じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

箏曲「六段」がグレゴリオ聖歌?

日本に西洋音楽が国の方針として本格的に導入されたのは明治以降のことですが、歴史的には、それより遙か以前に日本は西洋音楽との深い出会いを経験しています。1549年に鹿児島に上陸したイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にキリスト教を伝えます。キリスト教は儀式において音楽が大きな役割を果たします。当然日本にも西洋音楽が入ってきて、まずは賛美歌などの歌、次いでさまざまな西洋楽器(オルガン等の鍵盤楽器や擦絃・撥弦の弦楽器類)が日本各地に広まり、信者が熱心に習得して短時日に驚くべき上達を見せたそうです。16世紀後半から17世紀初頭にかけて、教会音楽は当然として、ポルトガルやオランダ商人が持ち込んだ当時のヨーロッパの初期バロック音楽、民謡(フォークロア)など民俗音楽を歌い奏でていた日本人が存在したという事実は、あまり知られていないかもしれません。1613年にキリスト教が禁止されて信者が迫害され、1639年にはポルトガル人が国外追放、1641年に東インド会社が平戸から出島に移されたことで、日本各地から「キリシタン音楽」や西洋音楽・楽器は一掃されてしまい、歴史の闇へと葬られます。

日本の伝統音楽の体系的研究の先駆者である田辺尚雄さん(1883-1984)は、日本の音楽をアジアを含め文明的な広い視点を基盤に論じた方でしたが(こうした傾向は東洋音楽研究の岸辺成雄さんによって、さらに深く洞察されています)、当時日本に伝来したキリシタン音楽が日本の音楽に与えた影響を指摘して、箏の名曲「六段」が当時のスペインの変奏曲形式であるディフェレンシアスの存在に感化されて生まれたという説を唱えていました。(他にも、日本の胡弓が西洋の擦弦楽器の影響で生まれたという説もあります)

田辺さんの授業を学生時代に東大で聴講した作曲家の柴田南雄さんが、時折ご自身の著作などで言及していたことで、この仮説は一部の音楽愛好家には知られていました。しかし、実際はどうだったのでしょうか。

「六段」の作曲者は、一時は不詳とされていましたが、今では研究が進んでほぼ八橋検校の作曲とみて間違いないだろうと考えられています。八橋検校は1614年生まれで1685年没。1613年の江戸幕府による禁教令の翌年に生まれていて(正確に言えば、それ以前に豊臣秀吉によっても「バテレン追放令」などキリスト教迫害は始まっています)、八橋検校西洋音楽と深く関わったとはにわかには考え難いことです。

丹念な取材と音楽的想像力に富むアプローチが光る釣谷真弓(つりや・まゆみ)さんの著書『近世箏曲の祖 八橋検校 十三の謎』(アルテスパブリッシング)にも、「六段の謎」の章でキリシタン音楽の影響について触れていて、釣谷さんは16世紀末の日本にキリスト教信者が全国に15万人いて教会は全国に二百あって、そのひとつが八橋の活躍した福島県の平(現・いわき市)にもあったと突き止めますが、いずれにしても時代が違う・・・。間接的に西洋音楽の影響が八橋に伝わったことは否定できないにせよ、著者は言外にこの説に大きな疑問を呈しているように読めます。

また、この当時のヨーロッパ音楽が日本の音楽に与えた影響について研究した千葉優子さんの論文「異文化との接触 ――キリシタン期の音楽を例として――」岩波書店 『日本の音楽 アジアの音楽3』<伝播と変容>所収、1988年)でも、資料が十分でないことで推測の域を出るものではないと述べられており、一方で、残された資料を字義通りに受け取るのでなく、個々の資料がどの立場で書かれたものかを慎重に検討し、解読すべきであるとも提言されています。

そんなところに、今年、音楽学者の皆川達夫さんが「六段はグレゴリオ聖歌の<クレド>だった」という衝撃的な仮説を提示されました。すなわち「六段」は、キリスト教が禁止された後、歌詞を歌うとキリスト教徒であることが明白になるため、器楽曲のかたちで本来の歌詞を黙して唱えた神への祈りの音楽であった、とする大胆な説です。しかもさらに驚くべきことには、「六段」(箏)と「クレド」(合唱、ヴィオラ・ダ・ガンバ)の同時演奏を試み、それをCDでも発表。当然のごとく賛否両論の嵐で、当財団から発行したこのCDは邦楽作品としては異例の話題を呼びました。今年の邦楽界の大きなトピックのひとつだったのは間違いないところでしょう。

このアルバム箏曲《六段》とグレゴリオ聖歌クレド》〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」は、雑誌「レコード芸術」2011年6月号の新譜批評欄で、当財団から発表した「C.ドビュッシー 前奏曲集 第2巻/江戸京子(ピアノ)」〔→ 財団ブログ過去記事「レコ芸特選!江戸京子/ドビュッシー」〕と同時に「特選」の栄誉に預かりました。美山良夫さんと濱田滋郎さんの批評をご紹介します。

