じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

本年、この世を去られた方々の思い出2

いよいよ押し詰まり大晦日となりました。
今日も昨日に続き、本年この世を去られた方々の思い出を記させて頂きまして、併せてご冥福をお祈りしたいと思います。

数度の海外出張の合間となる9月7日、安藤政輝先生のCDアルバム録音に助演者としておいで頂いたのが森雄士先生でした。
森先生は、いずれも故人となられた小野衛(まもる)先生、松尾恵子先生とともに在りし日の宮城道雄師側近中の実力者として活躍されましたが、宮城師が不慮の列車事故で昭和31年6月25日に亡くなられた(http://www.sinfonia.or.jp/~manfan/kanasiki.html)後、種々の事情から宮城会から独立されることとなりました。宮城宗家を専属芸術家としているビクターでは、独立された方々の録音機会を得ずに今日に至りました。この日の録音は、半世紀を超えて森先生をビクターにお迎えすることになったのでした。
さてスタジオ内のセッティングが整い、モニタースピーカーから流れ出した森先生の三弦(三味線)の音。その音色、間などの素晴らしさ、確かさは言うに及ばず、「前歌のそこ」、「手事のここ」と、編集用テイクを録る度に迷うことなくその箇所からお弾きになる。言うなれば「曲のすべてが身体に入っておられる」ことからも、盲人であられる森先生の厳しい修業時代の一端を窺い知ることが出来ました。そして、何度も繰り返す録音にも終始笑顔でお応え下さるその全てに、私は正しく感銘を受けました。
録音終了後、日を置かず2週間近くのヨーロッパ公演に出かけ、帰国したばかりの9月23日、まったく思いもよらなかった森先生の訃報に接しました。 森先生の晩年に学ばれた奥田雅楽之一さんのブログに、次のようなエピソードが記されています。「〜先生のお稽古は思い掛けないことの連続。例えばお稽古中、先生は咄嗟に箏で尺八や十七弦のパートをお弾きになったり、三弦で箏のパートをお弾きになったり。私もしばしば頭が混乱しましたが、森先生は頭の中で鳴る音を、目の前の楽器や、或いはタイプライターで即座に打つ能力に長けていらっしゃいましたので、暗譜するスピードがモーツァルト並みであったと言っても、それは過言でないかもしれません。〜」
森雄士先生への追悼と思慕の思いが籠った雅楽之一さんのブログ全文はこちらです。(http://www.utanoichi.jp/diary2/index.html

森先生が旅立たれてちょうどひと月後の10月23日、江波戸昭(えばと あきら)先生が亡くなられました。江波戸先生は地理学者としてスタートされましたが、やがて持ち前の音楽好き、旅好きが高じて、世界中の民族音楽研究家として長年にわたり大きな足跡を残されました。
お酒(世界中の)を好まれた先生との出会いはもう30年近く前に遡ります。その後、短い期間移り住んだ大田区の自宅が、路地を挟んで江波戸先生のご自宅と隣り合わせでしたため、始終お寄りしては民族音楽談義を伺う機会を得ました。冬場に屋上のアンテナを直していて、凍った足元を滑らせ腰を強打した時は、ご自宅から偶然ご覧になっていたそうで、「急に姿が見えくなって、下に落ちたかと思った・・」と後でからかわれたこともありました。
LPレコード時代からたくさんアルバムにご執筆下さいましたが、JVCワールドサウンズ「スマトラ島バタク族の歌声/シンシンソ」CDアルバムは、江波戸先生面目躍如の1枚です。世界中の音楽の場を自らお訪ねになった貴重なアーカイブの中から選ばれたこのアルバムは、かつて‘首狩族’として周囲から恐れられたバタク族が今日まで伝えてきた極めて美しいメロディーを持つ多くの民謡を収録しています。もちろん、企画・構成・録音・解説・写真のすべてを先生自身がされました。
どこの国のものとも分からない江波戸先生お奨めの強いお酒を、馬刺しの中でもとりわけお好きだった「タテガミ」を肴に、これもまた大好きでいらしたスイス・アルプスの音楽を聴きながら、見知らぬ国の音楽のお話を伺う・・。その願いはもう叶わなくなってしまいました。

