じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

近松門左衛門の芸術論「虚実皮膜」


タワーレコードのフリーペーパー(無料配布冊子)「Intoxicate(イントキシケイト)」の最新号で、ミュージシャンのAyuoさんが、当財団発行のBlu-ray「映画《文楽「冥途の飛脚》」の記事を書いて下さいました。→ <文楽を新たな目で見る> ちょうど今、本作品の監督マーティ・グロスさんが来日されていて、さっそく冊子数冊をお渡ししたところ大変お喜びでした。Ayuoさんが高橋悠治さんの息子さんだと伝えると、とても驚いていらっしゃいました。Ayuoさんは独特の感性をもったアーティストで、数年前に当財団から復刻した沢井一恵さんのジャンルを超えた名盤『目と目』はAyuoさんのプロデュース[発売当時は高橋鮎生の表記]。Ayuoさんワールドが全開です。→ 『目と目』/沢井一恵(VZCG-735)

上記タワーレコードの記事内でAyuoさんも触れていますが、日本盤Blu-ray「冥途の飛脚」のブックレットは大変に読みごたえがあります。ということで目次をご紹介いたします。(なお、本国内盤ジャケットとブックレットのデザイン・レイアウトを担当していただいたm.b.の北村卓也さんは、灰野敬二さんの近作のCDデザインをはじめ大変コアな音楽に関連したお仕事を多く手がけられているデザイナーで、昨年は東大寺の修二会(お水取り)にもご一緒しました。同社の素晴らしいジャケット・デザインの数々はこちらで→

【日本語ブックレット・目次】(全52頁)
配役・人形  制作スタッフ(2p.)
エピグラフ(4p.)
文楽 冥途の飛脚/マーティ・グロス(6p.)
文楽について、《冥途の飛脚》について、映画化作品について/マーティ・グロス[青柳俊明、エーディルマン敏子 訳](8p.)
マーティ・グロスの映画“THE LOVERS' EXILE”/武満徹(10p.)
文楽の解説/戸部銀作(12p.)
文楽覚え書/スーザン・ソンタグ富山太佳夫 訳](14p.)
文楽の伝統/バーバラ・C・アダチ[茂手木潔子 監修/早稲田みな子 訳](18p.)
[鼎談]文楽という芸術/ノースロップ・フライ、ロバート・フルフォード、マーティ・グロス[茂手木潔子 監修/早稲田みな子 訳](29p.)
映画〈文楽「冥途の飛脚」〉 あらすじ(45p.)
出演者紹介(48p.)
近松門左衛門(50p.)
この映画の制作について(51p.)

なかでも、ノースロップ・フライ、ロバート・フルフォード、マーティ・グロス三者の鼎談は、文楽を新たな視点から「発見」するヒントがたくさん詰まった大変内容の濃いテキストです。私も張り切って沢山の編集部作成の注をつけたりしていますので、是非本作を手にとってお読みいただければと思います。

この鼎談でマーティさんとフライ教授が語っている、芸術における現実と非現実の問題は、文楽という芸術において特に示唆的です。これは、近松門左衛門が唱えた芸術論「実と虚(うそ)との皮膜(ひにく)」(*)を踏まえてのやりとりです。

(*)「実と虚との皮膜」とは、芸は実と虚の境目の微妙なところに存在していること、あるいは事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実があるということを説いたものです。「虚実皮膜(きょじつひまく)」とも言います。“虚実”はうそとまこと。虚構と事実。“皮膜”は皮膚と粘膜、または肉。つまりは区別できないほどの微妙な違いの意。「膜」の字は「にく」とも読みます。こちらに近松門左衛門の芸術論を解説した記事がありました。松永英明さんのブログ内→ <虚構が真実味を生む。近松門左衛門の創作論「虚実皮膜」>


 

グロス 私がこの映画の制作を始めたとき、ノートにボルヘスからの引用を書き写していました。「観客に非現実性を忘れさせないこと、そのことは芸術にとって不可欠な条件である」というものです。同意していただけるでしょうか?