「箏曲《六段》とグレゴリオ聖歌《クレド》〜日本伝統音楽とキリシタン音楽との出会い」
〔A.ガブリエリ:少年使節歓迎ミサ曲〜グローリア/ジョスカン・デ・プレ:千々の悲しみ、他(全11曲)〕
皆川達夫指揮 グリーン・ウッド・ハーモニー、田中豊輝、原田博之(T) 飯塚由美(org) 高橋雅和(lute) 中野哲也(gamb) 他
日本伝統文化振興財団 VZCG-743】

美山良夫 【推薦】
およそ無関係に思われる《六段》と〈クレド〉。両者に時空を超えた関係があるという研究を知らされてからそう時間が経ていないにもかかわらず、それを耳で体験できる僥倖がここに訪れた。箏曲《六段》は、変奏曲、それもスペインのディフェレンシアスというタイプと形式上結びつきがある点は、しばしば言われてきた。しかしそれは形式面の共通性であり、影響関係の実証や、まして原曲とまで言わないまでもモデル作品の同定とは縁遠いものであった。ところが《六段》は、キリシタンたちが歌った聖歌〈クレド〉、それもキリシタンが聖歌を楽器で重ねて演奏したという習慣から、一種のパラフレーズで成立した可能性があると、皆川達夫氏は発表した。このディスクのハイライトは、聖歌〈クレド〉第1番と箏曲《六段》全曲の合奏(トラック10)である。12分におよぶ合奏に、はるかな時間と空間をこえて、西洋と東洋が結ばれる。それをどのように受容するかは、聴く人に委ねられる。だがこの体験なくして、音楽における東西の邂逅は今後語ることはできない。是非は別にして、この種の問題に関心がある人に、このディスクに盛られた問いかけを体験してほしいものである。
ほかにガブリエリが天正少年使節を歓迎するために作曲したミサ曲の〈グローリア〉、国立博物館所蔵『キリシタン・マリア典礼書写本』のなかの〈連禱〉の原曲等、キリシタン音楽に関する考証の果実が併録されている。

濱田滋郎 【推薦】
16世紀のスペインには「ディフェレンシアス」と呼ばれる、変奏芸術最初期の成果が発展した。これの一型に、主題そのものは呈示されることなく、第1変奏から曲が開始されるものがある。日本の伝統的器楽曲を代表する箏曲《六段》が、ちょうどそれと同じ形、すなわち「主題を隠した変奏曲」の形をとるため、従来、《六段》と、16世紀にキリスト教と共に渡来した洋楽の一端をなすディフェレンシアスとのあいだに、何らかの因果関係があったのでは? との説は行なわれていた。しかし、これに関する実証的な研究は何ら成されぬままに過ぎてきた。ところが、皆川達夫氏が昨年公表された探索の成果によれば、《六段》は、キリシタンにより歌われたグレゴリオ聖歌の〈クレド〉と密接な関連を持って生まれたことが、十分な信憑性をもって推論づけられるのである。当CDの主眼はこの論理を実際に音でもって立証することにあり、かつてキリシタンたちがしたように斉唱される〈クレド〉(皆川達夫指揮中世音楽合唱団ほか)と《六段》(野坂操壽演奏)との重ね合わせを、スリリングな体験として聴者に提供している。じつに画期的なこの試みには、量り知れぬ意味が込められていることは言わずもがなであろう。なおCDの序にあたる部分でも、本題とはまたべつにたいへん興味深い「西洋音楽伝来のひとこま」の様相が照らし出されている。分厚い解題ブックレットをひもときつつ、周到な演唱に耳を傾ける時間を、ぜひ多くの好楽家が持ってほしい。

さあ、はたして「六段」は「クレド」だったのか? ぜひこのCDを手に取っていただき、ご自身の耳と心で「謎」と向き合っていただくのも一興ではと思います。


日本を代表する、中世・ルネサンス音楽バロック音楽の研究者である皆川達夫さんは、同時に、キリシタン音楽の研究者としても知られています。その成果は、以前東芝EMIからLPで発売され、後に山野楽器から限定盤CDとして復刻された『洋楽事始』[サカラメンタ提要/隠れキリシタンオラショや、日本キリスト教団出版局から刊行された大著『洋楽渡来考――キリシタン音楽の栄光と挫折』(2004年)と、それを音資料と映像資料で補完する意味で当財団から発表した『CD&DVD版 洋楽渡来考』(CD 3枚とDVD 1枚)にまとめられています。
キリスト教が禁教になってから、長崎県内の島では、聖書の祈りの言葉が転訛(てんか)したものが現在に至るまで密かに伝えられていました。これを「オラショ」といいます。もちろんラテン語の「oratio」に由来する言葉です。ここには信仰をめぐる深い問題があります。参考になるWEBサイトをご紹介します。ブログ「オセンタルカの太陽帝国」さんの投稿記事です。→ 『さん・じゅあん様の歌』『だんじく様の歌』。


