じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

大の阪(大の坂)

新潟県魚沼市堀之内に伝わる盆踊り「大の阪(だいのさか)」。毎年8月14日から16日の夕方、八幡宮の境内で行なわれます。ゆったりした七拍の太鼓の上に流れる哀調に満ちた古風な節まわしには、どこか御詠歌のような趣も混じり、また歌詞に「南無西方」ということばが繰り返し出てくることから「念仏踊り」とも称されています。

この「大の阪」(註)を私が初めて知ったのは、柴田南雄さんのシアター・ピース「北越戯譜」でこの曲が素材として用いられているのを聴いたときのこと。高校生になったばかりの頃でしたが、それ以来この節が本当に好きになり、いつかは現地へ観に行きたいと願っていました。今年の夏、ようやくその願いが叶うことになりました。

註: 以前は「坂」という漢字を当て「大の坂」と表記する例もあったようですが、1998年に魚沼市堀之内の盆踊りが重要無形民俗文化財に認定された時には、「大の阪」として登録されています。→ 「<大の阪>…国指定文化財等データベース(文化庁)」

北越戯譜」は、柴田南雄さんのシアター・ピース第3作で、わらべうたを素材とした児童合唱のための作品。まりつきやお手玉、羽子板などの遊びも歌いながら行われます。すべての音や行為は指揮者と演奏者によって即興的に組み合わされるので、演奏のたびに細部は変わります。北魚沼郡南魚沼郡長岡市の「正月さまの唄」「遊び唄」「まりつき唄」「お手玉唄」「お手玉、羽つき」「鳥追い唄」3種、「もっくらもちの唄」「わら鉄砲」「ふうせんつきうた」などが主な素材ですが、この作品の中心となるのが、子供たちによる祭太鼓と篠笛が加わる堀之内の「大の阪」です。この曲は、何回か実演に接していますが、そのたびに感動を新たにします。

ところで、「北越戯譜」というタイトルは、鈴木牧之(すずき・ぼくし)の著作『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』に因んだものだそうです。この本や、同じく鈴木牧之が書いた『秋山紀行』などの読書体験は忘れ難いものがありますが、柴田南雄さんの「北越戯譜」も、その感動の深さではまったく負けていないと思います。

北越戯譜」は、当財団が発行しているCD「柴田南雄/合唱のためのシアター・ピース」[SHM-CD増補解説版]で聴くことができます。

附属解説書には、「北越戯譜」の創作に当初から深く関わった指揮者の田中信昭さんのエッセイも掲載されています(この作品は実質的には共同創作と呼んだほうが相応しい脈絡があります)。田中さんがあるとき偶然に「大の阪」を現地で見て衝撃を受けた体験が元になって、この曲が生まれたのです。田中信昭さんのライナーノーツから、一部を引用いたします。

それより数年前、他の用で偶然新潟県堀之内町を通ったことがある。その時、ちょうど、この盆踊りを町の人たちが踊っている現場に行き会った。その優雅な歌と踊り――夕暮の八幡様の境内、黒々とした杉木立ちに囲まれた広場の中央に、高いやぐらがしつらえられ、あたりは提灯のほのかな明りに包まれている。やぐらの脚の間に大きくて長いぼんぼり様のものが下がっていて、そこに達筆に「大の坂」の歌詞が書いてある。あとで分かったのだが歌詞が二十何番まであるので、それを見ながら歌うためだそうだ。やぐらの上の古老の太鼓、ゆかた姿の子供や大人たちの踊りの輪、その輪の中に笛の列。観光客は一人もいない、町民たちだけが作り出す、えも言われぬなごやかで美しい祭りの喜びの空間。町の人の生活の中に、こんな幻想的で素晴しい芸能空間がここにある――。それにひきかえ、われわれはステージ上で何をやっているのかと、大変な衝撃を受けた。こんなことが、もし舞台の上で出来たら…と長い間願っていたことを柴田先生にお話ししたところ、「それをやりましょう」と引受けて下さり、そしてこの取材となったわけである。
次に夜になって堀之内町に赴き、郷土芸能振興会の方々による「大の坂」の歌の練習現場を訪れた。若者たちにけいこをつける様子が見られるとのことで楽しみにして行ったのだが、お年寄りと若者たちがいっしょに車座になって座り、太鼓と笛につれて一斉に歌っている。これはレッスンの前の声出しかなと思ったがえんえんと続く。四十分くらいたったろうか、お年寄りが「休憩しよう」と言って、お茶と煙草になった。私は「けいこはいつから始まるのですか」と聞くと、「もう今、やってますがな。私たちもこうやって教わりました」と言われ啞然としながら、間抜けな質問をしたものだと恥入り、これこそほんとうの伝承だと感じ入った。


以下が「北越戯譜」で歌われる「大の阪」の歌詞。

〈大の阪〉

大の阪 (ヤーレ) 七曲り駒を
(ハァ ヤレソリャ) よくめせ旦那様
よくめせ駒を 南無西方(なむさいほう)
よくめせ旦那様

[以下囃しことば省略]

てんま町(ちょう)の橋に寝て笠をとられた、川風に
とられた笠を 南無西方
とられた 川風に

三歳(さんさい)鹿毛の駒、江戸で値がする、八両する
値がする江戸で 南無西方
値がする 八両する

十三で糸をとれば、糸はほそらで身が細る
糸はほそらで 南無西方
ほそらで 身が細る

お山の下(さが)り藤、花は咲けども実はならぬ
花は咲けども 南無西方
咲けども 実はならぬ

油屋の油火は、細うて長(なご)うてとろとろと
細うて長うて 南無西方
長うて とろとろと

[以下略]

「大の坂」は、ほとんど同じ詞で、秋田県仙北郡や北秋田郡でも伝承されているそうで、なにやら興味がわいてきます。歌謡研究会が発行しているメールマガジン『歌謡(うた)つれづれ』062号で宮崎隆さんが、そのあたりのことを詳述されています。曲名の由来の謎についても・・・。そして、なんと鳥取県島根県にも「だいのさか」と歌い出す歌があるとか。いずれ、秋田の「大の坂」も聴いてみたいものです。

当財団が初CD化した『復刻 日本の民俗音楽』(CD36枚組)のなかには、昭和28年11月3日録音、新潟県北魚沼郡堀之内町(現魚沼市)の郷土芸術保存会のみなさんによる「大の阪踊」が収録されています。(Disc 14 のトラック11)

(堀内)