じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

鬼太鼓座クロニクル (SACD 6枚組)

往年のオーディオ・ファンを驚愕させた伝説の和太鼓集団「鬼太鼓座(おんでこざ)」がこの度SACDで甦りました。来月8月10日に初のSACD(6枚組ボックスセット)として発売されます。「鬼太鼓座」をご存知な方はあまり多くないかもしれませんが、今を時めく「鼓童」や全世界に和太鼓ブームを巻き起こしたパイオニアとしてその存在感を今もなお顕示しております。そのボックスセットの内容を数回に分けてご紹介して参ります。今回は「鬼太鼓座」のプロフィールと収録されているディスク1のアルバムについてご紹介いたします。

鬼太鼓座の歩み>
1969年、創始者であり、主宰者の田耕(でん たがやす)により、新潟県佐渡ヶ島にて「鬼太鼓座」を設立。伝統音楽を現代に再生するという命題のもと、音楽教育にマラソンを導入する卓抜した方法で、精神と肉体、リズム感覚を養う激しい訓練を受け、1975年ボストン・マラソンに参加。全員完走後、ゴール地点で大太鼓を叩き、アメリカ中をアッといわせるデビューを飾る。ボストン交響楽団指揮者、小沢征爾氏に認められ、翌76年ボストン交響楽団と共演。作曲家石井真木氏の「モノプリズム」を演奏。レナード・バーンスタインアイザック・スターン氏等の絶賛を受ける。この作品は同年の尾高賞を受賞した。その後、ほぼ毎年ヨーロッパ、アメリカを中心とした海外公演を行い、和太鼓、尺八、三味線、笛等の和楽器による日本の伝統的なリズムをベースとした現代的な舞台づくりで、日本文化を海外に紹介している。1982年、長崎県雲仙に居を改め、さらに訓練を続け、モントルー・ジャズフェスティバル(スイス)、打楽器フェスティバル、ボーブール・センター(パリ)他のイベントに参加。86年再びボストン・マラソンに参加。また、カナダでのEXPOに出演。アメリカ各地を公演してまわり、87年のヨーロッパ・ツアーでは、ベルリン市制750年祭に参加して、テンペラホッフ飛行場にかつてのウッドストックの2倍の60万人の観客を集めた。オランダ、ドイツ、スイス、オーストリア各地にて公演を行い、88年カナダのモントリオールエドモンド公演の後、熱海ニューフジヤホテルにて「鬼太鼓夢囃子」(1年間572回)の舞台を踏む。1990年10月のニューヨーク・マラソンを皮切りに、アメリカ合衆国26,000kmを一周してカーネギー・ホールの公演で締めくくる。フランスのパリで行われた「クリスチャンディオール2002年春夏オートクチュールコレクション」にてデザイナーのジョン・ガリア—ノ氏から依頼を受け、DJとコラボレーションによる演奏を披露。 世界各国の招待客・マスコミから大絶賛を受ける。2004年4月19日、第5期鬼太鼓座の若者達が再びボストンマラソンへ挑戦し、完走後すぐに舞台へ駆け登り、世界平和を願う魂の太鼓を奏でる。 鬼太鼓座は現在も活動をつづけている。

<SACG-30005>
アルバム・タイトル:「座鬼太鼓座/ ZAONDEKOZA」
LPレコード番号:SF-10068(1977年3月25日発売)
タスキ・キャッチコピー:
走り・叩き・踊る、世界に響け!
佐渡の荒海にもまれた鬼太鼓座の太鼓の叫びは、世界にとどろいた!
昨年、西ベルリンでの「メタムジーク・フェスティバル」において、若者の間に“センセーション”を巻き起こした強烈でエネルギッシュな響きが、ここにある!!

