じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

本年、この世を去られた方々の思い出1

今年も押し詰まって今日は30日、晦日となりました。

身体だけは頑丈を身上に私はこれまでやってまいりましが、この11月、12月はそのツケが回ったか風邪、ノロウィルスと珍しく不調が続きました。皆様は1年間お元気でいらっしゃいましたでしょうか?

さて、本ブログ・オープン以来、1日も欠かさず更新を続けて来られましたのは、本ページを訪れて下さる皆様がおられることを励みとしてまいりましたからです。またブログ執筆を続けて来ました財団スタッフの頑張りも大であります。

ここ数年、日頃のブログ無筆の罪滅ぼしの気持ちもあり、年末年始のブログ担当をさせてもらっています。本年の年末ブログは、今日と明日の大晦日の2日間、今年お別れをすることとなりました方々に触れてみたいと思います。

先日テレビを観ていたら女性コメンテーター曰く「人間は致死率100%」と。なるほど、確かにその通り。皆様も今年、大切な方々を送られたことがおありだったかと存じます。ただ、また別の方曰く「本当の死とは、故人の在りし日の姿を心の中に思い起こせる人がいなくなった時だ」と。本年、この世を去られた方々の思い出を記させて頂きまして、併せてご冥福をお祈りしたいと思います。

新年早々の1月4日に千藤幸蔵先生(千藤幸蔵 - Wikipedia)が亡くなられました。千藤先生は民謡三味線方としてのみならず、その普及と後進のの育成に捧げたご一生であられました。多くのレコード会社に先生の演奏が残されていますが、当財団のCD、カセットにも多く発売されています。日本伝統文化振興財団 作品検索:人名で「千藤幸蔵」の検索結果
その中で最も最近の録音は、 2009年4月8日に発売された鈴木正夫さんのカセット・アルバムA面に収録された「相馬草刈唄」でした。じゃぽ音っと作品情報:相馬草刈唄/相馬長持唄 /  鈴木正夫 民謡のディレクター経験が少ない私ですが、ビクタースタジオや演奏会で折々にお目にかかる度、いつも穏やかな笑顔で接して下さった千藤先生の面影は今でも忘れることが出来ません。

3月15日には小唄界の重鎮として、お亡くなりになる直前まで現役そのものであられた佐々舟澄枝先生が90歳を超えた天寿を全うされて旅立たれました。佐々舟先生は本年公益社団法人となられた日本小唄連盟発足時より理事、副会長をお務めになり、また平成14年より同連盟第3代会長を務められました。
「小唄」も私のディレクター経験が少ないジャンルですが、当財団初代理事長の波多一索さんのお声がかりで、昨年CDアルバム「佐々舟澄枝の小唄」を作る機会を頂きました。小唄を隅から隅までよくご存じの先生で、特に新作小唄の作曲に大きな功績を残されました。当財団設立基金元のビクターレコードは、他のレコード会社と同様に昭和40年代は正に全盛期。赤坂プリンスホテルを借り切り、専属アーティスト、作詞作曲家、報道関係者をご招待した運動会の開催など、今振り返ると隔世の感のある、楽しいお話をたくさんお伺いすることが出来ました。

5月24日の畑中良輔先生ご逝去の知らせには、本当に呆然と立ち尽くすばかりでした。
お目にかかるといつも優しくお声をかけて下さり、仕事では「日本合唱曲全集」(日本伝統文化振興財団 作品検索:タイトルで「日本合唱曲全集」の検索結果)、「合唱名曲大系」や伊藤京子先生をはじめ、多くの方々の歌曲CDアルバムにご監修とご解説を頂きました。
特に忘れることの出来ないお仕事に、ウィーンのムジークフェラインで録音したブラームス「ジプシーの歌/愛の歌」CDアルバムがあります。日本を代表する8人のソリストの方々によるダブル・カルテットを畑中先生が指揮されたこのアルバムは、2002年6月17〜19日の3日間、「小さな宝石箱」とも称せられるムジークフェラインを借り切って録音したものです。

また畑中先生の多くのご著書の中に、「繰り返せない旅だから」との副題のついた
「音楽少年誕生物語」(音楽少年誕生物語 繰り返せない旅だから・1 - 音楽之友社
「音楽青年誕物語」(音楽青年誕生物語 繰り返せない旅だから・2 - 音楽之友社
さらに「オペラ歌手誕生物語」(オペラ歌手誕生物語 繰り返せない旅だから・3 - 音楽之友社
「オペラ歌手奮闘物語」(オペラ歌手奮闘物語 繰り返せない旅だから・4(最終巻) - 音楽之友社
の4冊の著書があり、畑中先生の子供時分から芸大卒業後のプロ歌手としてのご活躍まで、様々なエピソードを通して時代とともに移り変わってきた日本のクラシック・シーンが見事に浮かび上がってきます。ここで発揮されたのが畑中先生の恐るべき記憶力。名ソプラノと謳われた某先生から伺った話ですが、「私が何十年も前のリサイタルで着た衣装のことを畑中先生は覚えていて下さるの。私はすっかり忘れてたのだけど」。1冊目の「音楽少年誕生物語」を読み終えてすぐ、「これはNHK朝ドラにピッタリの作品、と思ったのは私一人ではないと確信しています。
またもう一つこんなエピソードも忘れられません。
ある時、CDアルバムの解説書のご執筆をお願いした某先生から、「これは畑中先生にお願いするべきよ・・」と命ぜられ、早速畑中先生にご連絡を差し上げました。その晩遅く当の某先生から本当に困ったお声の電話がありました。「ボク(畑中先生)がどれだけ忙しいか一番よく知っているあなたが、ボクに原稿を書くことを勧めるとはいったいどういうつもり」と大変なお叱りを頂いたとのことでした。ところが間をおかず、いつものように手書きの素晴らしい原稿を頂くことが出来ました。
畑中先生は、常人の何倍、何十倍ものお仕事をされ、本当に多くの方々を暖かく導いて下さった方でした。亡くなられた時からお別れの会、そして秋に至っても今年は海外での仕事が多く続きました。私は畑中先生が亡くなられたことが未だに信じられず、また信じたくない気持ちで今もおります。

(理事長 藤本)

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