じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

蒲谷鶴彦さんの野鳥録音

休日の目覚めの朝に聴きたい音。子どもの頃はNHK-FM朝8時からの能楽を必ず聴いていましたが、いつの頃からか、心の安らぎと高揚をもたらしてくれるオリヴィエ・メシアンの音楽を選ぶことが多くなりました。オルガン曲、管弦楽ピアノ曲、どれも好きですが、なかでもメシアンが鳥の声を採譜してつくった作品群が格別。『異国の鳥たち』のスコアも購入して、その熱は上がる一方です。この曲は私が生まれる5日前の1965年1月22日に初演されています。初めて聴いたのは14歳の時で、「あれ、この曲は自分と同じ年齢なんだ」という感慨を抱いたことをよく覚えています。

そのメシアンの鳥の声に取材した作品群ですが、じつは最近、以前とは全く違って聴こえるようになったのです。そのきっかけとなったのが、「コロムビアサウンドライブラリー」の一枚の『ドキュメンタリー 白鳥の湖/鶴のすむ里』(JX-1028)という中古LPレコード。購入の決め手になったのはジャケットの鶴。というのも私は学生の頃、冬の北海道を訪れて、釧路湿原の丹頂鶴と屈斜路湖の砂湯に集う白鳥に強い印象を受けたことがあったから。そのときの気分が多少味わえればいいかな、というのが最初の思い。まあ、その程度のこと。

ところがこのレコードが単なる鳥の声の録音集ではないことが、聴き始めてすぐに判ってきたのです。自然という大きなドラマを写し取り内包した音のドキュメントであって、単に鳥の声を「サウンド」として切り取ったというようなものではなかったのです。扱っているのは「鳥の声」ですが、しかし、そこに広がっているのは、「鳥とそれを取り巻く空間および宿命との約束」の世界だったのです。衝撃が走りました。

「ナンダコレハ!」──岡本太郎のような気分で慌ててクレジットを確認すると、「監修・録音:蒲谷鶴彦」とありました。ジャケットに掲載された繊細で硬質かつ優しい温もりに満ちた叙事詩のような解説文も、同じく蒲谷氏によるもの。そしてジャケットの隅に小さく記された文を目にした瞬間、このレコードが、疑いもなく一人の類稀な芸術家の手になる「作品」であることを確信しました。──「このレコードは作品です。無断にて、一部を効果音として使用することをかたくお断りいたします。」

蒲谷鶴彦(かばや つるひこ)さんが日本を代表する鳥類研究家で、鳥の野外録音のパイオニア的存在として偉大な足跡を残してきた人物だということを知ったのは、そのすぐ後。文化放送の毎朝5分間のラジオ番組「朝の小鳥」を、昭和28年(1953年)から平成に至るまで、欠かさず1万4千回以上、録音・構成・解説までをすべて一人で担当。1996年、70歳のときに、それまでの仕事の集大成として、日本に生息する野鳥のほとんどの声を録音集成した『日本野鳥大鑑(上・下巻、各CD3枚付き)』(小学館)を刊行。ここには、通常の「さえずり」以外に、普通はこうした録音集には入ることがない「地鳴き」や「ぐぜり」などの鳴き声も収録されています。

わたしが最近購入したのは、その本とは別に1998年に編集制作された『日本野鳥紀行』(全5巻、CD付き)。ここにも、美しい自然の写真、鳥の画と共に、蒲谷さんの文章がふんだんに掲載されています。

雑誌「サライ」1996年第21号のインタヴューで、蒲谷さんは録音するときのことを、「だから、待つ間が楽しみ。好きな鳥を観察しているわけですからね。数時間待つことなんか、少しも苦じゃない。それどころか、何年も待つことだってあるんですから」と語っています。どこかしら禅に通じるものがあります。はたして鳥はいつ鳴くのか──、集音マイクの横で息をひそめてじっと待つ蒲谷さんの姿は、釣り竿を垂れてじっと魚を待つことを思わせて、「音の釣り」という言葉がふと浮かびます。(これは元々は音楽家小杉武久さんがご自身の音楽について語った言葉でしたけれども)

そしてつい先頃出会ったのが、蒲谷さんの歩みを振り返ったDVD『日本でいちばん鳥を聴いた男 蒲谷鶴彦さんがいく』。約27分のこのDVDには、自分の本当に好きなことに一生を捧げて、多くの人に敬愛され、自然との共生を体現した、一人の稀有な人物の記録が暖かい眼差しのもとで編集されていました。

蒲谷さんの野鳥録音を通じて、鳥の声の核といえるもの、つまり鳥たちが生きることを許されている自然の仕組みにこそ耳を澄ますように導かれ、メシアンの音楽が一層深く聴こえるようになったこともそうですが、もっとそれ以上に、日々の暮らしまでもが未知の輝きにあふれて感じられるようになったことがありました。音を聴く態度にそれだけの強い喚起力と変革の力があるのだということを改めて意識した、ここ最近の格別の「出会い」の体験でした。

DVD『日本でいちばん鳥を聴いた男 蒲谷鶴彦さんがいく』は、下記のサイトから購入することができます。
http://www.bird-photo.co.jp/6_shop.html


(堀内)