フライ: はい。でも、私なら少し違う言い方をします。私達が劇場に持ち込む現実と幻想の区別は、劇場の中で反転し幻想が現実となります。たとえば、《テンペスト》のような劇では、T・S・エリオットが述べているように、人間はあまりに多くの現実には耐えられないという非常に強い感覚があります。一方、シェイクスピアのロマンス劇が言おうとしているのは、人間は幻想というかたちでしか現実に耐えられないのだ、ということです。

グロス 私たちは、どういうわけか、我を忘れるような考えを前にするとそれに従ってしまうのですが、私たちは我を忘れてはいけません。

フライ: そうです。私たちは、それが幻想だということを常に思い起こさねばならない幻想に直面しているのです。しかし、それはまた、私たちの日々の現実に非常に近いものでもあります。

グロス つまり、何かを現実として見るためには、それがフィクションとして私たちの前に提示されなくてはなりません。

フライ: フィクションとして、そしてまた様式化されたもの、さらには儀式としての提示、ですね。

グロス おそらく、文楽がきわめて重要である理由はそこにあります。上演者たちは、自ら登場人物を演じることによってだけでなく、フィクションを演ずることによって、フィクションを提示するのです。もっとも私の場合、あなたが体験するように、それを非常に儀式化されたものとして見るかどうかは分かりませんが。


マーティ・グロスさんが、この映画「文楽 冥途の飛脚」を制作した当時を振り返って、1997年に書いたエッセイがあります。マーティさんから当ブログへの掲載許可をもらったので、ご紹介させていただきます。

文中に「新口村」を近松が書いたオリジナル版で収録する選択肢が断念されたエピソードが出てきますが、これは、台本は残っていても曲が残っておらず、当時復曲ができるのは五世鶴澤燕三さんだけでしたが、仕事の予定のやりくりがつかず、あとは、多くの技芸員の方々がこのためだけに練習の時間を割くのが物理的に厳しく、文楽座の意見としても、復曲による収録は無理との結論によるものだったそうです。

そして、実際の文楽「冥途の飛脚」は通しで約3時間かかるのですが、この映画が90分(ジャン=ルイ・バローによる、文楽を紹介するコメント部分を除くと87分)という時間で構成された理由は、本映画作品の全米でのテレビ放映の契約条項にありました。当時マーティさんは「少なくとも2時間は必要だ」と粘り強く交渉したそうですが、叶わなかったそうです。何事にも裏には色々な事情があるものですね・・・。

 

映画『文楽 冥途の飛脚』製作のおもいで

マーティ・グロス(映画監督)
訳:青柳俊明(国際交流基金トロント日本文化センター


文楽は、何世代にも亙って外国人芸術家やインテリを、感嘆させてやまない話題だった。広大な範囲の文化人達が、文楽についての多彩な思考を残してきた。多くの書き手が、しぐさ、台本、音楽など多様で別個な要素が総合されて、単一の劇場体験を明確にし高めていく、文楽の統合的な構造に注目して、その伝説的な評価を創り上げてきた。それは、確かに重要な問題ではあったが、文楽を実際に体験するとは、どういうことなのだろう? 文楽が実際どのようにドラマを構築するものなのか、海外の観客に分かりやすく提示されたことはなかった。もちろん私は、文楽の無比の様式と技法に忠実に映画を作るところから出発したが、物語性を重視することに力点を置いた。それは、今にしてみれば、かなりの英断だった。

私は、幸運だった。1970年に私が初来日した時、文楽公演を観ることは、最重要課題のひとつだった。その時の印象は今でも鮮明なもので、優雅さと魅力に圧倒されながら、目前のものに深い挫折感を感じたのを、はっきりと覚えている。

その後、映画化を考えて1977年に大阪を訪れるまで、文楽を観る機会は無かった。映画化のためのリサーチは、あの朝日座の客席のど真ん中で、始まった。どうすれば、映画になるのだろう? 既存の教育的なドキュメンタリーは、確かに用を足していたが、悪い意味で教育的で、説明し過ぎるか説明不足に陥るかのどちらかに終わっていた。文楽のあらゆる要素が説明されるのだが、劇的なマジックは、そこここに垣間見られるだけだった。文楽のみならずあらゆる演劇に共通するはずの、物語性への目的意識が、細部についての悪意の無い提示と説明の過程に、埋没してしまっていた。

