じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

たま川

少し前のことになりますが、6月1日、紀尾井ホールの主催公演「江戸 邦楽の風景 (八)たま川」に行ってきました(紀尾井小ホール、午後2時開演)。

江戸と隅田川ならしっくりきますが、多摩川はずいぶん郊外では?という気がしたのですが、出かけてみてそのナゾが解けました。第二部で演奏された清元「六玉川」と長唄多摩川」には、まさにこの川が歌われています。
そして江戸の人にとって「多摩川」は、たんに近郊の武蔵の国の川ではなく、特別なものであったことが第一部の対談で解説されました。対談は、このシリーズでおなじみの邦楽研究家の竹内道敬先生と、府中市郷土の森博物館館長の小野一之さん。
当日配布された解説書から、小野さんの文章を一部ご紹介します。

多摩川の歴史は万葉の時代に遡る。
多摩川に さらす手づくり さらさらに 何ぞこの娘(こ)の ここだ愛しき」。万葉集に東歌として掲載されたこの歌は、多摩川で行われていた布晒しの作業になぞらえて、少女への限りない思いを詠った名歌である。奈良時代、朝廷に貢納する調布(税としての麻布)の生産に勤しむ人たちによって、武蔵国府の周辺で詠われた労働歌であったかも知れない。
時代は変わり、古代の国府は廃れたが、この歌はいくつかのバリエーションを作りながら歌い継がれてきた。多摩川はこの一首によって、歌枕(和歌の名所)となったのである。

江戸の人にとって「多摩川」は、親しい近在の川というより、歌に詠まれた由緒ある地名だったのです。
錦絵や名所図絵などの題材にもなっていて、当日はいくつかスライドで紹介がありました。歌枕の多摩川を示すキーワードは「布晒し」「鮎漁」「遠くにのぞむ富士山」で、このいずれかが描かれています。上に掲載したチラシの浮世絵には、鮎漁と富士山が見えます。長唄の歌詞にも、たしかに布晒しと鮎漁が出てきます。
ところで、この武蔵の国の多摩川のほかにも、全国に「たま川」は数多くあり、やはり歌枕となっている「たま川」がほかに5か所あります。
清元の「六玉川(むたまがわ)」は、古歌に詠まれた六つの玉川を旅するという趣向で、井手の玉川(京都)、高野の玉川(和歌山)、野路の玉川(岐阜)、三島(津の国)の玉川(大阪)、野田(千鳥)の玉川(宮城)、そして調布の玉川(東京)が織り込まれています。「六玉川」は山田流箏曲にもありますね。
「たま川」をとおして、文学(和歌)、美術(浮世絵)、音楽(清元、長唄箏曲)をクロスする昔の人たちの豊かな楽しみを垣間見ることができた公演でした。
なお、府中市郷土の森博物館(→府中市郷土の森博物館|公益財団法人府中文化振興財団)は、多摩川沿いの広大な公園を含む施設で、この時期は「郷土の森あじさいまつり」が開催されています。1万株のあじさいが咲き誇っているそうで、梅雨の合間、現在の多摩川をながめながら散策するのもよそうです。

(Y)