仕事柄、古いレコードを購入して聴くことが多いのですが、いつも困るのが盤面にこびりついたちょっとやそっとでは取れそうもないカビや埃の対処法。これまでは清潔なタオルで慎重に水洗いを施して、まあなんとかこれなら雑音ではなく収録音が聴けるかという感じでやっていたのですが、最近、「究極のレコードクリーナー」なるものを入手して試してみたところ、驚くほど綺麗に汚れが取れ、ノイズもほとんど除去できることを知って大変重宝しています。
商品名は「ZERODUST LP raiser(ゼロダスト エルピーレイザー)」(◆)。ただし少々難点があって、それはノイズを取るためには何度も何度もとにかく同じ面を繰り返して聴かねばならないのです。
このクリーナー液を織目の細かい特製クロスに数滴つけ、それを盤面の内側から外側へ反時計回りに渦を巻くようにして、20秒ほどで拭き上げれば処置は完了。この薬品には、盤面にこびりついた埃やカビをなんらかの化学反応で剥がれやすくする働きがあるものと思われ、盤に針を落とすと、さあ出るわ出るわ、溝から掻き出されたゴミくずが盤面にあふれ、針先にも団子のようなゴミの塊がくっついてきます。もっとも、これは余程レコード盤の汚れが酷いときの話ですが。針先にゴミがつく間は、まだ溝が汚れている証拠で、音もノイズ混じりです。しかし5回、10回とトレースする内に溝のゴミも付かなくなると、音も新品盤かと思うほどのクリアで豊かな広がりをもつものに。この威力を経験してしまうと、繰り返しトレースすることも仕方ないかと諦める境地に至ります。
というわけで、このところ連日、音溝のゴミの掻き出しと共に繰り返し聴き続けているのが、京都の音風景を春から冬にかけて当時の最新機器で丹念に取材したドキュメンタリー・レコードで、1972年に発売された3枚組LP『京都《古都の一年》』(トリオレコード PK-9501〜3)。監修は京都大学名誉教授も務められた科学史家の吉田光邦さん。本作は昭和47年度文化庁芸術祭で優秀賞を受賞。
数年前にこのレコードを入手したときは、盤面のあまりの汚れの酷さに最初は戸惑い、清潔なタオルで盤面を慎重に水洗いしてなんとか聴けるようにはなったものの(そして収録内容の素晴らしさに圧倒されつつも)、バチバチ、ガリガリという雑音が一向に取れないままでしたが、久しぶりに本作を聴きたくなり、ふと思い立って「LP raiser」を試してみたところ、なんと、何度もトレースを重ねるうちに頑固なノイズが少しずつ剥がれ落ちて元のクリアな音像が見事に甦ってきました。いやー、これはすごい。ますます本作の響きの深み、昭和40年代後半の京都の音のドキュメントに耳と心が吸い寄せられている毎日です。
本作は以下の構成でつくられています。
LP 1
=A面=
一、梵鐘(東福寺) ─ 初詣(八坂神社) 2:57
二、大般若(妙心寺)〈1月〉 ─ 梵鐘(妙心寺) 5:08
三、地唄稽古風景 2:25
四、西本願寺報恩講〈1月〉 4:52
五、節分会【せつぶんえ】(六波羅蜜寺)〈2月〉 5:31
六、箏曲(生田流) ─ 梵鐘(東福寺) 4:26
=B面=
一、都おどり 2:50
二、今宮やすらい祭〈4月〉 2:33
三、童歌〜白川女【しらかわめ】花売 3:23
四、十輪寺三弦法要〈5月〉 4:43
五、葵祭〈5月〉 ─ 都おどり(フィナーレ) 4:54
六、梵鐘(十輪寺) 2:27
LP 2
=A面=
一、祇園囃子 ─ 市電 ─ 祇園囃子 ─ 舞妓 ─ 常磐津 ─ 舞妓 ─ 祇園囃子 9:26
二、祇園囃子 ─ 女紅場【にょこば】練習風景 3:28
三、街の雑踏 ─ 祇園祭 ─ 祇園囃子〈7月〉 8:00
