じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

波多一索先生(弊財団初代理事長)を偲んで 3

【『私の履歴』 波多一索】その3  (前回より続く)
昭和39年、東京オリンピックの折に結婚、下北沢に母と住むことになりました。結婚式当日は芝祐靖、多忠麿両師、増田正造氏など錚々たる方々がお手伝い下さり、杵屋六左衛門荻江露友両師などが先頭に立ってお祝いをして下さったことを懐かしく思い出します。
昭和41年頃から外資の自由化もあって外国のレコード会社がそれぞれ独立、ビクターからもRCAなどが分離することになったため、邦楽とは別にクラシックの仕事も私どものセクションで始めることになりました。その最初の仕事が「武満徹の音楽」で、秋山邦晴、滝淳(東京コンサーツ)両氏などの協力を得て、吉田秀和若杉弘岩城宏之各氏の協力のもとに制作。幸いにも芸術祭大賞を得てクラシックの世界では異例の評判を得ました。
これを契機に「松村禎三の音楽」、「三善晃の音楽」などが作られることになり、オペラの二期会や東京混声合唱団などが専属アーティストとなりました。

当時の録音スナップ 高橋悠治氏と武満徹氏(世田谷区民会館
 以後、拡大したビクター学芸部門には佐藤和雄、黒河内茂、高田剛、奥田瑞雄、伊藤玲子の各氏、クラシックには井坂紘氏など沢山のスタッフが加わり、仕事の幅も大きく広がりました。
平成5年発足のビクター伝統文化振興財団(現・日本伝統文化振興財団)設立に当たっては、出ロ順社長、黒河内茂さんのご尽力で初代理事長を務めることになりました。ちなみに二代目理事長が黒河内茂さん、三代目理事長(現会長)が藤本草さんです。
平成16年には、吉川英史先生が会長をなさっておられたご縁で、田邊秀雄、景山正隆両会長のあとを受け、舘野善二氏のご紹介で一般社団法人義太夫協会代表理事にさせて頂き、今回、同協会のご推薦で文化庁長官表彰を頂くことになりました。
また同年に梅宮静江会長のご推薦で一般社団法人東京都民踊連盟副会長の職を務めさせて頂き、この度の受賞に際しては日本小唄連盟、東京都民踊連盟ほか沢山の先生方のご推薦を頂きました。なお、東京都民踊連盟との関係は、昭和34年当時ビクター民踊研究会の会長を務めていたご縁によるものです。

竹本土佐子師、竹本駒之助師と共に 
現在、一般社団法人義太夫協会代表理事、一般社団法人東京都民踊連盟会長、公益社団法人日本小唄連盟副会長のほか、公益財団法人日本舞踊振興財団評議員、公益財団法人国立劇場清栄会評議員、公益財団法人日本民謡協会相談役、公益財団法人日本伝統文化振興財団理事を併せ務めています。
(おわり)

(やちゃ坊)