じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

メグちゃんから!


“メグちゃん”こと、大中恩(おおなか・めぐみ)先生から、こんな素敵なご案内をいただきました。(大中先生を一方的に気軽に“メグちゃん”などと呼んでしまう大変な失礼を、どうかお許しいただきたいと思います。それほどに大ファンなのです!)
いただいたのはご覧のとおり、7月27日王子ホールで行われる歌曲のコンサート<大中恩 歌曲の会>のご案内です。「俺が作る」作曲家・大中恩と、「私が歌う」ソプラノ・北原聖子さんの会。ご存知のようにご夫婦お二人と、ピアノはもちろん宮下俊也さんによるコンサート。しかも、チラシにもあるように、「89才になりますが、初演の作品がない演奏会は作曲家としてイヤなんです」という、こだわりのプログラム。今回の初演作品は、第三部の「青木一恵の詩による歌曲の世界『あなたが歌うとき』」全12曲です。

 さて、大中先生はコンサートの時に必ずご自身で解説や紹介をしてくださいます。(今回も、きっとそういう進行になるのではないかと思いますが・・・)そんな時に、いつも照れくさそうに「僕はね、掌(てのひら)の上に乗るような歌を作りたいと思っているの」とおっしゃいます。“立派”だとか、“すごーい”とか、そういう形容詞で自分のことを語られるのは好きではないと・・・。川端康成の短編小説集を「掌(たなごころ)の小説」といいますが、どこか通じるものを感じます。日常の中の人の心の動き、ささやかな思いをしっかりと受け止めて、誰にでも思い当たるようなシーン、切り取られた心象風景を丁寧にかつ優しいまなざしで表現するという点で・・・。
はにかみ屋で、照れ屋で、ロマンティストで、正義感が強くて、人を笑わせたり楽しませたりするのがとっても大好きな大中先生は、これまでにたくさんの歌曲を生み出しました。弊財団では「大中恩 愛の歌曲集」として6枚の歌曲集CDが出ています。今日はその中からいくつか、誠に個人的で誠に勝手な思いからご紹介したいと思います。

 例えば、VZCC-1014「愛の歌曲集1/恋のミステリー」の中からはこの一曲。「幌馬車」
確かこの曲は、昭和19年メグちゃんが出征を目前に作曲した曲と伺ったように思います。戦時下の過酷な状況の中、しかもこれから出征するという自分自身、生きて帰れるかどうかもわからない・・・、いや、むしろだからこそ、こんな素敵な歌を作曲したのかもしれない作家の思いに、深く感動してしまいます。
「見おくれば 君が幌馬車 はろばろと 小さくなりゆく・・・・・」。
おおらかでのびやかな、ロマンティックなメロディ。西條八十の詩は最後にこう結ぶ。
「ああそは 恋のまぼろし 月の上を 黝(くろ)くゆく鳥」
この曲を聴きながら、いつも、幌馬車を見送ったあの時と、あれはまぼろしだったと思う時との間に、いったいどれほどの時間が流れたのだろう・・・、いったいどのくらいの激しい感情の起伏が流れ去っていったのだろう・・・と私は思わずにはいられないのです。たった1曲のこの小さな歌の中に・・・・・。


VZCC-1015「愛の歌曲集2/ひとりぼっちがたまらなかったら」の中からは・・・・・・。「じゃあね」。バリトンの水野賢司さんの歌いっぷりは、メグちゃんの軽妙な曲調の雰囲気によく似合います。この歌は大好きです。でも、寺山修司の詩を歌った作品群には気持ちが惹かれます。“♪さよならだけが人生ならば・・・”ではじまる「幸福が遠すぎたら」、“♪かなしくなったときは海を見にゆく・・・”とうたう「かなしくなったときは」。メロディと詩がもはや一体になっていて、つい一緒に歌いたくなってしまう(全然歌えないにもかかわらず)・・・。それでもやっぱり1曲と言われたら、同じく寺山作品の中の「僕が死んでも」を挙げておきましょうか。
メグちゃんは舞台でお話と指揮はするけれど、ご自身が一人で歌うことはほとんど無かったと記憶しています。“おしゃべり九官鳥”の声を出す以外では・・・。ところが、一度だけ、歌ってくださったことがありました。この歌。ステージには聖子さんがそばに立っていたように思います。
「ぼくが死んでも 歌など歌わず
いつものようにドアを半分あけといてくれ  
そこから青い海が見えるように・・・・」
じーんと胸が熱くなった、あの時のことがとても印象的でした。
今日のところはここまで。このあとは、また機会があれば・・・と思います。

(やちゃ坊)