じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

「蘆花恒春園」に行ってきました!

先日、東京世田谷にある「蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)」に行ってきました。
蘆花恒春園は、「不如帰」(ホトトギス)、「自然と人生」、「思出の記」のほか、「黒潮」、「寄生木」(やどりぎ)、「みみずのたはこと」、「新春」、「冨士」など多くの名作で知られる、明治・大正期の文豪徳冨健次郎(蘆花)が愛子夫人と、明治40年(1907)40歳のときから20年間、晴耕雨読の生活をしながら作家活動をした場所です。
雑木林に囲まれた自然の中で田園生活を楽しみ、数々の名著を残した徳冨蘆花。昭和61年に、この邸地を当時の姿に復元・保存し、永久に子孫に伝えていくために、「東京都指定史跡」として指定され、現在に至っています。
まずは正面入り口から。

入口入ってすぐに、「蘆花記念館」があり、そこには、蘆花の代表作「不如帰」(ほととぎす)の主人公「浪子」を描いた黒田清輝作「浪子像」、順礼の旅の帰途訪ねたロシアの文豪「トルストイからの手紙」など貴重な品々があります。他にも蘆花文学の初版本、蘆花の描いた絵、使用した遺品の数々が展示されています。(写真撮影不可でした。残念。。。)
この記念館を出て奥に進むと、「母屋」、「梅花書屋」、「秋水書院」があります。
◆ 母屋
◆ 梅花書屋
この名称は、この家に掲げられてある薩摩の書家・鮫島白鶴翁(西郷隆盛の書道の師)の筆になる横額によるもの。通称「表書院」。
◆ 秋水書院
書斎と寝室。幸徳秋水に因んで名付けられた。通称「奥書院」。
現在ある母屋、梅花書屋、秋水書院は廊下で繋がっています。
昭和2年(1927)蘆花は静養先の伊香保で亡くなりましたが、昭和11年(1936)蘆花没後10周忌に愛子夫人は現状の維持と故人の生活状態を偲びうるようにという条件のもと、土地、住宅、樹木、墓地、書籍、原稿、書画、生活用具その他遺品一切を東京市(現東京都)に寄付された、とのことです。市は直ちに整備のうえ、昭和13年(1938)東京市蘆花恒春園として開園。その後拡張整備を重ね、現在は開園時の約6倍の広さとなっています。


緑に囲まれ、武蔵野の面影を残す恒春園区域は、蘆花が暮らした当時の生活を偲ぶ貴重な文化遺産。あたたかさや、懐かしさを感じることのできる、素晴らしい一帯でした。周辺には、四季折々に花々が咲き誇る「花の丘区域」、子どもたちの絶好の遊び場として人気のある「児童公園」、ウォーキングやジョギングが楽しめる「草地広場」、大型犬用、小型犬用に分離された「ドッグラン」施設など充実。今回訪れたのは、紅葉の時期でしたが、雪が降り積もる冬の時期にも、また訪れてみたいと思っています。趣のある雰囲気、そして景観です!というわけで、今回のブログはここまで。

(よっしゃん)