じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

小山清茂 吹奏楽版「木挽歌」

今週11月27日(土)、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団による第23回ティアラこうとう定期演奏会(指揮:矢崎彦太郎)で、小山清茂管弦楽のための木挽歌』が演奏されます()。以前、音楽の教科書に鑑賞曲として長く掲載されていたので、ある年代以上の方ならば一度はお聴きになったことがある作品だと思います。

作曲家・小山清茂さんは、1914年に長野県更級郡信里村で生まれ、昨年(2009年)95歳で逝去されました。若い頃は西洋音楽とは無縁の環境で育ったこともあり、音感と響きへの感受性が独特の仕方で研ぎ澄まされ、アイヌを含む日本の民俗芸能やわらべうた、素朴な鄙歌の中に潜む魅力を取り出し磨き上げることで、日本人の心の奥深くに自然に染み込むような作品を数多く生み出しました。また「たにしの会」を主宰して日本音楽の旋律や和声等の研究を行なう他、プロの音楽家だけでなく一般の人々による創作や演奏活動にもつねに共感をもって接し、日本の音楽文化に果たした役割は大変大きなものがありました。

昨年、当財団から復刻したCD『吹奏楽のための「太神楽(だいかぐら)」』のオリジナル盤は1971年に東芝から発売されたレコードです。これは小山清茂さんがアマチュア主体で興隆を始めた吹奏楽に積極的に関わり始めた時期に制作されたもので、山田一雄指揮、NHK交響楽団員を中心としたアンサンブルによる、日本の吹奏楽史上、歴史的な録音と言えるものです。

本CD収録の吹奏楽のための木挽歌」は、「管弦楽のための木挽歌」(1957)を小山清茂さんご自身の手で1970年に吹奏楽に編曲したヴァージョンですが、じつはこのレコードに収録されている吹奏楽版の「木挽歌」は、原曲のハ調から全音を下げた変ロ調で演奏されています。このレコードが発売された3年後の1974年に音楽之友社から出版された吹奏楽版「木挽歌」の楽譜では、原曲通りハ調になっています(原曲の管弦楽版は1957年作曲、楽譜は1962年に音楽之友社から刊行)。

ちなみに、この東芝原盤の吹奏楽版「木挽歌」の音源は、1994年に発売されたオムニバスCD『吹奏楽名曲コレクション・48/邦人オリジナル作品集Vol.1』(東芝EMI:TOCZ-9231)にも収録されていますが、こちらも当然、全音下の変ロ調なので、テープや録音機の事故等ではありません。

それでは、なぜこの移調が行なわれたのでしょうか。作曲者は本レコードのライナーノートで次のように記しています。

此の曲の前身である管弦楽のための「木挽歌」が初演されたのは1957年(昭和32年)の秋で、その後レコードや楽譜が出たり、小中学校の鑑賞教材になったり、国の内外に於ける演奏や放送の回数も次第に増えて来た。それに又、部分的ではあるが吹奏楽に編曲してくれる人も現われたりして来たので、このへんで私自身による全曲の改編をと思い立つに至った次第である。

吹奏楽版の初演は1970年11月20日普門館山田一雄指揮、東京佼成吹奏楽団によって行なわれ、一方N響団員との本レコード録音日時は、東芝(現EMIミュージック)社内に記録が保存されていないため不明でしたが、小山清茂さんの奥様にお尋ねしたところ初演以降の録音だったのは間違いないとのことでした。そして肝心の吹奏楽版の「木挽歌」の自筆譜が現在所在不明ということなので、初演時の使用楽譜を探したのですがこちらも結局突き止めることができませんでした。もはや作曲者、指揮者、1971年のLP盤制作担当者といった関係者の方々が物故されているので、本当はどうだったのかは分かりませんが、調査の結果、以下の事実が判明しました。

