じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

楽器の製造地・浜松「音楽のまちづくり」

昨日は用事があって浜松へ行って参りました。浜松といえば、日本で最初に国産ピアノが作られた街ということもあり、楽器メーカーが多いことで有名ですね♪ 以下はウィキペディア「楽器」の「2 日本の楽器産業」より。

日本における楽器産業は、山葉寅楠が静岡県浜松市合資会社山葉風琴製造所を設立してオルガンの製造を始めたのがその興りである。山葉風琴製造所はその後、日本楽器製造株式会社、ヤマハ株式会社へと姿を変えるが、その過程で河合小市が独立して浜松に河合楽器製作所を設立。河合の尽力によりヤマハ、カワイといった日本のピアノが世界に知られることとなり、浜松は楽器、とりわけピアノ製造の一大拠点となった。
2005年にはローランドが浜松に本社を移転し、これにより国内三大洋楽器メーカーのすべてが浜松に本社を置くこととなった。これらの子会社、関連会社を含めると、和楽器古楽器以外では日本のほぼすべての楽器メーカーが浜松と関連をもっていることになる。

浜松市が進める「音楽のまちづくり」の一環として1995年に開館された日本初の公立楽器博物館である浜松市楽器博物館がJR浜松駅から徒歩7分の場所にありました。
http://www.gakkihaku.jp/index.html
「世界の楽器を偏りなく平等に展示して、楽器を通して人間の知恵と感性を探る」ということを展示の基本コンセプトにしています。
開館当初は収蔵資料の偏りから、ヨーロッパの楽器の展示が全体の3分の2を占めていましたが、2006年の展示リニューアルにより、この基本コンセプトが常設展示において実現され、ヨーロッパの楽器だけでなくアジアやアフリカなど他地域の楽器の展示も充実したようです。
同館で今年全3回に渡って(1/24、2/7、2/21)開催される講座「楽器の中の聖と俗」(http://www.gakkihaku.jp/work&chair/2011-seitozoku.html)は日本の伝統芸能特集です、と館長からの新年のメッセージにも紹介されていました。興味深いですね。

さて、浜松市のホームページhttp://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/を見てみると、なるほど「“音楽の都”に向けた挑戦」としてこういったページがありました→http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/square/intro/mc/index.htm
1981年3月に「音楽のまちづくり」の推進を掲げたことが始まりのようです。現在の浜松市音楽文化顧問はピアニストの中村紘子さん。過去に顧問の任期を終えられた方々は、音楽文化名誉顧問に就任されています。
●音楽文化名誉顧問(50音順)
秋山紀夫(吹奏楽、指揮)
石井歡(作曲、合唱)
大賀寛(オペラ制作、バリトン
小椋佳(シンガーソングライター)
佐藤陽三(合唱指導、声楽)
服部 克久(作曲、編曲)
原信夫(ジャズオーケストラ指揮、サクソフォーン奏者)
星出豊(オペラ、管弦楽指揮)

上記に名を連ねていらっしゃる小椋佳さんは1991年に日本勧業銀行(現みずほ銀行)の浜松支店長に就任なさっていました。ちょうど小椋さんの著書「言葉ある風景」を読んでおりましたが、その中にも少し浜松支店長時代のエピソードがあります。浜松の方から「江戸弁」はもともと「浜松弁」だよ、と言われたことがあるそうです。徳川家康が江戸入りしたときに、浜松周辺から、町づくりのために職人はじめ多くの人を伴っていったからとのこと。
浜松からは話がはずれますが、その小椋さんのお父上は若い頃に琵琶の師範をなさっていたそうです。お父上を亡くしてから十五年ほど経ってから小椋さんご自身も琵琶に興味を持たれ、先生について薩摩琵琶の演奏を習得なさっているそうです。
著書の中で「じつは、僕には琵琶を再興させたいという思いがあります」と書かれています・・・そのためには現代に合わせた改革をしないと、琵琶は普及しない。本体は桑の木を使い黄楊(つげ)のバチを使う琵琶を習い始めようとすると最低三百万はかかるのでは、若い人にとって負担が大きすぎる。せめて十万円程度で楽器が手に入るように楽器を開発しなければと思います、とのこと。
そして「若い人の間に楽器としての琵琶が普及し、自在に演奏できる人が増え、その中から西洋音階の制限を脱して、新たに創造的な楽曲を産む人が輩出してくることを夢見ているのです」と続きます。<西洋音階の制限を脱して>とは、このブログでもしばしば話題に登場しますが、邦楽では西洋音階のドとレの間にも無限に存在する音を自由に操れること、とでもいいましょうか。。。
当財団のカタログにある琵琶作品→日本伝統文化振興財団 作品検索:ジャンルで「琵琶」の検索結果


さて、冒頭で「日本で最初に国産ピアノが作られた街」と書きましたが、「日本楽器」の創始者・山葉寅楠による国産ピアノ第一号機が製造されたのは1900年です。

当財団ではこのようなCDをリリースしたことがありました→じゃぽ音っと作品情報:1900年 啓かれた日本のピアノ /  堀江真理子 VZCC-1009

【作品紹介】
日本の洋楽黎明期を代表する9名の日本人作曲家のピアノ独奏曲を生年順に収録。日本の戦前のピアノ音楽、さらには日本におけるクラシック音楽の原点を辿る画期的なアルバム。
1900年、日本人が作曲した初めてのピアノ独奏曲「メヌエット」が滝廉太郎によって発表されました。また「日本楽器」の創始者・山葉寅楠による国産ピアノ第一号機の製造も同年でした。現代の日本のピアノ音楽文化の端緒は、まさにこの1900年に啓かれました。
近代日本のクラシック音楽の扉を大きく開く担い手となった作曲家たちが描いたピアノ作品の演奏を通して、日本のピアノ音楽の原点を辿ります。

(J)