じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

雨天、ホールでの能舞台

「雨天の場合はホールになりますが、できることなら神社の境内で拝見したいもの。はたしてどうなることでしょうか」と以前投稿していた大宮薪能(たきぎのう)へ先日出かけてきました。一日目の5月25日(金)は残念ながら雨天。とはいえ、会場となった市民会館おおみや大ホールには多くの方々が詰めかけていました。
このときの演目は金春流 素謡「翁(おきな)」宝生流 能「西王母(せいおうぼ)」大蔵流 狂言「茶壺(ちゃつぼ)」金春流 能「安宅(あたか)」。ほとんど初心者に近い自分ですが、大きなホールに生でこだます音響、研ぎ澄まされた演者のたたずまい、どの演目も見ごたえがありました。当日解説をされていた増田正造先生が「見所同見(けんじょどうけん)」というお話をされていたでしょうか、観客からの視点で舞台をつとめる、客観的な目を大事にした世阿弥の教えがいきづいていると思えた素晴らしい舞台。そのひとつ、狂言「茶壺(ちゃつぼ)」を今日はご紹介させてください。
茶を運ぶ男、目代(もくだい、代官)のアド二名とスッパ(詐欺師、ならずもの)のシテという三名のみの舞台。茶を運んでいた男が酔いのあまり道端で寝込んでしまい、それを見かけたスッパが親切に「起きていけ」と話しかけるものの、男は起きず、結局荷物を背負うための紐の片方に手をかけて、二人一緒に横たわり…目覚めた二人はお互い自分こそが荷物の持ち主であると譲らない。そこに現われた目代へ男は自分のいきさつを舞いながら語るのですが、スッパは後から上手にコピーして舞い語り、目代にはどちらの荷物なのか分からないというシーンに目が釘づけ。さらに目代から、ではいっしょに舞えと命じられ、二人同時に舞うシーンがあるのですが、同時のように見えながらもそのわずかなズレが素晴らしく、身体全体で表現する面白さが伝わってきます。その一瞬一瞬をおろそかにしない、まさに「客観的な目」で日頃から芸を磨き続けていらっしゃるからこそ、とすっかり見入っていました。
この「茶壺(ちゃつぼ)」を演じられていたのは、大蔵流狂言方山本東次郎家山本東次郎さん、山本則俊さん、山本泰太郎さん)。来る第一回東京[無形文化]祭 7月24日(火)の「躍る」―舞の競演にもご出演されます。ぜひmukeibunka.comホームページをご参照ください。
薪能は雨天で残念でしたが、来年もうかがいたいと思っています。

(じゃぽ音っと編集部T)