じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

「天上の王朝美」京都 修学院離宮

本年もよろしくお願いいたします。制作担当のうなぎです。
皆さんは初詣に行かれましたか?私の家の近所に小さな神社があるのですが、数年前から何故か、初詣に訪れる人が増えているような気がします。町内の世帯数が増えているのか?高齢の方が増えて、近所に家族で来るようになったのか?わかりませんが、元旦は一日中にぎわっていました。
さて、本日は12月28日のブログでもたっぷりご紹介したのですが、もう少しだけ・・、1月3日にNHK総合テレビで放送された『「天上の王朝美」京都 修学院離宮』(07:20〜08:15)を見ましたので、再度ご紹介を。歴史はあまり得意ではないのですが、クローズアップして紹介されると、ついつい見入ってしまいます。今回の番組は、「修学院離宮」を造営した後水尾上皇(1596〜1680)のお話でした。
離宮とは、皇居以外に設けられた宮殿のことで、京都には桂離宮修学院離宮の2つが残っているそうです。修学院離宮は、江戸時代のはじめ、後水尾上皇が自ら土で雛形を作り、建物から庭の草木まで、上皇の思い通りに作り上げた前代未聞の離宮とのことです。ん〜ワクワクしますね。思い通りの庭園・・。
後水尾上皇は、後陽成天皇の第三皇子として誕生し、和歌や雅楽、蹴鞠、書道と、みやびの伝統の中に育ち、世は武家が主役の徳川の時代でしたが、王朝文化の復興を願っていたとのことです。当時の修学院離宮の様子を描いた『修学院離宮図屏風』というものがあり、そこには、宮中ではあり得なかった文化の交流が描かれているそうです。歌を詠む後水尾上皇、その下で釣りをする人、物見遊山の子供連れ、棚田で仕事をする農夫たち、そして池で舟遊びする公家たちが耳を傾けるのは、三味線。
修学院離宮ができた頃、ちょうど三味線の原形が出来たということです。ここで紹介されたのが柳川三味線。現在伝わる三味線の中で、ほぼ祖型に近い三味線です。番組の中で演奏していたのは、弊財団からCDをリリースされた林美音子さんです。林さんは、京都にお住まいで、柳川三味線を継承されています。

(写真:林美音子さん)
CDはこちら。

寛永文化は、公家と町衆が出会い、今日、日本的と感じられる「かぶき」や「生け花」など数多くの文化が生まれたそうです。また後水尾天皇に女御として入内した徳川和子(後の東福門院)が、ファッションリーダーとして、奇抜で華麗なデザインの染物や刺繍の着物を注文したそうで、その数、1年間で200着。ん〜、こちらもうらやましい!

最後に、時代に翻弄されたという後水尾上皇が読んだ歌が、印象に残りましたので留めておきます。
世の中は気楽に暮らせ 何事も 思えば思う 思わねばこそ
(思えば気になる、思いわずらうことなく生きてゆこう)

(制作担当:うなぎ)