近松自身が記している「芸といふものは実と虚(うそ)との皮膜(ひにく)の間にあるもの也」という提言が、私が如何に映画企画を進めるかの道しるべとなった。文楽が醸し出すマジックを、その秘密を暴露し過ぎずに、いかに提示するかが、成否にかかわると思われた。

あらゆる価値ある様式がそうであるように、文楽は、膨大なディテイルが、調和と不調和にかかわらず、渾然一体となった複合体として、形成されている。観客の前に現れる時には、個々の要素は、抜き差しならない絆で強固に連結されていたり、葛藤を生まざるを得ない必然性を持っていると、納得させてしまう。大夫や人形遣いや三味線の芸それぞれを観客がどんなに深く観据えたとしても、それが別個なものであったなら、演者が突き進んでいる文楽の崇高な芸術の神髄はわからない。

企画の出発に当たって、集められるだけの英訳を読み込んだ。日本の歴史や習慣に馴染みのない海外の観客にも受け入れ易い優れた物語を探した。手に入る限りの資料に目を通していくうち、ドナルド・キーンの翻訳で「冥途の飛脚」に行き当たった。この名作に、私は即、心を奪われた。多様性に富み、情緒深く、暗いにもかかわらずユーモアがある。「冥途の飛脚」の普遍性は、見るからに明らかだった。禁じられた恋、ためらい、家族の葛藤、そして金銭問題を、この物語は余すところ無く語っている。これが、自分に懸け離れたものだなどと、誰が言えようか?

私は「冥途の飛脚」の全三幕を通すことにした。梅川と忠兵衛の物語を、冒頭から大詰めまで完結させたかったのだ。「封印切」で映画を終わらせては、幕切れが切羽詰まったままで放り出されてしまうと思われた。孫右衛門と恋人達との感動的な最期の和解、「新口村」の穏やかな終末が、映画全体のバランスを考えた時、本質的であると私は信じた。

近松に敬意を表して、「新口村」では、近松の死後48年して他者によって改作された現行の版を採らず、近松の原作を全面的に復活することすらも私は考えていた。しかし文楽協会や現場のアーティスト達との話し合いの末、これは断念せざるをえない運びとなった。二百年も上演されていない芝居を復活させるのは、並大抵の事では不可能で、無理が多い。

1979年、あの名にし負う、京都太秦大映撮影所で、文楽座の座員ほぼ全員とあいまみえることとなった。八月のこととて、それは暑かった。私は、胸ふくらむ興奮を覚えると同時に、脅えきってもいた。文楽の名匠達と連日三週間にも及んで仕事させていただいた歓びを、どう表したものか?

何という贅沢をさせてもらったことだろう。名人達が、揃って我々のカメラのために、忍耐強く演じてくれた。撮影初日、我々は、全三幕を、ビデオテープに録画した。現在では劇映画の撮影では当たり前になってしまったこの方法が、当時、革命的なものに見えた。ビデオは、私にとって本質的な道具となった。毎晩私は、何度も繰り返してテープを観て、どの場面を撮るか、どこを省略するかを決定した。「冥途の飛脚」全曲は、上演に三時間半を要するが、アメリカでのテレビ放映を考慮して、映画版は90分を越えることは許されない。

第一段階の通し撮影に際し、大夫と三味線には、一日の撮影に一組ずつ付きあっていただいた。「淡路町」を織大夫・燕三のコンビが語る第一日目に続いて、二日目は「封印切」を越路大夫・清治が、そして三日目に文字大夫・錦糸による「新口村」で、通しが完了した。文楽の本格的な舞台が、迷路のような大映撮影所の真ん中に実物大で作られた。ここであの大映の名作群が撮影されたのかと、映画人のひとりとして感動を覚えたものだ。

その後数週間、この冒頭の三日間にサウンド録音されたテープを少しずつ回しては戻し、人形遣い達に演じていただいた。

太秦撮影所での、疲労困憊の毎日の思い出! 文楽の男達は、舞台への完璧主義から、カメラのために何度も何度も同じことを繰り返してくれた。それに撮影スタッフは、みな、瞠目した。それも、何の継ぎ目も感じさせない滑らかさで。これは、後日トロントの編集室で再認識されることになったが、私は全てが完璧に合わせられるのに、感激させられた。