そのひと月後の11月24日、モダンダンスから児童舞踊の世界までに大きなご功績を残された平多房子先生が旅立たれました。房子先生は創立60周年を超える今日まで、亡くなられた夫君の跡を継ぎ平多正於舞踊研究所(http://www.hirata-masao.com/)を主宰され、また東京都大田区の「こまどり幼稚園」の現役の園長でもありました。これまで、男女多数の指導者を擁し、活発な芸術舞踊活動を行って来られ、特に児童舞踊においては長年に亘りビクター専属として企画、作詞、振付を行い、全国の学校、幼稚園、保育園を対象にリズムダンス研修会を開催する等、その発展に大きく寄与されました。また一方、絵筆をとっては玄人はだし、趣味のゴルフでは大きな大会でしばしば優勝し、女子ゴルフ界を代表する樋口久子さんにプロへと誘われたことがご自慢でした。
当財団ではビクターから引き継いで運動会、発表会のCDアルバムを毎年刊行しておりますが、今年8月初めの「発表会」アルバム(http://gogo.japo-net.or.jp/h12/)に収録した曲の作詞が房子先生の絶筆となりました。
流行に左右されることのない作品作りに強い信念をお持ちで、身体表現を通じた子供たちの情操教育に捧げられたご一生でした。
桐ケ谷斎場で執り行われたご葬儀には、1500人に及ぶ方々が弔問に訪れました。おそろいの制服を着たたくさんの子供らが一所懸命手を合わせていた姿を、いつもの柔らかな眼差しでどこか高いところから房子先生はきっとご覧になっておられたことと思います。

例年に比べてずいぶん寒い日が続く師走も中旬に差しかかる12月10日、小沢昭一さんが亡くなりました。「〜それはあしたのココロだぁ・・!」の名文句で毎回エンディングとなる「小沢昭一的ココロ」の新録音放送がお休みとなってだいぶ経ち、この日が来るのを心のどこかでずっと恐れていました。かつて「芸能」の仲間に入れてくれなかった数多くの「巷の芸」に新たに光を当て、国民の多くにその真価を知らしめた功績は誠に大でありました。放浪芸、ストリップ、白黒歌合戦など、レコード、カセットからCDアルバムまで小沢さんが全国を旅してドキュメントした芸能のアーカイブは、これからも生き続けていきます。

暮れもいよいよ押し詰まってきた12月24日、箏曲家・作曲家として1960年代のアメリカで大成功を収められた衛藤公雄先生が亡くなられました。カーネギーホールリンカーンセンターでのリサイタル、映画「オーケストラの少女」、ディズニーの名作「ファンタジア」の指揮者として名を馳せたレオポルド・ストコフスキーとの共演も数度に及び、武道館での日本フィルハーモニーとの共演は今も語り草となっています。また、ストコフスキーハリー・ベラフォンテと共演したレコードも知られています。私が衛藤先生のLPレコードをビクタースタジオで録音させて頂いたのは1980年でした。お箏は右手の親指、人差し指、中指の3本にはめた箏爪で演奏し、その音色を「爪音(つまおと)」と称します。スタジオのモニタースピ−カーから流れ出した衛藤先生の爪音は、品格と情感を見事に兼ね備え、そのただ一音の魅力に惹きつけられことを良く覚えています。人の声が異なるように爪音も演奏者によって様々に異なりますが、衛藤先生の美しい爪音が全米の聴衆を魅了したであろうことに全く疑いの余地がありません。
なお、ご長男の弘幸さんがビクターの先輩ディレクターだったご縁と、次男のスティーヴ エトウ、三男のレナード衛藤両氏はいずれもパーカッション、太鼓の世界で名声を博しておられることも併せてご紹介します。

さて今年一年間はまだまだたくさんの方々との惜別の年でした。昨日から2日にわたり、忘れられない思い出とともに振り返って参りましたが、本ブログの終わりにもう一人、我が財団のかけがえのない仲間だった松林深(まつばやし ふかし)さんについて記させて頂きます。
これを青天の霹靂と呼ぶのでしょうか、前年末の休みに入ってからも一緒にプランニングしてきた邦楽グループ‘WASABI’の録音に共に立ち会った松林さんの訃報が,正月休みの開けた1月5日に届きました。コロムビアで23年間の実績を持つプロモーターとしての力を、新たに当財団で大いに発揮していた最中のことでした。
酒を愛し、仲間を愛し、周囲を盛り上げ、時間を厭わず仕事に没頭し、その上、超の付く几帳面さで細やかに仕事をこなし、また一面、「クルクルパア」など独特の大いにラフな言い回しで後輩を励ましてきた彼には、コロムビア時代からのファンがたくさんいて、真冬の寒さの中で執り行われた告別式には500人を超える方々が、彼を見送るためにご参列下さいました。
コロムビアからのデビューで松林さんがプロモーターを務められた歌手、弓純子さんのブログ(http://ameblo.jp/junko-yumi1224/entry-11133161536.html)に、松林さんのはじけた写真と彼らしい人となりが紹介されています。

さて、お別れはいつも悲しく寂しく。けれども、別れのない人生もまたありません。

大中恩先生の歌曲集「ひとりぼっちがたまらなかったら」(収録CDはこちらです:http://search.japo-net.or.jp/item.php?id=VZCC-1015)で知った寺山修司の詩『幸福が遠すぎたら』。この素敵な人間賛歌を最後に記し、いろいろなことがあった本年に「別れを告げたい」と思います。

それでは皆さま、どうぞよい新年をお迎えください。


『幸福が遠すぎたら』

さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう

さよならだけが人生ならば めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば 建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません



(理事長 藤本)

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