じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

藤井昭子第53回地歌Live at 求道会館

本日は、求道会館で開催された藤井昭子さんの地歌ライブの様子をお届けします。
11日で震災から8か月、いまでも大変な思いをされて過ごしていらっしゃる被災地の方が、一日も早く落ち着いて生活できますように願っております。本日のライブは4月11日に開催予定でしたが延期となりまして、本日の開催となったプログラムです。
藤井昭子さんは被災された方々の力になりたいと、お知り合いのデザイナーさんがデザインされた日本手ぬぐいを用意され、売り上げを寄付されるとのことでした。

プログラムは、「地歌の歴史に名を残す検校の作品」として、八橋検校が取り上げられました。お菓子の名前になったり、バッハの生まれた年に亡くなったとか、何かと話題の八橋検校。最近では、CD「箏曲『六段』とグレゴリオ聖歌クレド』」がスポットを浴びています。八橋検校が作曲した「六段」は「クレド」と合うという仮説を検証したCD。
「合ってないのでは」という方もいらっしゃると思いますが、私は「ほおぉ〜、ぴったり」と思ってしまいました。八橋検校は「上永検校城談」と名乗っていた時期もあったそうです。「城談」って「ジョーダン」?もしかして外国の方と関係があったのでは!?・・・そんな、ほんとうに勝手な想像も、楽しみのうちの一つです。372年前の1639年11月11日に、検校(けんぎょう、位階です)となったそうです。

1曲目の《六段》 箏(替手):藤井佐和さん 箏(本手):藤井昭子さん 

2曲目《八段》 三弦:藤井昭子さん
3曲目に、《乱輪舌》が演奏されたあと、4曲目は《菜蕗》(「夕邊の雲」打合せ)です。箏(菜蕗):萩岡未貴さん 三弦:藤井昭子さん 尺八:徳丸十盟氏

《菜蕗》(ふき)は、八橋検校作曲の箏組歌のなかでも、表組第一曲として尊重されているとのことで、山田流の萩岡未貴さんが、《菜蕗》を演奏されました。

「菜蕗(ふき)というふも草の名、茗荷といふも草の名、富貴(ふうき)自在徳ありて、冥加(みょうが)あらせ給へや。」
という歌詞ではじまるこの曲は、別名《越天楽》ともいい、箏の手も簡素で規則正しく、箏組歌の典型です。

ここに《夕邊の雲》が、重なってきます。《夕邊の雲》は、《菜蕗》にあわせて作られた曲で(作曲は光崎検校か)、いわゆる「打合せ」です。淡々と演奏される箏組歌の合間を縫って《夕邊の雲》の細かい手が、見事に駆け抜けていきます。歌詞も、《菜蕗》を意識的にパロディしたものだそうで、『源氏物語』に由来しているそうです。源氏の君が、夢の中で藤壺女御の幻を見て、夢から覚めて嘆くさまをうたったとも取れる、悲しみの歌。
「夢に見し臥所(ふしど)も、覚めて寝(い)ねたる臥所も、変はらぬぞ悲しき、覚めて姿のなければ。」
「幻の姿も、夢路ならではいかで見ん、絶えて交はさぬ言葉も、梓にかけて交わさむ。」
「夕邊の雲」とは、亡き人の火葬の煙をさすことも多いそうで、また「梓」は、巫女が神霊を呼び寄せるために使う弓のことだそうです。


先ほどの「六段」と「クレド」ではありませんが、別々に聞けば、まったく違う曲にしか聞こえません。2対1(三弦と尺八が《夕邊の雲》、箏が《菜蕗》)で、つられないように演奏するのが大変だったと、萩岡さんはおっしゃっていました。八橋検校の話題まだまだありそうです。

藤井昭子さん第54回地歌ライブ「宮城道雄〜現代箏曲の天才が描いた古典の世界」をレポートした記事『進化する藤井昭子』ゲスト:塚本徳(つかもとめぐみ)さん、高畠一郎(たかばたけいちろう)さん、田辺頌山(たなべしょうざん)さん、はこちら→http://d.hatena.ne.jp/japojp/20110606/1307379927

(制作担当:うなぎ)