=B面=
一、猪おどし(詩仙堂) 5:30
二、八瀬赦免地【やせしゃめんち】踊り 5:30
三、時代祭〈10月〉 3:44
四、猪おどし(詩仙堂) ─ 空也堂開山忌〈11月〉 7:25
LP 3
=A面=
一、西陣手機織 ─ 雅楽練習風景 5:26
二、尺八献奏大会(明暗寺)〈11月〉 ─ 猪おどし(詩仙堂) 12:51
=B面=
一、真如堂十夜法要〈11月〉 6:25
二、酒造り唄(伏見) 4:12
三、一年の回想(大般若〈妙心寺〉 ─ 都おどり ─ 祇園囃子 ─ 猪おどし(詩仙堂) ─ 大般若〈妙心寺〉 ─ 祇園囃子) ─ 除夜の鐘(知恩院)〈12月〉 9:58全録音時間 2時間8分20秒
解説書は、京都のカラー写真をふんだんにちりばめ、吉田光邦さんとディレクターの相沢昭八郎さんによる長文の原稿、録音の菅野沖彦(すがの おきひこ)さんの小文、本作の制作担当でマスタリングも担当された荒井邦夫さんのコメントを含む、豪華なもの。
数年前に当財団から本作のCD復刻を検討してオリジナル・マスターテープの在り処を調査したのですが、既に廃棄されていることが判明しました・・・。
ただし本作は1994年に、日本オーディオ協会によって、内容の一部を再編集したCDが制作されています(同協会を通じての販売のみで、レコード店での一般販売はされなかったようです)。おそらくこの時のマスターは、同協会か、もしくはこの時に編集で協力し、製造を担当したコロムビアに残っていると思われますが、未調査段階です。
このCDでは全22トラック、75分41秒にまとめられています。オリジナルとほぼ同じの時系列で、所々で短くなっていたりカットされているというかたちです。ブックレットは、相沢昭八郎さんによる新たな各トラックの解説文と菅野沖彦さんの新原稿、京都関連の随筆で知られる作家の大村しげさんの新原稿のみという、しっかりとした内容ではありますが、オリジナル版の重厚な造りと比べると簡略なものとなっています。
わたしはオリジナルLP盤とほぼ同時期にこのCD盤も入手したのですが、なぜかノイズだらけのオリジナルLP盤のほうに惹かれてよく聴いていました。それは音質の問題を越えた、響きにともなう空気感や音の時間と空間の運び方、あるいは「間(ま)」の魅力とでもいうか・・・ともかく、オリジナルLPのゆったりした時間の流れを知ってしまうと、CD盤はなんとなく気ぜわしく馴染めずにいました。そしてオリジナル・マスターが廃棄済だと判明し、さらには、このCD盤の菅野沖彦さんの新原稿で、「この20数年間の技術の進歩と、物理特性の向上、それにともなう録音思想や手法の全般の発展の中で、これが改めて、オーディオ的に陽の目を見る必然性が見出せない。」と記されているのを読んでしまい、わたし自身のなかで、復刻への気持ちが薄らいでしまったという面もありました。
しかし今、「LP raiser」のおかげでノイズが格段に除去されたレコード盤を聴きながら、その豊かな音の魅力を実感するにつけ、もはや大元のマスターテープが現存しない以上、菅野さんがとりあえず納得されたコロムビアの20ビット・プロセッシング処理と「音の情景を重視して慎重なイコライジングなど音のバランスをとり直し完成された」(日本オーディオ協会、長澤 祥さん)という1994年版のCD盤マスターでも、これはこれで十分復刻する意義があるのではないか・・・。
それにしても、数年間に亙り京都へ通って目指す音を追い求めて苦労を重ねた当時の制作スタッフ陣の熱意には、心から敬服します。芸術祭受賞も当然だったと思います。この素晴らしい日本の音の記録が、ぜひとも後世に残ることを心から願っています。
(堀内)