じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

谷崎潤一郎『蓼喰ふ虫』

こちらのブログ→小説「麗しき花実」 - じゃぽブログ で、「邦楽が出てくる小説といえば、谷崎潤一郎の「春琴抄」…」と紹介されていますが、今日は同じ谷崎作品の『蓼喰ふ虫』をご紹介したいと思います。

あらすじ(ウィキペディアより)

要・美佐子の夫婦仲は冷え切っている。小学4年の子供の前では取り繕っているが、美佐子は時間さえあれば恋人・阿曾の住む須磨に通う有様である。ある日、義父から人形浄瑠璃文楽)の見物に誘われ、夫婦で出掛けてゆく。要は以前に見た時とは異なり、人形の動きに引き込まれてゆく。同席した義父の愛人・お久はおとなしい女で、要は人形のようだと思い、興味をひかれる。
高夏が上海から一時帰国し、要の家に来ると、要・美佐子はそれぞれ離婚について相談をする。高夏は春休み中の弘を連れて東京に行くことにする。
義父とお久が淡路の人形浄瑠璃を見に行くというので、要も同行する。ひなびた舞台も要には面白く、また自分たち夫婦に引き替え、義父・お久の関係がうらやましく思われた。三十三か所を巡礼するという義父たちと別れた要は、神戸に向かい、なじみの娼婦ルイズと会う。ルイズは借金があるので千円出してくれとしつこく、来週持ってくると約束をさせられてしまう。
要が離婚の件を義父に手紙で書き送ると、何も知らなかった義父は驚いて夫婦を京都の自宅に呼び出す。義父は美佐子と2人で話したいと言って、近くの懐石料理店に出掛けてしまう。

物語の背景として「谷崎は関東大震災後、関西に移住し、伝統文化に傾倒していった。」とあります。(wikiより)

上記のあらすじにもあるように、主人公の要は、以前に文楽を観た時には義太夫の語りに嫌悪感を抱いていました。

以下は同書よりの抜粋。

要が義太夫を好まないのは、何をおいてもその語り口の下品なのがいやなのであった。義太夫を通じて現われる大阪人の、へんにずうずうしい、臆面のない、目的のためには思う存分な事をする流儀が、妻と同じく東京の生まれである彼には、鼻持ちがならない気がしていた。ぜんたい東京の人間は皆少しずつはにかみ屋である。電車や汽車の中などで知らない人に無遠慮に話しかけ、はなはだしきはその人の持ち物の値段を聞いたり、買った店を尋ねたりするような大阪人の心やすさを、東京人は持ち合わせない。東京の人間はそういうやり方を不作法であり、無躾(ぶしつけ)であるとする。それだけ東京人の方がよく言えば常識が円満に発達しているのだが、しかしあまり円満に過ぎて見えとか外聞とかにとらわれる結果は、いきおい引っ込み思案になり消極的になることは免れられない。とにかく義太夫の語り口には、この東京人の最もきらう無躾なところが露骨に発揮されている。
(以下略)

文楽よりもハリウッド映画を観るほうが好きな要でしたが、時を経て、義父に義理立てして同行した弁天座(当時の道頓堀の芝居小屋)で改めて文楽鑑賞をすると、人形の動きに引き込まれ、義太夫の深みのある語りに感心するようになります。
自称「茶人」の義父は、この文楽の芝居小屋に行く時には自家製の幕の内弁当を詰めた漆塗りの蒔絵の重箱と朱塗りの酒盃を持参して、お妾さんにお酒を注がせ、弁当をつつきながら芝居を観るのです。この後、淡路の人形浄瑠璃を観に行く時にもやはりこのスタイルで、淡路の芝居小屋での方が重箱の弁当を食べながら観ることがより一般的な様子で描かれています。昔は飲食をしながら観ていたのですね。何と優雅な!
芝居小屋の薄明かりの中の、この漆塗りの重箱と盃や着物の織物の描写がまた美しい。『陰翳禮讚』の世界です。谷崎潤一郎の随筆『陰翳禮讚』は、西洋文化・様式になってきた現代の日本よりも電灯のなかった時代の日本文化・様式の美を賛美しています。谷崎氏自身が少なからず西洋化した日本のモダニズムの影響を受けていた訳ですが、改めて日本文化を再認識したのでしょうね。
『蓼喰ふ虫』でも上記の抜粋のように東京と関西の比較があったり、大阪の文楽と淡路の人形浄瑠璃の比較があったりしますが、文字通り「蓼食う虫も好き好き」、どちらの良さもあります。主人公の要は、ハリウッド映画を好み、都会的な妻を持ちながらも、改めて文楽の良さを認識し、古風な京女である義父のお妾さんにも心魅かれます。
いずれにせよ、異文化と比較することは自文化の再発見になりますね。

作中、道頓堀の芝居小屋で幕の内を食べながら観る演目は、『天の網島』でした。こちらのCDをどうぞ。
じゃぽ音っと作品情報:中島勝祐作品集(二)/創作上方浄るり /  中島勝祐

(J)