じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

ごぜ唄が聞こえる2013

 

「良い人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」。――これは“最後の瞽女(ごぜ)”と言われて2005年に105歳で亡くなられた小林ハルさんの言葉です。小林ハルさんから瞽女唄を継承された萱森直子(かやもり なおこ)さんが東京・世田谷区のブローダーハウスで開催している瞽女唄のイベントが次回で第6回目を迎えます。昨日、手元に公演案内状が届きました。

わたしが以前、萱森直子さんの「ごぜ唄が聞こえる」に伺ったのは、2009年2月の「葛の葉子別れ」公演のときでした。大変強い印象を受けました。もうここにはいない瞽女さんたち――それは小林ハルさんだけでなく、瞽女として生きた多くの盲目の女性たち――が、萱森さんの唄を通して目の前に現れ、語りかけてくるような心地になるのです。おそらくそれは、萱森さんが瞽女唄と向き合う姿勢から滲み出てくるものだと思います。今回の公演は、「特に初めてごぜ唄と巡り会う方にも楽しんでいただける内容で構成」されているとのこと。上記チラシのPDFファイル→ 12_1205gozeuta2013.pdf 直

「ごぜ唄が聞こえる2013」
日時=2013年2月22日(金)・23日(土) 14時開演(開場は30分前)
場所=ブローダーハウス(東京都世田谷区松原)
上演時間=90分
出演=萱森直子
料金=2,500円 ※予約制 当日精算 全席自由
主催・問い合わせ=ブローダーハウス
本公演ウェブサイト
http://blog-eda.net/gozeuta/


チラシ裏面に掲載されている文章をご紹介します。

瞽女(ごぜ)さんとは、三味線を携え農村・山村を巡る盲目の女性旅芸人のことです。

一年のほとんどが旅で明け暮れ、目的の村に着くと「ごぜ宿」という泊まりつけの家に荷を下ろしては、村の家々の戸口で唄い、来たことを知らせ(門づけ唄)、夜になれば、村人が集まりごぜの本領である祭文松坂(段もん)や口説き、民謡など(ごぜ唄)を聞かせ、喜捨や米や祝儀を収入としていました。

江戸時代には北海道を除く日本全国で姿を見ることができましたが、明治時代に入りラジオやテレビの普及によって次第に衰退していきました。それでも特に新潟県では昭和の時代まで栄え、昭和52年(1977年)に瞽女が最後の活動を終えるまで続きました。瞽女唄は日本の娯楽の一端を担っていた伝統芸能の一つです。

最後の瞽女さんと言われ、記録作成等の措置を講ずべき無形文化財保持者(通称人間国宝)であった小林ハルさんも2005年、105歳で亡くなり、今では数人の方がごぜ唄継承に努力されています。


チラシに掲載されている、萱森直子さんのプロフィール。

記録作成などの措置を講ずべき無形文化財保持者の長岡瞽女小林ハル氏に師事。小林ハルの伝えた三種類の節回しで祭文松坂をうたいわけることのできる唯一の唄い手。師匠小林ハルのすすめにより、高田瞽女・杉本シズ氏より高田系瞽女唄も習得。長岡・高田両系統の瞽女唄を直接伝授された、現代において唯一貴重な伝承者である。

公演では『瞽女唄は、かつての瞽女と聞き手たちの息遣いとともに伝えられなければならない』を信念として、現代の感覚で手を加えずにありのままのごぜうたをよみがえらせることを心がけている。

教職経験をいかし、新潟市内の保育園で園児と唄う活動にも取り組むなど、瞽女唄をめぐる環境づくりや後進の育成にもつとめている。近年、新潟近県はもとより、山梨県清里大阪府和泉市、京都清水寺伊勢市金沢市等、演奏会も全国的に広がっている。

萱森直子さんのホームページはこちらです。→ 「源流を同じくする二つの芸 越後瞽女唄と津軽三味線 萱森直子」


この「ごぜ唄が聞こえる2013」は東京で萱森直子さんの唄が聞ける貴重な機会です。録音では伝わらない「そこにいること」を通じて、「そこにはいない人たち」とつながり合うことができる、心に響く「うた」の世界。ぜひお出かけください。席数は限られていますので、早めの予約をおすすめします。


さて、ここからは、同じ瞽女(ごぜ)さんでも小林ハルさんの属していた長岡瞽女ではなく、高田瞽女について少しご紹介いたします。

小林ハルさんが入所していた新潟県胎内市の養護盲老人ホーム「胎内やすらぎの家」には、高田瞽女の杉本シズさんもいらっしゃいました。高田瞽女の最後の親方だった杉本キクエさんが昭和58年(1983)に85歳でお亡くなりになった後、残された杉本(旧姓 五十嵐)シズさんと難波コトミさんは、一緒に「胎内やすらぎの家」に移ってきました。小林ハルさんからごぜ唄を習っていた萱森直子さんは、そこで杉本シズさんから高田瞽女の唄も習うことができたのです。

