じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

文楽の映画「冥途の飛脚」


今週の5日(土)から、恵比寿ガーデンプレイス内にある東京都写真美術館で大変貴重な文楽の映画『冥途の飛脚(めいどのひきゃく)』リマスター・エディションの初上映が始まります。この映画はカナダの映像作家マーティ・グロスさんが1979年夏に京都の旧大映太秦撮影所内に文楽のセットを組み、当時の最高の演者たちの協力を得て、翌1980年に完成させたものです(日本では1980年7月4日に朝日座で試写されていますが、一般公開はされませんでした)。床は竹本織大夫・鶴澤燕三、竹本越路大夫・鶴澤清治、竹本文字大夫・野澤錦糸、人形は吉田玉男(忠兵衛)、桐竹勘十郎(八右衛門、孫右衛門)、吉田蓑助(梅川)、吉田文雀(妙閑)といった名人たちが繰り広げる渾身の舞台映像は大変貴重なものであり、この映画は文楽の愛好家だけでなく、日本文化に関心をもっている方々に広くご覧いただきたい作品です。

 
本作品は日本では1989年に東芝EMIからVHSビデオが発売されたことがあり(当時の東芝の制作担当の方に伺ったところ、越路大夫の引退とビデオの発売が同じ年だったのは偶然とのこと)、その後海外でもマーティ・グロス・フィルム・プロダクション(Marty Gross Film Productions Inc.)からVHSビデオが発売され、2006年に同プロダクションの手でVHSビデオのマスターを使ったDVDが発売されました(一部の販路を通じて今も日本で入手可能)。しかし画質はビデオと同じレベルで大変粗く、音質も非常に悪い状態のものでした。2010年にマーティ・グロスさんは本作のデジタル・リマスター版の制作に取り組み、映像はオリジナル35ミリ・フィルムからデジタル編集によってノイズをすべて取り除き、音もサウンドトラックではなくオリジナルの6ミリ・マスターテープからデジタル編集することで、ついに30年前の映像と音が完全に蘇りました。

マーティ・グロスさんは1970年の初来日時に大阪の旧朝日座で文楽を観て、「人と人形との醸し出す鮮烈なイメージ、耳新しいながら感情の波を激しく起こす音楽、それぞれのエレメントの優美な一体感、ディテールの豊かさ、時の流れを越えた名人芸…」に強烈な印象を受けます。そして、九州の福岡県・小石原(こいしばら)と大分県・小鹿田(おんだ)の陶工達を描いたドキュメンタリー映画『Potters at Work(陶器を創る人々)』を制作した後に、いよいよ文楽を撮ることを決意します。

制作費はすべて独力で集め(国際交流基金、放送文化基金、さらには大阪の財界人の支援など約20団体の協力を得て4200万円を調達したそうです)、出演者との交渉も時間をかけて直接行ないました。それだからこそ、これだけの映像記録が残ったともいえるかもしれません。また制作費を捻出する過程でアメリカのテレビで放映されることが前提条件となったことから90分という時間の制限枠が生じ、文楽公演そのものの忠実な記録映像ではなく(通し狂言で「冥途の飛脚」を上演するとほぼ二時間半かかります)、マーティ・グロス監督自身の視点で、この時間の枠内で文楽を凝縮して構成する方法によって制作されています。

この映画の上演本について。第一幕淡路町と第二幕封印切は、近松原作『冥途の飛脚』の短縮版を用いている。大結の新口村(にのくちむら)は、近松原作からの後世の改作『傾城恋飛脚(けいせいこいのひきゃく)』を用いている。現在『冥途の飛脚』と『恋飛脚』とは通常別個に上演されるが、この映画では、物語としての完結性を持たせるために、(近松の原作とは結末に差違があるものの)両者を再結合させた。 ── マーティ・グロス(1989)

この映画の正式タイトルは“The Lovers’ Exile(ザ・ラヴァーズ・エグザイル=恋人たちのさすらい)”といい、近松門左衛門原作の文楽に基づいたマーティ・グロス監督作品であることを主張していますが、本作品が以前東芝EMIからVHSビデオで発売された折、文楽「冥途の飛脚」というタイトルだったことを踏襲して、今回の上映会でも主催者側によって日本語タイトルが選ばれています。すでに文楽に親しんでいる方は、こうした事情を斟酌した上でこの映画をご覧いただければと思います。