作曲家の柴田南雄さんは、シアター・ピースの代表作である『宇宙について』の中に、長崎県生月島(いきつきじま)山田の「隠れキリシタン」のおらッしャ(祈り)の一部を取り入れています。これを聴いた時の印象は強烈でした。(わたしが「おらッしャ」の存在を知ったのは、『宇宙について』を聴いたのがきっかけです。)

また天正遣欧少年使節を巡る音楽も、昔からクラシック・ファンの一部の興味をかきたてる存在でした。1582年に日本を出発し、ローマ法皇に謁見して1590年に帰国しますが、日本はすでにキリスト教に対してネガティヴな環境になっていて、使節団のメンバーだった伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノは、その後、厳しい人生を歩むことになります。柴田さんには、この少年使節団に基づくオペラ作品もあります。


こちらのCDは、日本を代表する古楽アンサンブルのひとつ、アントネッロの渾身と大作といえるアルバム天正遣欧使節の音楽』(2007)です。天正遣欧少年使節団の各メンバーは西洋楽器をよくし、彼らが奏でたとされる音楽、そしてまた欧州各地で聴いたと思われる音楽が絶妙な構成で取り上げられています。トラック25では、賛助出演の皆川達夫さんの歌が聴けます!


前述したように、日本が鎖国政策に入った16世紀半ば以降、長崎の出島は外国との限られた窓口となりますが、そこで当時聴かれていたであろう音楽を集めたのがこのレコード鎖国時代・長崎出島における十七世紀ヨーロッパの音楽/シンタグマ・ムジクム・アムステルダムコロムビア、OF-7075-ND)です。選曲も演奏内容も素晴らしくて、わたしのお気に入りの一枚。解説は、先程レコ芸の批評でもご紹介した美山良夫さんとケース・オッテンさん。タスキのキャッチ・コピーは「我々の祖先が始めて耳にした南蛮音楽の数々・・・。」

本作収録の音楽は、印刷業のパウルス・マタイスがアムステルダムで出版した譜面に基づくもので、これに関してケース・オッテンが解説で面白いことを書いているので引用します。

1600年4月19日に、オランダ人は日本と初めて交渉をもち、1609年に2隻のオランダ船が日本に入港し、その後平戸に商館が設立された。イギリス人も1613年に日本と接触したが、1641年以降は、小さな半島、出島経由で、日本人と通商関係を持つ事は、専らオランダ人にのみ許され、この状態は1860年まで続いた。1668年に、パウルス・マタイスは、オランダ東印度会社のために、詩篇歌集を出版した・・・。この事から、日本人が、西洋人を通して耳にした最初の音楽は、このレコードに登場する作曲家達の作った音楽であったかもしれない、という事が十分考えられるのではないだろうか? そして、このレコードに収められている音楽は、もともと演奏会での演奏を目的に作曲されたものでなく、音楽好きの、親しい人々の小さな集まりのために書かれたものである。


 
最後にご紹介するのは、先日タワーレコードで偶然見つけて購入したもの。美麗なジャケットと高音質で知られる、古楽奏者ジョルディ・サヴァールが運営するレーベル「ALIA VOX」から発売された、サヴァールが率いるHesperion XXIエスペリオン・ヴァン・テ・アン)のイスパニアと日本の音楽』。これは、東日本大震災を受けて、急遽チャリティ盤として製作され、収益は日本の赤十字に寄付されます。

ジャケットを開くと、南蛮屏風となる洒落たデザイン。ブックレットには欧州諸国語と一緒に日本語も掲載されています。本作の元になっているのは、『東方への道/フランシスコ・ザビエル(2008年)という2枚組の作品です。このオリジナル盤は、ザビエルの生涯を音楽との関わりで描いた壮大な作品でしたが、そこにはザビエルが日本到着以後に耳にしたであろう日本の伝統音楽(尺八、笛、琵琶)も収録されており、そればかりか、日本の音楽が西洋音楽キリスト教音楽)から影響を受けたかたちを想像して、グレゴリオ聖歌「おお、栄光の聖母よ」の尺八独奏や、琵琶による演奏なども収録されています。じつに意欲的な内容です。

今回のベネフィット・アルバムは、ザビエルと日本の関わりを中心にエディットされています。サヴァール音楽と人間性は私も常々深く尊敬していますが、今回のブックレットのライナーノーツの冒頭をご紹介いたします。

このプログラムは、今、かつてない規模の津波原子力事故の悲惨かつ深刻な影響に立ち向かっている日本の方々へのトリビュートです。この中で私達は、聖フランシスコ・ザビエルが日本に来航した当時の日本とスペイン語圏の霊的音楽の真の対話をつくり出そうと試みました。 (中略)
このレコーディングの目標は、古い文化・伝統の素晴らしい出会いの中で、旅、そして旧世界のヨーロッパと日出づる国の演奏家達の間の音楽による対話を呼び起こすことです。これは、音楽はいつも魂と心の言語であることを再認識させてくれるでしょう。

ジョルディ・サヴァール


本作に参加している日本人演奏家は、関一郎(尺八)、田中之雄(琵琶)、鯉沼廣行(篠笛)の皆さんです。

(堀内)