収録会場:入間市市民会館(埼玉県入間市
収録日:1976年12月22日〜23日
プロデューサー、録音ディレクター:黒河内茂(くろこうじ しげる
録音エンジニア:寺尾壽章(てらお としあき
録音レコーダー:3M M-79 (16chアナログ・レコーダー)
テープ速度:76cm / sec
トラックダウン・スタジオ:ビクター青山スタジオ第1編集室
トラックダウン・エンジニア:寺尾壽章
トラックダウン再生レコーダー:3M M-79 (16chアナログ・レコーダー)
トラックダウン録音レコーダー:Ampex ATR-100 (2ch アナログ・レコーダー)
テープ速度:76cm / sec
SACDマスタリング・スタジオ:ビクタークリエイティブメディア(株)マスタリングセンター
マスタリング・エンジニア:杉本一家
マスタリング再生レコーダー:ステューダー A-820 (2ch アナログ・レコーダー)


〈収録曲〉
1. 大太鼓
2. 尺八本曲 阿字観
3. 津軽三味線
4. 屋台囃子



1977年に発売されたこの鬼太鼓座ファーストLPアルバムは、予想を大きく超えた反響を受け、続編の制作プランが早速練られた。翌年このアルバムは、「鬼太鼓座 Vol-1/ ONDEKOZA 1」とタイトルが変わり、褌ひとつで立った長髪の林英哲が舞台の大太鼓に向かっているモノクローム写真が使われたジャケットは、佐渡ヶ島の海の岩場に坐った打ち手が右手の中太鼓に撥を振っているカラー写真へと変更された。むろんレコード番号も改められ、以後3枚のシリーズが続けて発売された。また、お気づきとは思うが、オリジナルLPのタイトルは「座鬼太鼓座/ZAONDEKOZA」。誤植ではなく名前の前後に「座」がついている。創設以来の正式名称は「佐渡鬼太鼓座」だったと思うが、何故この「座」がアタマにも付いたのか、田さんに尋ねる機がなかった。ただこの「座鬼太鼓座」に田さんは思い入れがあったようで、佐渡ヶ島を去って新たに立ち上げたメンバーによる新生鬼太鼓座でも、何かの折にこの「座」付きの名称を見かけたことがあったように記憶している。鬼太鼓座初のLPレコード録音を担当した寺尾壽章は、それまでのレコードでは充分に再現出来ていなかった、腹に響くような低音、心躍らせる太鼓の響きを余すところなく録音・再生するために、「出た瞬間の音の立ち上り」を捉えるコンデンサー・マイクロフォンと「その後に続く音の余韻と響き」を捉えるリボン・マイクロフォンを2本並べ、太鼓用の近接マイクロフォンとして使用する「ダブル・セッティング」を独自に考案した。この卓抜なアイデアで新たな命が吹き込まれた太鼓の音こそが、現在まで鬼太鼓座のレコード、CDに大きな期待を持って寄せられている、その「音の魅力」の原点となった。また録音開始当初には、プロ仕様のドルビーAノイズ・リダクション・システムを使用し、通常のテープ速度である38cm / secでのアナログ・マルチ録音を予定していたが、現場での再生音が寺尾ミキサー(当時は録音エンジニアをミキサーと呼んでいた)のイメージと大きく異なったため、急遽ドルビーを使用せずテープ速度が倍76cm / secでの収録を決断した。しかし、この場合録音可能時間は当然半分となる。予定していた録音テープ本数では足りないため、至急追加でテープを取り寄せることになった。ただでさえマイクロフォン・セッティング、機材設営など本当に忙しいホール出張録音の現場で、生テープの追加を必要とする事態に際して下したこの決断によって、その後生み出された鬼太鼓座レコードの方向性が定まったと言って良い。今にしてなお、その意味の重さが良く判るエピソードだ。もうひとつ、今や世界的尺八奏者となったライリー・リーが、おそらく初めて吹き込んだ「尺八本曲 阿字観」は、これまでCD化されたことがまったくなかった音源で、今回のハイビット・デジタル・マスタリングによって、LP盤以来長らくお蔵入りとなっていた渾身の演奏が甦ることとなった。(藤本 草)

                                      

(Yuji)