じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

吉増剛造を読む 現代詩の世界

先週、気温が急に低くなった金曜日、油断したのか熱が出て、3日の土曜日は秩父夜祭に行く予定でしたが(あの雨と寒さのなかで、祭は無事に行なわれたとニュースで知りました)、土日とも床の中で臥せっていました。吉増剛造さんの詩集を枕元に積んで、読んでは微睡(まどろ)み、醒めては読み、また睡(ねむ)りに落ちる、その繰り返し。朦朧とした意識のなかを吉増さんの詩のイメージが通り過ぎていく・・・、夢と現(うつつ)の境が曖昧に揺れている至福の時。

今回、手にとった吉増さんの詩集は『青空』。読んでいると、発熱のせいで、次第に目が霞(かす)んで文字を追えなくなる、あるいは、前後の意味がつながらなくなってイメージが彷徨(さまよ)い始める、あるいは、今読んだばかりの言葉が掴めなくなって(または思い出せなくなって)目の前の言葉の意味も溶けだして消えていく、あるいは、詩とは無関係な想念を追いかけて目を閉じる・・・。たいがいの場合こうしたことが複合的に働いてすぐに睡眠へと落ちていきます。しばらく経って目が覚めると、両手で詩集をもった状態のまま眠っていたことに気づき(なんとも滑稽な姿・・・)、なんとなくそのページから詩の続きを読み始めて、また同じことが繰り返されて、眠りへと・・・。

吉増さんの詩との最初の出会いは、1979年の柴田南雄さんの作品『布瑠部由良由良』を聴いたときで、このラジオ放送ヴァージョンでは、高橋大海さんによる、吉増さんの詩集『わが悪魔祓い』(1974)内の詩篇「地獄のスケッチブック」の超高速での朗読が非常に印象的でした。この詩の数十行はすぐに暗唱するほど好きになり、それからは思潮社の現代詩文庫で吉増さんに限らずたくさんの詩人を手あたり次第に読むように。

最初好きになった詩人は、北園克衛大手拓次瀧口修造谷川俊太郎吉行理恵などで、大学に入学した頃にはさらに深みにはまって現代詩研究会にも出入りしたほど。吉岡実、岩成達也、鮎川信夫黒田喜夫などをよく読みました。これまでに出会った現代詩で極北といえば、やはり山本陽子をおいて他になく()、漉林書房(ろくりんしょぼう)の全集を持っていたのですが魔が差して手放してしまったのが本当に悔やまれます。

吉増剛造さんの長篇詩『青空』は、場所を移動しながらイメージが反響し合い、現在の身体空間が、別の時空と同時並行して移ろうような気配が素晴らしく、いつも引き込まれてしまうのですが、詩集の文字組もまた素敵で、齣(こま)が連なったポジフィルムを思わせて、それが詩の核を作り出す姿形(すがた・かたち)とも一致しています。

この時期の吉増さんの詩集はどれも好きなものばかり。刊行順に、『草書で書かれた、川』(1977)、『青空』(1979)、『熱風 a thousand steps』(1979)、『大病院脇に聳えたつ一本の巨樹への手紙』(1983)、『オシリス、石ノ神』(1984)と五冊が連なる、このタイトルを見ているだけでもう至福。そこからしばらく経って1995年に名作「石狩シーツ」を頂く詩集『花火の家の入口で』が登場。吉増さんの詩篇は、今や、宇宙的・霊的な世界を自在に飛翔しつつ、時には苦行僧のように這いずり回りながら、他者の(死んだ人たちも)声と気配が多次元・多方向に行き交う「場所」そのものとなって、始まりも終わりもない無限の映画を上映し続けているようにも思われます。

吉増さんは、詩作のカリグラフィーもまた素晴らしいもので、この写真に写っているのは直筆ではなくファクシミリ(複製)。2003年にミッドナイト・プレスで購入した限定81部の復刻版。著者署名、ナンバリング付き。全23枚、内トレーシングペーパー3枚。全部額装して飾りたいのですが、わたしの部屋は狭いもので、なかなか。ときどき眺めては想像界に遊んでいます。


吉増さんの独特な朗読を収録したLPやCDはいろいろとありますが、ここでは三つだけご紹介します。

『石狩シーツ/吉増剛造。ここでは、二重露光写真の音声版のようなことが起こっています。吉増さんは、自分が朗読した録音の上に重ねて、前の声と微妙に合ったり離れたりしながら朗読の声を重ねています。その効果は驚くべきもので、詩の朗読としてここまでインパクトがあるものは珍しいと思います。ただし背景に流れているアンビエント風の音は余計だったかもしれません。吉増さんと奥様のマリリアさん、荒木経惟さんの三人が作った『アラキネマ 彼岸から』(クエスト)というVHSビデオ作品があるのですが、そこに吉増さんの声だけによる「石狩シーツ」の朗読が出てきて、それがこのCDでの特徴的な読み方とまったく同じ。おそらくこれが本CDの最初の録音素材だったに違いないと思われます。この朗読音源にもう一度吉増さんが朗読を重ね、後からアンビエント音響を追加して完成、というのが本作の制作手順だったのでは。(違っているかもしれませんが)


『しばたやま ── ポエトリー・リーディング/吉増剛造&マリリア』。これは一般には入手困難なCD-R作品ですが、あまりにも内容がすばらしいのでご紹介します。内容は以下。【Disc 1】 1. 「花火の家の入り口で」/2. 「ガローアの森」/3. 「オシリス、石ノ神」/4. 「春の野の草摘み」(Live)/5. 「石狩シーツ」(Live) 【Disc 2】 1. 「柴田山」/2. 「アドレナリン」/3. 「絵馬」(Live)

