じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

満覚寺で最後の節談説教布教大会

節談説教研究会のブログ()で、「満覚寺布教大会が本年で終了」という記事が出ていました。毎年6月に石川県満覚寺で行なわれていた節談説教の布教大会が、ついに今年を最後に終了するそうです。

「満覚寺布教大会」
平成23年6月11日(土)
午前9時〜午後4時
石川県輪島市門前町広岡  満覚寺

日本の音楽や芸能の起源については諸説ありますが、日本に渡来した仏教での儀式、聲明などが、その後の日本の音楽・芸能に直接的、間接的に大きな影響を与えたものと推察されます。東大寺の修二會(お水取り)を聴きに行くようになって、私にもそれが実感として分かってきました。

ところで、日本の音楽や芸能は言葉との関わりが深いのが特徴で、「語り物」という言い方もあります。祭文、琵琶、浄瑠璃浪花節などといった「語り物」はすぐに思い浮かびますが、その一方で、日本の伝統文化には節談説教、絵解き、萬歳、チョンガレ節、講談、落語などといった、いわゆる「話す芸」もあります。これらは日本の大衆芸能の原点ともいえるものです。

こうした各種「話す芸」の源流として、僧侶たちが行なっていた「説教」を捉え直したのが関山和夫さんでした。著書『説教と話芸』(青蛙房、1964年)は、その独特な芸能史の最初の一撃でした。ここで言う「説教」とは、信者に語りかける講話に、歌うような独特なフシをつけて、時には演技も伴って、聴き手の心のなかに直接入り込んでくる説法のやりかたで「節談説教」とも言われます。元は天台宗から始まったようですが、後に浄土真宗において広がり、各地で盛んに行なわれていました。しかし仏教を芸能化しているようでよろしくないという意見が出たことや、実際問題として優れた説教が出来る僧侶が少なくなったことなどから、昭和後期には廃れていました。

この関山さんの著書を読んでいた小沢昭一さんが、LPボックス『また又「日本の放浪芸」節談説教〜小沢昭一が訪ねた旅僧たちの説法〜』能登半島に数少なく残っていた節談説教をドキュメントしたことで、その存在はさらに広く知られるようになりました。本作は、小沢昭一さんの他の「日本の放浪芸」シリーズと一緒にビクターからCD化されています。(余談ですが、その復刻の仕事をしたディレクターが、今は当財団の職員で当ブログの書き手のひとりでもある「J」さんです。私も以前入院中に、この『節談説教』のCDをよく聴いていました)

石川県輪島市門前町広岡()にある満覚寺・・・、羽田空港から能登空港へ、そこからバスを乗り継いで・・・東京からだとちょっと遠いようですが、でも名人と言われるご住職の廣陵兼純(ひろおか けんじゅん)さんの説教大会、今年で最後の機会だと知れば、これはもう行かないわけには参りません。

こちらのサイトでDVD『節談説教 広陵兼純 〜親鸞聖人お弟子 願成坊さま〜』の動画が少しだけご覧いただけます。→

聲明の桜井真樹子さんのブログ「桜井真樹子の白拍子的生活」で、2007年の節談説教布教大会のことが紹介されています。そう、「説教」は芸能以前に宗教であることが本質であり、もっとも大切なことなのですね。→ 「2007年7月 5日(木)節談説教布教大会

こういうCDも出ています。『また又「日本の放浪芸」節談説教』の補遺編とも呼べる、小沢昭一が訪ねた「能登の節談説教」』。これは、1990年6月11日の石川県満覚寺の説教大会の様子をデジタル収録したもので、廣陵兼純さんの説教も収録されています。(本作の制作ディレクターは「J」さんです)


上にご紹介した作品を含む小沢昭一さんの「日本の放浪芸」シリーズの制作をすべて統括したのが、ビクターのディレクターだった市川捷護(いちかわ かつもり)さん。市川さんは放浪芸を起点として視線を世界にまで広げ、「非定住・漂泊・放浪と芸能」、ジプシー(ロマ)の出自と拡散に関する仮説もまじえたフィールド・ノートを集成した、すばらしいホームページを開設されています。更新も精力的に続けられています。「DVD」コーナーのサンプル動画は必見です!→ ジプシーのうたを求めて〜gypsy trails/ジプシーの出自(ルーツ)と地球上への拡散

(堀内)