じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

新緑の国立能楽堂で


4月16日(土)、初夏のような日差しのなか、東京、千駄ヶ谷駅に降り立ちました。ホームの向こうは新宿御苑。つい先週来たときは満開の桜が見えましたが、もうすっかり散ってしまったようです。向かった先は国立能楽堂です。

能楽堂の中庭は楓などの新緑がまぶしく、季節が移ったことを教えてくれました。

この日は山本東次郎家狂言の会がありました。山本則直さんの一回忌追善「山本会」です。プログラムに御挨拶として書かれた東次郎さんの文章には、70年間ともに演じてきた、実弟の則直さんへの愛情と惜別のお気持ちがあふれていました。
会の中心は、山本凜太郎さんの「三番三(さんばそう)」の披き(ひらき)、山本則重さんの「花子(はなご)」の披きと、若い人たちの活躍する2つの大きな演目でした。「披き」は能楽で初めてその曲を演じることで、特定の難曲や大曲についていうそうです。
凜太郎さんは、亡くなられた則直さんのお孫さんで17歳。「三番三」は気迫十分、勢いあまって能舞台から落っこちるのでは!とはらはらするほどの熱演でした。終演後に見かけた凜太郎さんは小柄な高校生でしたが、舞台ではとても大きく見えました。
披きのときは、その曲目にあった絵柄の扇を作り、関係の方々に記念に配るのだそうですが、「三番三」の披き扇を特別に見せていただきました(扇を持っているのは東次郎さん、デザインも考えられたとのこと)。

次のような東次郎さんの言葉が添えられています。「三番三」と「北斗七星」がつながっているとは知りませんでした。

此の扇は今回、凜太郎が『三番三』を披きますにあたって、特に「鈴の段」の型の中に込められている呪術的な「北斗七星」への信仰を図案化具現したものです。お使い頂けましたら幸甚に存じます。

プログラムに、東次郎さんは次のように書いています。

日本も他の国に追随するように価値観を変え、長い間、私たちが大切にしてきた美徳・美意識もすっかり変わってしまい、能・狂言といった古典や伝統文化がますます生きにくい時代になっていることを日増しに身に浸みて感じていました。しかし三月十一日の大震災の直後、大混乱のなかでも秩序と礼儀、他者への思いやりを失わず、日本は品格のある国だと思いもよらず世界中から賞賛を受け、立ち居振る舞いこそ変化しても日本人の本質は変わっていないのだと知りました。そうであるならば、私たちはますます努力と精進を重ね、日本の古典文化の礎として次代に繋げるよう、一心不乱に舞台を務めていかなめればなりません。

そして、このように締めくくっています。

能楽は鎮魂と招福の芸能です。亡くなられた皆様のご冥福と被災地の一日も早い復興を祈りながら、一つ一つの舞台を心を込めて勤めていきたいと念じております。

この日に拝見した舞台、出会った言葉、いつまでも心にとどめておきたいと思います。

(Y)