Disc 2 はフランス出身のフリージャズ・ギタリストのジャン=フランソワ・ポーヴロスとの共演で、灼熱と零下の世界を往復するダイナミックな内容。Disc 1 の聞き物は、渋谷毅(ピアノ)と川端民生(ベース)との共演による「石狩シーツ」の朗読でしょう。1998年の録音で、本CD-Rが制作されたのは2005年。大量生産品ではなく、ほとんど手渡しのような親密なかたちで流通した作品ですが、しかし、こうしたかたちこそ芸術本来の受け渡しの姿だったのかもしれません。

インターネットで注文すれば世界中の珍しいCDが入手可能・販売可能という効率的な価値交換を行なうことを想定したとき、影に隠れてしまいがちなのが、そもそも、芸術とはモノの売買では所有され得ない、曖昧だが本質的な部分をもっているという事情。つまり、この場合CDの現物は手元に渡ったとしても、だからといってその作品を「手に入れた」ことにはならない。だから、CDを売る側がその作品の内容を着実に手渡したいときに、誰もが買える商品の形態をとらず、ひそやかな「手渡し」を考えるのは、ある意味自然なことでもあったりする・・・。

と、本作を聴くたびに思うわけです。こうした、営利とは全く関係のない価値観で制作され、しかも、並外れた内容を誇るCDを聴いていると、なにかうまく言えませんが、わたしは、生きていることの豊かさを実感します。


最後にご紹介するのは、1969年(昭和44年)に当時日本ビクター内にあったフィリップス事業部(1970年に日本フォノグラムとなり、原盤は現在ユニバーサルミュージックに移管)から発売された4枚組LPボックス『自作朗読による 日本現代詩大系』〔監修:粟津則雄、宗左近〕(フィリップス、FS-5029〜32)。制作担当ディレクターは井阪紘さんで、これがプロデューサーとしてのデビュー作だったそうです。ここで吉増さんは、「燃える」、「落下体」、「燃えるモーツァルトの手を」、「朝狂って」の四篇を朗読しています。このLPボックスは昨年ある方からお借りして初めて聴いたのですが、その後、とある中古レコード店で発見。見本盤で、しかもべらぼうに高額でしたが、滅多に出会えるものでもなく(しかも内容の素晴らしさは既に聴いて知っていたので)迷わず購入しました。今、自宅には、まだお借りしているものと合わせて二セットが鎮座しています。このレコードの制作の裏話は、井阪さんの2006年の著書『一枚のディスクに−レコード・プロデューサーの仕事−』(春秋社)に詳しく書かれています。

参加している詩人は以下(括弧内は代読者)。 堀口大学尾崎喜八西脇順三郎萩原朔太郎萩原朔美)/中原中也(粟津則雄)/山之口漠(山口泉)/三好達治清岡卓行)/逸見猶吉(山本太郎)/宮沢賢治草野心平)/金子光晴/吉田一穂/丸山薫高橋新吉草野心平/村野四郎/小野十三郎/嵯峨信之/安西均/那珂太郎/会田綱雄/石原吉郎吉野弘/安東次男/田村隆一/中桐雅夫/黒田三郎宗左近/長谷川龍生/山本太郎大岡信清岡卓行/中村稔/飯島耕一吉増剛造)/谷川俊太郎入沢康夫三木卓吉増剛造天沢退二郎

そして解説書の内容は以下。 【監修者のことば】現代詩史論<粟津則雄>/現代の声<宗左近>/【随筆】中也の声<草野心平>/三好達治中原中也の思い出<丸山薫>/山之口漠の思い出<山本太郎>/ドイツと日本の詩<川村二郎>/イギリスと日本の詩<篠田一士>/日本の詩、フランスの詩<入沢康夫>/現代詩探訪の苦労<矢田部宏>/短歌的なものと現代詩<山本健吉>/詩・短歌・俳句<安東次男>/詩と音楽<別宮貞雄>/歌い手から現代詩に<友竹正則>/詩集の装幀者として・・・<駒井哲郎>/言葉を演ずる<波瀬満子>/自作朗読について<飯島耕一>/詩と朗読について<大岡信>/詩をどんな風に書くか<清岡卓行>/幸福と死<竹西寛子>/詩人たち<小田久郎>/耳で聞く詩<谷川俊太郎>。

こうしたものが復刻されずにいるのは本当にどうなのかと思うのですが、しかし今、この種の作品を復刻CD化して、実際に購入される方がはたしてどれだけいらっしゃるかどうか・・・。

CDというメディアは、初回制作時と追加生産時に意外とコストがかかり、ある程度の購入者がいないと当然赤字です。当財団は国(省庁)から助成を受けているわけでなく、基本的な活動費は頒布作品の売上でまかなっているので、作品制作にあたっては、それがどのくらいの方々に求められているものかという(大まかな)見極めを必ず行なっています。しかし、この作品『日本現代詩大系』は相当特殊なものであることは確か。じゃぽ音っと内に「復刻予約コーナー」をつくって、500人に達したらCD化に向けて動く(もちろん、動いたけれども実現しないということもある)、というようなアイディアはいかがでしょうか?

でもそうなると、『竹本綱大夫全集』(東京レコード AMONレーベル、LP 10枚組)とか、戦前の日本がアジア各国の民族音楽を取材録音したSP盤音源で、ビクターに特に残っているという東アジアの音楽を集めたCD復刻企画とか(コロムビアからは同種の音源が数年前に『東亜の音楽』と題してCD化されていましたが、ビクターの音源は多分まだ発掘・復刻されていなかったと思います)、色々と気になる企画が頭に浮かんできますね・・・。

(堀内)