じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

『あやつられ文楽鑑賞』三浦しをん


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など、文楽の書籍紹介が続きましたので、追加で・・・

2年ほど前のことになりますが、女流義太夫演奏会をお手伝いさせて頂く機会がありました。その回のゲストは『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞を受賞された三浦しをん先生。これは映画化もされました→まほろ駅前多田便利軒 | アスミック・エース(注意:音が出ます)
雑誌などで先生のコラムを時々読むことはありましたが書籍となった作品をきちんと読んだことがなかったので、お会いする前に何か勉強しておかなくては、ということで読んだのが『あやつられ文楽鑑賞』でした。
文楽を難しいと感じて遠のいてしまった方には、文楽を身近に感じて頂くのにお勧めの書籍だと思います。何しろ、まえがきの冒頭にこう書いてあります。

あやつられる快楽

この本は、文楽観劇のド素人であった私が、いかにしてこのとんでもない芸能にはまっていったかの記録である。
「なんでおまえの記録を読まねばならん!」「ていうか、文楽?よく知らないし興味ない」というかたもいらっしゃるだろう。しかしおもしろいんですよ、私の記録がじゃなくて文楽が! 〜以下略。

文楽作品から歌舞伎の演目に取り入れられた作品についても紹介されています。
以前このブログでもご紹介した「義経千本桜」→猿之助襲名披露そして『猫忠』 - じゃぽブログ
ただし、ここでは「四ノ切」ではなく、歌舞伎で上演される「すし屋の場」について書かれているのですが…。(p.126)
「いがみの権太」が腹を刺された後、真実を告白しはじめる場面について。以下、同書より抜粋。

 痛切さがあって盛りあがる場面だが、妙なのは、死にかけているはずの権太があまりにも長い告白をすることなのだ。腹に刀が刺さってるのに、すごいひとだよ。
 権太が重傷なのになかなか死なないのは、まあよしとしよう。「臨終に際してかっこいいことを切々と述べる」という演劇的な「お約束」だとも言えるし、権太の超人的な精神力が発揮されているのだ、とも取れるからだ。しかし、その場面で輪をかけて妙なのは、権太の長々とした最期の言葉に、居合わせた人々がただじっと耳を傾けているだけ、という点だ。
「権太、もうしゃべるな!早く手当を!」とか、なにかもうちょっと動きがあってもいいだろ!死にそうな人間を目の前にして、悲嘆に暮れながらもボーッと座って話を聞いてるって、いくらなんでも不自然じゃないか。その不自然さが、「権太ってなかなか死なないな……」という疑問(というかツッコミ)を生じさせる原因でもあると思うのだ。

この後に続く文章で、この演目がもとは文楽作品だからだ、ということで納得されています。人形が何のリアクションもなくじっと静止して聞いているのはそれほど妙には感じないが、これを生身の人間が演じていることでリアルに違和感が生じるのではないか、と。

確かに、歌舞伎を観ていて内心は何か妙だと感じても、「歌舞伎はこういうものだよね」と大半の人が声には出さない・・・ってところを痛快に語ってくれてますね(笑)。

また、私も落語『猫忠』をブログに書きましたが、文楽が関係する落語が紹介されている章があります。『どうらんの幸助』『軒づけ』『寝床』。(p.135)
『寝床』の聞きくらべも楽しいですよ。

じゃぽ音っと作品情報:ビクター落語 六代目 三遊亭圓生(15) 寝床/左甚五郎(三井の大黒) /  六代目 三遊亭圓生

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(J)