音響・音楽監修は作曲家の故・武満徹さんです。ここでは作曲ではなく、義太夫の演奏のつながりの確認や数ヶ所での擬音の録り直しが主な仕事だったそうです。武満さん自身のコメントによれば、トロントで行なわれたその作業は、「何れも、私にとっては、さほど苦労の要らぬことばかりだったのだが、それが意外に、緊張を強いられる一週間だった。早朝から深夜に及ぶ作業が続いた」とのことです。映画作家マーティ・グロスさんとの出会いについては、こう記しています。「その時間感覚や空間に対する繊細な思慮が、私が音楽で意図しているものと余りにも酷似していたために、直ぐ、彼に、特別な親近感を覚えたからである。ふたりが理解し合うために、多くの言葉は必要なかった。」東芝EMI版ビデオ解説書から)

なお、この映画のオリジナル版では、画面の枠のなかにもうひとつの枠が設けられ、そこに英語訳の字幕スーパーが表示されていましたが、今回の日本で上映されるリマスター・エディションでは、そこに日本語詞章を表示します。(茂手木潔子先生による校訂版) 3/29(火)、30(水)のみ18:30から英語字幕版が上映されます。 → 今回の災害の影響で中止となっております。(2011.3.26)

そして、3月18日(金)16:30の回上映後、3月19日(土)14:30の回上映後、3月20日(日)12:30の回上映後には、マーティ・グロス監督による舞台挨拶があります。

追記:18、19、20日の各日に予定されておりました、マーティ・グロス監督のアフター・トークは中止となりました。(2011年3月17日)

追記(2011.3.26):マーティ・グロス監督の来日が決定。映画『文楽・冥途の飛脚』の4/1(金)最終上映日は、10:30/12:30/14:30の各回上映後に、一旦中止となっていた監督の日本語によるアフター・トークを行ないます。ぜひ写真美術館へ!

その他、上映時間、休館日、入場料などの詳しい情報は日本伝統文化振興財団ホームページ「じゃぽ音っと」の公演情報案内をご覧ください。→


映画『冥途の飛脚』デジタル・リマスター版 国内盤DVDのお知らせ
現在、マーティ・グロス・フィルム・プロダクションでは、本作品のリマスター・エディションのDVD制作を進めています。この新しいDVDでは字幕表示を英語・日本語だけでなく、欧州各国語を含むマルチ・リンガル・エディションとする方向で、完成は2012年頃の予定となっております。当財団では、この新しいDVDエディションが完成され次第、現行版DVDの解説書(ジャン=ルイ・バロースーザン・ソンタグ、バーバラ・カーティス・アダチ(足立)、ノースロップ・フライとロバート・フルフォードの対話)の日本語全訳他を付した日本盤を発売する予定です。

追記(2012.7):2012年秋に発売する「冥途の飛脚」国内盤メディアは、DVDではなくBlu-rayになります。オリジナル英語字幕の他に日本語字幕がつきます。字幕なしも選択可能です。ジャン=ルイ・バローのイントロダクションは2006年版DVD収録の英語版ではなく、母国語によるフランス語版で特典映像として収録しています。(本ブルーレイは欧州各国語を含んだマルチ・リンガル版ではありません。)


淡路町の段
大夫=五世 竹本織大夫(たけもと おりたゆう)[九世 竹本綱大夫(たけもと つなたゆう)を経て、2011年2月に、九世 竹本源大夫(たけもと げんだゆう)]/三味線=五世 鶴澤燕三(つるざわ えんざ)

封印切の段
大夫=四世 竹本越路大夫(たけもと こしじだゆう)/三味線=鶴澤清治(つるざわ せいじ)

新口村の段 「恋飛脚大和往来」より
大夫=九世 竹本文字大夫(たけもと もじたゆう)[現・七世 竹本住大夫(たけもと すみたゆう)]/三味線=四世 野澤錦糸(のざわ きんし)

人形
忠兵衛=吉田玉男(よしだ・たまお)/梅川=三世 吉田蓑助(よしだ・みのすけ)/八右衛門、孫右衛門=二世 桐竹勘十郎(きりたけ・かんじゅうろう)/妙閑=吉田文雀

スタッフ
製作・監督・編集=マーティ・グロス/撮影=岡崎宏三、小林秀昭/音楽編集=カール・ジットラー(Carl Zittrer)/音響・音楽監修=武満 徹/日本側製作=安武 龍/字幕=ドナルド・リチー、マーティ・グロス/演出通訳=エーディルマン敏子/録音=西崎英雄/テレビ版イントロダクション=ジャン=ルイ・バロー

(c) 1980 Marty Gross Film Productions Inc.


追記(2012.11):お待たせいたしました。マーティ・グロス監督の映画、文楽「冥途の飛脚」国内盤ブルーレイを2012年11月21日に発売いたしました(発売:日本伝統文化振興財団、販売:キング・インターナショナル)。詳しくは、こちらのじゃぽ音っとブログ記事をご覧くださいませ。→ <文楽「冥途の飛脚」 Blu-ray発売>(2012年11月21日)


(堀内)