じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

鹿児島へ行ってきました!

新年1月も、あっという間の最終週。寒い日が続き、最近はインフルエンザやノロウィルスのニュースをよく目にします。皆さん、くれぐれも流行には乗りませんように!?そんな季節がやってくる前に、先日私は、九州・鹿児島に行って参りました。東京から飛行機で2時間弱。南国の地ではありますが、東京より寒かった、という感じです。というわけで、本日のブログは、鹿児島紀行のご報告。
鹿児島の名物といえば、何と言っても、「桜島」と「西郷さん」。
まずは、桜島を間近に望める場所へ。

錦江湾に浮かぶ桜島は、鹿児島のシンボルといわれています。高さは、1,117m。桜島は約26,000年前に誕生し、昔はその名の通り「島」でしたが、1914年の大正噴火で流れた溶岩によって大隅半島と陸続きとなりました。現在も毎日のように噴火を繰り返し、爆発的な噴火の時には、その噴煙の高さが5,000mにまで達することもあるそうです。観光としては良いですが、実際に住むとなると「灰まみれ」の環境も覚悟する必要があるところは、複雑な感じですね。そんな桜島も、大正大噴火から今年でちょうど100年。まだまだ活発な活動を続けていることに、驚きを隠せません。
次に訪れたのが、「西郷隆盛銅像」。

鹿児島から出た幕末のヒーロー・西郷隆盛は、同じく鹿児島出身の大久保利通山口県出身の木戸孝允とならんで、「維新の三傑」の一人にあげられるほどの最重要人物。
「一緒に新しいニッポンをつくろう!」と団結を促したのがご存知、坂本龍馬。そして手を取り合ったのが、西郷さんと長州藩代表の木戸孝允。薩摩と長州、この二大勢力の軍隊をまとめ、抵抗する幕府軍を追いつめ、その先頭に立っていたのが西郷さんでした。
因みに、この銅像の高さは、5.257m、5.7頭身。実際の西郷さんは、身長179cm、体重108kgぐらいだったそう。そんな大きな西郷さん、医者に勧められたのが、狩り。上野の銅像で一緒にいるのが、狩りのお供をしていた愛犬、ということです。
次の写真は、城山にある洞窟。

西郷を敬愛する私学校生徒を中心に強大な反政府勢力となって、1877年(明治10)に起こしたのが「西南戦争」。2月、鹿児島城下を出発した薩軍兵士ですが、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間部を越えて鹿児島を目指し、9月再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。西郷さんが最後の5日間を過ごしたのがこの洞窟、ということです。
次の写真は、「西郷隆盛終焉の地」。

城山に立てこもる薩軍兵士を囲む政府軍に、死を決した西郷は夜明けを待ってここを出ます。そして岩崎谷を下っている時に流れ弾が当たってしまうことに。城山洞窟を出て、わずか300m、650歩の場所。最後は、別府晋介介錯によって49才の生涯を閉じることになったのです。
西郷さんの最後の言葉が、「晋どん、もうここらでよか」。西郷さんの座右の銘は「敬天愛人」。天を敬い、人を愛し続けるということ。自分のことを慕ってくれる人がいる限り、その人のために尽くして、死ぬなら本望。それが天命であるという生き方を貫き通した、ということです。西郷さんの魅力が詰まった言葉です。
そして、最後の写真は「坂本龍馬新婚の旅碑」。

坂本龍馬は、妻おりょうと二人で、海路鹿児島を訪れ、霧島に遊び、小松帯刀屋敷に滞在。1866年(慶應2)春のことです。それは、日本人の新婚旅行の始まり、と言われています。
以上、簡単に鹿児島紀行を掲載させていただきました。いろいろな観光地を観るのも良いですが、温泉場が数多くあるこの鹿児島では、いろいろな湯船に浸かって、ゆっくり過ごすことが一番!ではないか、と思っています。というわけで、今回のブログはここまで。

(よっしゃん)