今、あれから20年近くの歳月が流れ、多くの人々が去って行った。勘十郎が亡くなられたのは、撮影からさほど経ってのことではなかった。1989年に国立劇場での越路大夫の引退興行を観る機会を得たが、複雑なものが私の胸に去来した。錦糸も他界されたが、織大夫、文字大夫が、文楽の歴史に輝く名跡を襲名されたのは心強い。20年後の今も、玉男は、全くお変わりないように私には見受けられる。彼の静けさと力は、ともに観客を魅了している。そして、簑助は、今や人間国宝である。かえりみれば、私は、文楽の一つの栄光の時代に映画版「冥途の飛脚」を制作できたことを、ありがたく思うばかりである。

映画『文楽 冥途の飛脚』は、純粋に映画的でないと批判されることもあったが、それは、一種理のあることである。文楽を映画化するのには、多種多様の方法が考えられる。しかし、文楽文楽たらしめる神業的な魔法(マジック)は、観客の視点からこそ起こるものなのである、と私は考える。文楽のアクションは、ほとんど舞台の左右の動きに限定されており、舞台の奥行きをあまり使わないので、我々のカメラは、観客の視点に固定された。何時間も何時間も舞台裏から、私は人形遣いを観察したが、細部へのこだわりの迷路に立ち入ると、物語はいつも雲散霧消してしまうように感じられた。余りに近づき過ぎると、人形は小さく機械的にしか見えない。再度、人形浄瑠璃史上最大の天才の言葉が心に響く。「実と虚(うそ)との皮膜(ひにく)」というのは、どこにあるのだろう? その境目というのは、むしろ捕まえようと躍起になるべきものではないのかもしれない。

カナダにもどり、編集を完了するまでに八ヵ月かかった。映像を浄瑠璃から切り取り、サウンドをできるだけ滑らかに合わせ、大夫の語りのペースに可能な限り正確に字幕を合致させていく。トロントの地下室のスタジオに、ひとりきりで深夜こもる事が多く、自分だけの文楽を手にしたような気分だった。それは、とりもなおさず、感謝の幸福感であり、その深さは、これからも変わることがない。

1997年12月 トロントにて


この映画の制作当時のエピソードは沢山あって、なかにはびっくりするような話も。いや、びっくりする話ばかりです! マーティさんはこの映画の制作資金4千万円を、日本人の友人の助けも得つつ、独力で方々を回って集めたのですが、資金提供を呼びかけたなかのひとりに当時舞台芸術振興財団の理事長だった大屋政子さんもいたそうです。大屋さんには軽井沢の万平ホテルにも招待されたそうですが、結局肝心の資金提供の話は、大の文楽ファンだったという大屋さんのお父様のお墓を映画の冒頭に映すこと、という珍妙な条件がついたたため、マーティさんは泣く泣く断念。その後、大分経ってから、ニューヨークのレストランで大屋さんと偶然に再会したときの話を、マーティさんは楽しそうに語って下さいました。


さて、ちょうど今月3月22日、NHKエンタープライズから「冥途の飛脚」の各種映像記録をコンパイルしたDVDがリリースされます(→ )。マーティ・グロス監督の映画「冥途の飛脚」(VZBG-1001)と併せて、ぜひ一緒に。

そして、文楽を「保存された文化財」として受け取るのではなく、観る人ごとに違う新たな視点や問いかけによる触発を経て、もっとアクティブな対象として捉えることができれば、きっと文楽と自分との間にフィードバックする関係が生まれ、伝統芸能の世界がもっと身近なものとなるかもしれません。わたしたちが「日本語」を喋っている以上、伝統音楽の世界はすぐ隣にあって、いつでも手を伸ばせば親しみをもって接することができるものだと思います。


<当ブログ過去記事から>
「文楽「冥途の飛脚」 Blu-ray発売」(2012年11月21日)
「バーナード・リーチの国内盤DVD」/「マーティ・グロス監督<文楽「冥途の飛脚> 国内盤ブルーレイ11月頃の発売決定」(2012年07月18日)

(堀内)