じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

陰翳礼讃

最近、実家の田舎を整理しましたところ、塗りのお椀など食器が沢山出てきました。古いもので、しかも物がよさそうなものもあり、有り難く一部を頂戴して、私の自宅で使っております。漆塗りは木なので軽い上に支えている手が熱くなく、その温かで美しい質感はやはり「ウレタン塗装」とは異なり、そのものに深い愛着を感じます。

※谷崎 潤一郎 (著) 中公文庫

そうして昨日も味噌汁の入ったお椀の朱色を眺めながら、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」を思い出していました。谷崎といえば、『春琴抄』『細雪』『刺青』『卍』・・・あたりを思い出される方が多いのではないでしょうか。私自身、谷崎の作品の中にこんなエッセイがあるとは知りませんでした。そして、知人の「日本の美、に興味があるなら読むといいよ」と勧めの言葉にしたがい、半年ほど前に読みました。

※英語版。谷崎 潤一郎 (著), エドワード サイデンステッカー (翻訳), トーマス ハーパー (翻訳)

谷崎潤一郎によると漆器のよさとは、このようなものであると書かれています。

● 陶器は手に触れると重たく冷たく、しかも熱を伝えるのが早いので熱いものを盛るにも不便であり、その上カチカチという音がするが、漆器は手触りが軽く、柔らかで、耳につく程の音を立てない。私は吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたたかい温味とを何よりも好む。
● 漆器の椀のいいところは、まずその蓋をとって口に持っていくまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。
●日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。・・・・事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。

そして、漆器の肌だけでなく、蒔絵(まきえ)などを施した工芸品の美しさも、かつて日本人の家屋、奥深くに垂れ籠められた「闇」の中にあってこそ美しさが映えるように作られたものだった・・・と続きます。

今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵(まきえ)などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭(ろうそく)のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。

同書には、金糸をふんだんに使った能の装束の美しさも、闇の中の灯のもとだからこそ引き立つもの、と書かれています。さて、財団から発売されている蝋燭能のDVDシリーズ。下の画像は蝋燭能 — 鬼づくしの二夜(ふたや) — 第一夜「鉄輪(かなわ)」  より。こちらは、かつて近代化される以前の日本で能が楽しまれた情景をそのままに、闇に、高さ1メートルの巨大蝋燭とそれに従える数百本の蝋燭を灯して上演された能の映像です。見る人の心は昔へといざなわれ、本来の能の幽玄が垣間見られることでしょう。

(弘)