時と変わらぬ「挑発」の力を前にしてどことなく楽しげな雰囲気。なかでも、ある老夫婦が足立正夫監督の映画「略称・連続射殺魔」を上映しているモニターの前を動かず、無言でじっと見つめていたのが印象的でした。(その後ろで私も一緒に同じ画面を見つめていました)


タージ・マハル旅行団の展示コーナーもありました。大野松雄さんが制作した幻のドキュメント・フィルム「旅について」がモニターで上映されていました。この映画は2008年にDVD化された際、時系列がばらばらだったのを正して全体を短縮しカラー補正を行なった改訂ヴァージョン、いわゆるディレクターズ・カット版で発売されていますが、本展では修正前のオリジナルのモノクロ版(正確に言うと、褪色してほとんどモノクロのように見える)が使用されていました。(それとも上記DVDをモニターの色調整でモノクロにして上映していたのか?)


大阪万博のせんい館を特集した展示も面白かったです。わたし自身、万博で見たパビリオンのなかでもせんい館は特に印象に残っています。昨年はCD「せんい館の音楽」が復刻されて快哉を叫んだものです()。今回の展示で、幼い頃に体験した強烈な印象や感覚が生き生きと呼び覚まされ、刺激的な再会現場となりました。


関根伸夫さんの「位相―大地」制作過程の映像も、大変興味深いものでした。「位相―大地」は一度見たら忘れられない痕跡を残す作品です。そして、その衝撃の意味は、直感的に理解されると同時に、長い時間をかけて深く浸透していく性質を持っているように思います。(Googleで「位相―大地」の画像検索→


会場の入り口では、燃えるピアノを弾く山下洋輔さんを撮影した粟津潔さんによる映像が上映されていました。おそらくこれは、粟津潔さん、林光さん、山住正己さん、佐藤信さんが編集に当たった、小学生のための音楽教材『おんがくぐーん!おんがくのほん』(ほるぷ出版、1974)に附属する11枚のLPレコードの内の1枚「ぼく 海の底で燃えているものを見たよ」の録音時の映像ではないかと思います。山下さんが樹々に囲まれた屋外で炎に包まれるピアノを(当然フリー・インプロヴィゼーションで)激しく弾きまくる姿は、どこか詩的で神話的な雰囲気を湛えていて、また同時に文明批評的な観点も感じさせ、強く引き込まれました。音と映像を意図的にずらして編集しているところにも、粟津さんの鋭い批評意識を感じました。


この音楽教材『おんがくぐーん!おんがくのほん』は、音楽教育の専門家からは「戦後民間音楽教育運動の残した最大の遺産である」と高く評価されているようですが、今ではほとんど知られていません。作曲家の林光さんが中心になってまとめられたじつに先鋭的な音楽教育の教材で、現在では子供よりもむしろ大人のほうがずっと興味を抱く内容ではないかと思います。古書店にもほとんど出ない幻の存在。

この中の5枚目のLPは「ぼくの銀河鉄道 〈声とことば〉」と題されて、詩人の関根弘さんの自問自答のような詩の朗読が夜行列車の音と共に続き、岩手県北上市の二子鬼剣舞の音が重なり、そして最後に、まだデビュー前だった吉田美奈子さんのピアノ弾き語りによる宮澤賢治作詩・作曲の「星めぐりの歌」で終るという秀逸な構成。(なんと、驚きべきことにYouTubeにこの吉田美奈子さんの「星めぐりの歌」がありました! この静止画像が『おんがくぐーん!』の中の5枚目のLP「ぼくの銀河鉄道」のジャケットです。フェードアウトまで、これがLPに入っているフルサイズの音源です。)


この歌を聴いていると、伴奏のピアノのコードやリズム、歌唱法などから、「70年代だなあ」という感慨が湧いてきます。70年代的なものは、しかし今の時代の地層の奥にひっそりと息づいているようにも思います。現代の高速厖大な情報処理や消費経済の渦のなかにあっても、最後に向き合うものは、価値とは何か、美しさとか豊かさとかを感じる基準や心とは何か、という問いであることには変わりなく、だから、利便性におもねったりせず、借り物で器用にごまかすこともせず、生活や美意識の原点を凝視した70年代のアートやカルチャー(「はっぴいえんど」をはじめとする音楽もそうです)が投げかける問いは、表面的には古く見えても、本質的には決して古びることのない核心に触れているのではないでしょうか。



この「日本の70年代 1968-1982」展の会場で、学生とおぼしきカップルが、タージ・マハル旅行団の記録映画を見ながら話している声が、聴くともなしに耳に入ってきました。 「思うんだけど・・・、今の時代って色々と道具とかは便利になってきているでしょ。でも、文化ということでは、70年代の人たちのほうが全然先を行っているような気がする。ていうか、その後、ここから先に全然進んでいないんじゃないかなあ。・・・今の時代は、暮らしは豊かで便利になったのに、文化的には、精神的には、昔よりも、貧しくなっているみたいな感じが・・・。なぜなんだろうね。この刺激的な映像を見ていると・・・」。 (タージ・マハル旅行団が奏でる音楽の映像が続く)

「日本の70年代 1968-1982」展は、11月11日(日)まで開催されています。

(堀内)