じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

柴田南雄先生の講義と皆川先生の検証と八橋検校

最近のお天気は、寒くなったり暑くなったり、風が強かったりと安定しないですね。皆様ゴールデンウィークは、どのようにお過ごしになられましたか?私は、熊本に行って参りました。熊本キャッスルホテルで開催されたパーティに参加させていただきましたら、出ました!くまもんケーキ。かわいすぎですぅ〜!!

以上、余談でした。
2〜3日前でしたが、家のテレビのチャンネルを回していたら、ちょっと古い映像で、不思議な節回しの祝詞のようなものを唱える3人の男性が映っていました。「これはオラショよね?」と思って、思わずチャンネルを止めたのですが、ナビゲーターの男性が、「何歳頃、どなたから教わったのでしょうか。」などの質問をされていました。
その内容にすっかり引き込まれてしまい、最後まで見てしまったのですが、その番組は「もう一度みたい名講義〜放送大学アーカイブス〜」で、柴田南雄先生による「音楽史と音楽論(85) キリシタン音楽」の講義でした。
オラショ」は、長崎生月島で400年間、隠れキリシタンによって命がけで歌いつがれてれてきたカトリック聖歌です。詳細は、弊財団より発売している「洋楽渡来考」(◆)(こちらの商品の監修・解説は、皆川達夫先生です。)ご参照いただければと思うのですが、それを知って聞くと、ところどころ「グロリオザ」等の言葉を唱えているのが聞こえてきます。

放送大学の講義は面白くて、途中からテレビだと忘れて、「先生!質問ですが…」と言いたくなってしまったのですが、講義の最後には、お箏の調弦法のひとつである「平調子」の音階をサラサラッと黒板に書かれ、八橋検校に関して触れていました。講義の締めくくりは、八橋検校作曲「六段」について、洋楽のなんらかの影響を受けていると考えられるでしょう、というものでした。残念ながら講義は、そこで終わってしまったのですが…。
柴田南雄先生は、日本各地の民俗芸能、祭祀芸能を素材とした作品を多く作曲されました。弊財団より「柴田南雄/合唱のためのシアター・ピース (◆)」がリリースされています。

2010年には岩波現代文庫より、柴田南雄先生の主著のひとつ『日本の音を聴く』が文庫オリジナル版として刊行されました。東西の音楽に対して該博な知識を有する柴田先生が「日本の音」の考察を集めたものです。
さて、箏曲の「六段」ですが、声楽を伴わない純粋な器楽曲であることが古い時代の日本音楽には類を見ないものであり、また形式が整っており各段とも52拍から成っている点など、17世紀半ば当時の日本人の考えに及ばない楽想で作曲されていることから、いろいろな推察がされ、弊財団からも「箏曲『六段』とグレゴリオ聖歌『クレド』(◆)」(こちらのアルバムも監修・解説・指揮:皆川達夫先生です。)というCDがリリースされています。このアルバムは、「六段」誕生の背景に見え隠れするグレゴリオ聖歌の存在、すなわち双方の区切りの一致、要所の終始や音の合致、等々を検証するアルバムです。

その八橋検校ですが、1614年、磐城国福島県)生まれ。最初は三味線を弾いていたが、江戸に出ると筑紫箏の名人、法水に師事した。23歳の時、京都にのぼり勾当の位をもらって山住勾当と名乗ることになった。その技量は当時柳川流三味線の家元、柳川検校にも匹敵するほどであった。1639年、26歳で検校に昇格して上永検校と名乗り、その後、八橋検校と改め、1685年に72歳で京都で亡くなったということですが…。八橋検校の生涯で、生まれが小倉であったという説や、九州に下って僧玄恕に筑紫箏を学んだという説などは、はっきりしない…ということです。(参照:服部龍太郎著『日本音楽史』1974年刊)
江戸幕府による最初の公式なキリスト教禁止の法令は1612年、八橋検校が生まれる少し前です。また八橋が検校に昇格する2年前の1637年には、島原の乱が起きています。八橋検校が活躍した頃、ちょうどキリシタンの弾圧が起きていたということになるのでしょうか。八橋検校は、「六段」で「クレド」を伝えようとしたのでしょうか…。
そんな八橋検校の没後330年記念演奏会が、6月9日(日)京都府民ホールアルティで開催されます!

(制作担当:うなぎ)