復刻版CDに解説をご執筆いただいた福田滋さんによれば、1960年代から1970年代初頭にかけて日本の吹奏楽が興隆を迎えクラシックの名曲を吹奏楽用に編曲する機会が増大した際に、原調が非フラット系の調性の場合、フラット系への移調は通例として行なわれていたそうです。ご存知のように管楽器は移調楽器が多いため、フレーズによっては非フラット系の調性では指使いが煩雑になるためです。

先に引用した小山さんの文章で「部分的ではあるが吹奏楽に編曲してくれる人も現われたりして来た」というのは、本レコード録音に遡る1968年に「木挽歌」の第2楽章、第4楽章のみを小編成の吹奏楽用に編曲した藤田玄播(ふじた・げんば)さんのことを指していますが(当時「バンド・ジャーナル」誌の付録として楽譜が掲載されました)、この編曲版では原調のハ調が全音下の変ロ調に移調されています。これについて福田滋さんを通じて藤田さんにお電話で確認していただいたところ、やはり当時のアマチュア吹奏楽の慣例での移調のご判断だったとのことです。

しかしながら同じく福田滋さんによれば、1970年代半ば以降になるとアマチュア吹奏楽の演奏技術も大分向上して、初心者用のスコアを除いてクラシック作品を原調通りで吹奏楽版編曲を行なうことが一般的になっていたらしく、つまり、1970年代前半は丁度その過渡期に当たる時期だったようです。

小山清茂さんによる吹奏楽版「木挽歌」のスコアが音楽之友社から出版されたのは、LP盤が発売されてから3年後の1974年のこと。前述したように、このスコアの調性は管弦楽版と同じハ調です。そしてこの出版以降、吹奏楽版「木挽歌」は当然楽譜通りに原調で演奏されています。本録音の演奏は、この「移調」以外にも1974年の出版譜と微妙な差異を含む可能性もありますが、いずれにせよ、本録音が作曲者の監修の下で行なわれたことは間違いありません。とすれば、疑問として残るのは、N響団員であれば原調での演奏は技術的にまったく問題なかったにも関わらず、なぜ録音時に移調したのかという理由です。当時の状況から、次のような「推測」が成り立つかもしれません。

仮説1: 1970年の初演時には、小山さんは当時のアマチュア吹奏楽のレヴェルを考慮し(すでに他の人の手で行なわれていた編曲も移調版だったことも踏まえて)、フラット系(この場合は変ロ調)にご自身の手で移調して編曲を行なった。そしてこのレコード録音でも、移調版スコアをそのまま使うことにした。

仮説2: 本作のオリジナルLP盤は「NHK交響楽団員」と演奏者がクレジットされているが、吹奏楽の全パートをN響メンバーだけでカヴァーすることはさすがに無理なので相当数のエキストラが参加していたと思われる。N響メンバーは原曲のハ調による演奏で問題はなかったが、助演メンバーの対応に不安があったので移調版を使うことにした。

仮説3: 1974年の音楽之友社からの吹奏楽編曲版の出版時には、アマチュアの演奏能力の向上も顕著となり、小山清茂さん自身が1970年代前半に吹奏楽運動に大きく関わるなかで(この辺りの事情については、著書『日本の響きをつくる 小山清茂の仕事』音楽之友社刊[2004年]を参照)吹奏楽に対する認識が深まって、原調(ハ調)による編曲版の出版を希望した。

もちろん、これらはあくまでも「推測」の域を出るものではありませんが、本録音が図らずも日本における吹奏楽発展の歴史を参照する資料になっている側面もあるかもしれません。



冒頭にご紹介したコンサートの詳細情報は下記となります。管弦楽オリジナル版による「木挽歌」をホールで聴く体験は格別です!

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
第23回ティアラこうとう定期演奏会矢崎彦太郎ボレロ

日時:2010年11月27日(土)15時開演
会場:ティアラこうとう 大ホール
料金:S席 3500円 A席 2800円
プログラム:
フェルディナン・エロール:歌劇「ザンパ」序曲
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト:ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488
小山清茂管弦楽のための木挽歌
モーリス・ラヴェルボレロ
演奏者:
矢崎彦太郎(指揮) 仲田みずほ 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

(堀内)