じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

三ツ山大祭(兵庫県姫路市)


今年3月31日〜4月7日の間、姫路市播磨国総社(はりまのくにそうしゃ)射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)の祭礼として、二十年に一度行われる「三ツ山大祭(みつやまたいさい)」が行われました。「三ツ山」神事は、昭和49年(1974年)3月に「兵庫県指定重要無形民俗文化財」と認定されています。
http://sohsha.jp/main/info/info.html
以下はこの公式HPより抜粋→第二二回式年 三ツ山大祭 開催:平成25年3月31日~4月8日|重要無形民俗文化財 総社 播磨国総社 射楯兵主神社

「三ツ山大祭」とは…
総社では、古来より臨時に行われてきた重要な2種類の祭礼があります。
時代の変遷は経ていますが、現在は60年ごとに「丁(てい)卯(ぼう)祭/一ツ山大祭」20年ごとに「臨時祭/三ツ山大祭」が執り行われています。

起源は、藤原純友の乱平将門の乱を鎮定するため、天慶2年(939年)に斎行された「天神(てんしん)地祇(ちぎ)祭」に由来するとされていますが、はじめは式年(定まった期間)ではなく、天災や特に国中安泰を願う時、不定期に執り行われていました。

三ツ山大祭が式年となったのは、天文2年(1533年)播磨国守護職 赤松政村(晴政)の下知による時からで、20年に一度行うことが定められてから後も、播磨国の平安と発展を祈るお祭りとして、今日まで一度も途絶えることなく継承されています。

三つの山にはそれぞれ二色山/五色山/小袖山と呼ばれ、二色山には播磨国の大小明神、五色山には九所(くしょ)御霊(ごりょう)大神、小袖山には天神地祇(国中の神々)をお迎えします。
お迎えした神々を本殿の神様「射(い)楯(たて)神」・「兵主(ひょうず)神」が、この時特別に神門の屋根の上に設けられる門上殿までお出迎えし、三つの山にお迎えした神々を接遇されて、共に国の平安と発展を祈ります。


射楯兵主神社は姫路駅から見て、姫路城手前の公園のそのまた右手前に位置しています。冒頭画像の三つの造り山は、全国より八百万(やおよろず)の神々を山の頂に設けた山上殿(さんじょうでん)にお迎えするための「置山(おきやま)」です。

それぞれの大きさは、高さ18メートル直径10メートルで、一番奥から白と浅黄色二色の布が巻かれた「二色山」、真ん中が青、黄、赤、白、紫の五色の布で巻かれた「五色山」、一番手前が色とりどりの小袖の着物をパッチワークのように貼り付けた「小袖山」。「小袖山」にムカデがついているのは、俵藤太(たわらのとうた=藤原秀郷)のムカデ退治の様子を人形で飾っているようです。

射楯兵主神社の近くの兵庫県立歴史博物館では、特別企画展の「姫路・城下町の祭礼 ー播磨国総社の三ツ山大祭ー」が1月26日〜4月7日の期間開催されていましたので、こちらでこの祭りの由来と歴史を学ぶことができました→兵庫県立歴史博物館

4月3日の14時から、姫路城の三の丸広場にて三ツ山大祭のクライマックスとも言える、五種神事(流鏑馬 一つ物 弓鉾指 神子渡り 競べ馬)が行われました。「日本さくら名所100選」の一つとされる姫路城はこの日ソメイヨシノがまさに満開でお花見の方も多く、会場には沢山の見物客が集まっていました。以下は博物館にあったチラシから。

流鏑馬(やぶさめ)… 的に矢を放ち、その年の吉凶を占う神事
一つ物(ひとつもの)… 一つよりない神聖なものを意味し、神の依り代とされる神事
弓鉾指(ゆみほこさし)… 神の依り代であるとされる弓をささげ持つ神事
神子渡り(みこわたり)… 邪気を祓い清め、福徳をもたらすと考えられた神事
競べ馬(くらべうま)… 馬が順調に走るか否かで、その年の稲作の豊凶を神意に伺う神事


この神事の奉仕者小笠原流の方々です。流鏑馬は何度か的に命中して、オーッ!!っという観客の歓声があがりました。

射楯兵主神社の境内や姫路城の大手前公園、城から姫路駅まで続く商店街の中などに「造り物」が展示されていました。公式HPの行事案内によると市内10ヵ所の展示です。昔から伝わる話の名場面を人形で飾っていますが、かつてはこれがかなりの呼び物となっていたようです。「三ツ山大祭 造り物」等で検索すると、ブログなどにアップされているかたが多くいらっしゃいました。例えば→散策とグルメの記録
奉納された横綱白鵬の土俵入り、「御神能」や関西雅楽松風会による舞楽など、時間の都合で観れませんでした・・・次回開催は二十年後ですね〜やっぱり長い!
映像あり→http://www.asahi.com/national/update/0331/OSK201303310049.html

(J)