じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

テノール歌手 木下保先生(5)

本日は、シリーズでお伝えしている「テノール歌手 木下保先生」の5回目で、オペラ編です。(前回は4月15日でした。)

木下保は東京音楽学校(現 東京藝術大学)の教授をしていた時は、オペラに出演できなかったそうです。戦争のはじまる少し前、教授という立場でオペラの舞台に出てはいけないという、学校の方針があったそうです。1946年に東京音楽学校を退官し、同年の9月に藤原歌劇団第21回公演《パリアッチ》でオペラ出演を果たしました。

「もちろんオペラはすきで、歌手としてたつ決心をした時からオペラはやりたいと思っていました。」と、語る木下先生。ところが・・・。「やってみてびっくりしましたよ。見たり聞いたりするのとちがってむずかしいものでした。」
当時は、オペラのことを教えてくれる先生がいなかったそうで、先輩の藤原義江さんに話を聞くくらいで、あとは独学だったそうです。ドイツに留学していたときは、日本でオペラが流行ると思わなかったので、オペラの勉強をしてこなかったのは失敗!と思ったそうです。
弊財団よりリリースされている
藤原義江の歌うオペラはこちら!  ↓

そしてその後、木下保が出会ったのが、木下順二作・團伊玖磨作曲の歌劇『夕鶴』です。
「これこそがおれの生きる道ができたわいと思って、うれしかったですわ。」と語っているように、引退までに125回演じることになった夕鶴の「与ひょう」役。
原作は民話「鶴の恩返し」。初演は1952(昭和27)年1月30日 大阪朝日会館(その後、京都公楽会館、東京 日比谷公会堂で公演)で、キャストは、与ひょう:木下保、柴田睦、つう:原信子、大谷冽子、運づ:藤井典明、惣ど:秋元清一、指揮:團伊玖磨、関西交響楽団(大阪、京都)、東京交響楽団(東京)だったそうです。
そういえば中学生の時、秋の文化祭の出し物で、「オフコースを熱唱していたバンド部」と「夕鶴を熱演していた演劇部」が何故かすごく印象に残っています。「おらほんにつうが好きだ。つう〜」と叫ぶ台詞とか・・記憶に残る舞台でしたね。
↓ 与ひょうを演じる木下保

昭和44年のある雑誌の対談インタビューで、「慶應ワグネル男声合唱団の公演で、指揮者としてニューヨークへ行く」という木下保先生の発言を受けて、團伊玖磨氏が、「それじゃ、ぜひサンフランシスコの日本の本屋さん(紀伊国屋)をごらんになって下さい。川端さん(川端康成。昭和43年日本人初のノーベル文学賞)のも並んでいました。先生にお歌いいただいた『夕鶴』のレコードが出ていますよ。そこで最初に売れたレコードだそうです。ほめられました。」とあります。外国でも人気があったようですね。
さて次回は、いよいよ合唱指揮者の木下保先生です。
参考資料:木下保芸談第3回「独学のオペラ勉強」東京新聞1955年11月18日
團伊玖磨対談 やまとことばをうつくしく・木下保」1969年1月
写真提供:増山歌子様

(制作担当:うなぎ)