高田瞽女では親方が弟子を養子にして一座をつくる座元制度がとられていました。そのためかどうか、高田瞽女の節は大変技巧的で洗練されています。なかでも最後の高田瞽女の親方・杉本キクエさんは、優れた節と三味線で有名でした。引退後の吹込みでしたが、LP盤で数多くの録音が残されています。ただし映像の記録はごく限られたものしかなかったのですが、数年前に貴重な映像作品がDVDで発売されました。→ 「高田瞽女:杉本キクイ/杉本シズ/難波コトミ 瞽女さんの唄が聞こえる」



 

記録映画「瞽女さんの唄が聞こえる」(映像本編34分)
瞽女唄(全5曲)──「門付け唄」(1:06)/「新保広大寺」(2:25)/「昭和音頭」(4:08)/「へそ穴口説き」(9:25)/「祭文松阪 葛の葉子別れの段」(24:52)
構成・演出:伊東喜雄
制作:助川俊二・伊東千里
監修:市川信夫 《高田瞽女の文化を保存・発信する会》

伊東監督はこの映画が学校の授業でも紹介することができるようにと考えて、34分という時間に編集したと語っていました。「平成生まれの若い世代の人たちに見てほしい」とも仰っていました。DVDのケース裏に記されている伊東監督のコメントをご紹介します。「知らなかった・・・」と大きな文字がセンターに置かれています。


●「盲目の女性が三人で暮らしている」

「彼女たちは遠い昔から伝わる唄をたくさん知っているらしい」そんなあやふやな情報だけを頼りに高田(現上越市)の町を訪れたのは昭和四十年代の初め頃だったと思う。



瞽女さんのことなど、モチロン何も知らなかった。

瞽女さんたちが一曲三十分もかかる長い物語り唄を五十以上も記憶しているということ、それを文字を知らない師匠から弟子へ、代々口から耳へ伝えてきたことも知らなかった。



●村々を訪ね、農作業に明け暮れる人々に《唄》を運び、隣村遠国の《ニュース》を届けた瞽女さんたちを村の人たちが、どんなに待ち望んでいたかも知らなかった。



●医療や教育、福祉の手がまるで及ばなかった時代から盲目の女性だけで仲間を作り、助け合って生きてきたことなど気がつきもしなかった。



東京オリンピックから大阪万博に至る時代、ひとことで言えば、それは日本中が豊かさと便利さを必死に追い求めた時代だった。だが、瞽女さんたちは頑固なまでに古いしきたりを守り質素で確かな暮らしを生きていた…



●当時の瞽女さんたちの暮らしを描いたこの記録映像を特に平成生まれの若い皆さんに捧げたい。皆さんに瞽女さんの唄は、どう届くだろうか…



記録映画《瞽女さんの唄が聞こえる》 監督・伊東喜雄


この映画は、1971年、最後の高田瞽女の杉本キクイさんら三人の日常生活を中心に、昔の瞽女宿を訪ねた最後の旅の様子を記録した映像作品です。資金面の問題もあって制作が中断されたままだったのを、瞽女研究家の市川信夫さんからの働きかけもあって、2004年に新たに住民への聞き取り取材の撮影を行い、約40年の歳月を経て2008年に完成。2010年には、門仲天井ホールで4月から翌年2月にかけて本作品を上映しゲストを招いて瞽女文化について語り合うイベントが6回開催されました。(「もんてん瞽女プロジェクト」公式サイト→


冬場に歩道に積もる雪を防ぐための雁木(がんぎ)の景色で知られる高田は、現在は上越市と合併していますが、数年前から高田の町が育んだ「瞽女」の文化を見直して後世に伝えていこうという市民運動が興り、「高田瞽女の文化を保存・発信する会」として活動を続けています。この会では時々、高田瞽女が歩いたゆかりの場所を巡るバスツアーを企画していて、わたしも2010年(平成22年)5月16日に開催されたツアーに参加しました。その少し後に高田を訪れたときに見つけたのがこのDVD告知用のチラシです。右側には先日のバスツアーの報告が写真入りで掲載されていて、よく見たら一番上の写真の右から四番目に自分の姿が。

この時のツアーは、朝9時過ぎに二台のバスで高田を出発して、中ノ俣、桑取、名立から五智、直江津を回って、最後に高田瞽女ゆかりの天林寺、そして杉本家の墓地を訪れて夕方前に解散という旅程。途中で立ち寄った「山椒太夫」に描かれた安寿と厨子王丸の悲劇ゆかりの乳母嶽神社の佇まいと、1949年に大勢の子供たちが犠牲となった名立機雷爆発事件の地蔵尊をお参りしたことは忘れられません。左上の写真は桑取の風景。


かつての瞽女宿(左)。近くのバス停(右)。
 


乳母嶽神社(左)。乳母嶽神社近くから見た日本海(右)。
 


安寿姫と厨子王丸の供養塔(左)。名立港の地蔵尊(右)。
 


当ブログ 瞽女関連の過去記事

瞽女の催し、門前仲町と上越高田(2010年10月06日)
瞽女唄街道in雁木(2010年10月09日)
10/8〜10 高田瞽女ふたたび(2011年09月21日)
上越市記念事業「高田瞽女」(2011年11月03日)
冬の雁木通りで、「ごぜさんの門付け」(2012年02月08日)
6月から、池田コレクション・斎藤真一展(2012年04月11日)
斎藤真一〈瞽女 GOZE〉(2012年05月30日)

(堀内)