今回はDisc 7(1988年)の指揮者「若杉 弘」氏のプロフィールをご紹介させていただきます。
若杉 弘(1935〜2009)
Hiroshi Wakasugi
東京生まれ。慶応大学経済学部を中退後、東京芸大音楽学部声楽科に入学し、畑中良輔に師事した。1959年、芸大在学中に二期会公演《フィガロの結婚》で指揮デビュー。同年4月に指揮科に移り、卒業後は指揮専攻科で伊藤栄一と金子登に、また学外で斎藤秀雄に学んだ。同専攻科修了後にNHK交響楽団の指揮研究員となり、1965年からは読売日本交響楽団の指揮者を務め、シェーンベルク《グレの歌》やペンデレツキ《ルカ受難曲》を日本初演するなど、活発な活動を展開した。1969年から東京室内歌劇場音楽監督、72年から75年まで読売日本交響楽団常任指揮者、86年から95年まで東京都交響楽団音楽監督(87年からは首席指揮者兼任)を務める。一方で、ヨーロッパでも高く評価され、77年から83年までケルン放送交響楽団の首席指揮者、81年から86年までデュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラの音楽総監督、82年からドレスデン国立歌劇場とシュターツカペレ・ドレスデンの常任指揮者、87年から91年までチューリヒ・トーンハレの芸術総監督と同管弦楽団の首席指揮者として活動した。若杉は、音楽史上の重要な作品を多数紹介し、それらの真価を伝えるとともに、新たなレパートリーを開発し続ける意義を知らしめた点で、日本音楽界において最も重要な役割を果たしたひとりと位置づけられる。彼が日本初演した作品は、モンテヴェルディ《ポッペアの戴冠》(1966)、ワーグナー《パルジファル》(1967)、《ラインの黄金》1969)、R・シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》(1971)、ブリテン《ヴェニスに死す》(1998)など、広範な時代と地域にわたっている。晩年は、日本にオペラ上演文化を定着させることに情熱を注いだ。1998年から2007年まで、滋賀県立芸術劇場(びわ湖ホール)の芸術監督としてヴェルディ未上演作品の日本初演に取り組み、2007年からは新国立劇場オペラ部門の芸術監督を務め、B・A・ツィンマーマン《軍人たち》(2008)の日本初演などを主導した。都響とのマーラー交響曲全集、シュターツカペレ・ドレスデンとのワーグナー、ベートーヴェン、マーラーなど、録音も多数残している。NHK交響楽団の定期公演には、1986年から登場し、95年に正指揮者に就任。オネゲル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》の原語版初演(1989)など、意欲的なプログラムで演奏を繰り広げた。
(井上征剛)
(Yuji)
じゃぽ音っと作品情報:NHK交響楽団 1980年代編 ベートーヴェン:交響曲 第9番「合唱」ニ短調 作品125('80-'82, '86-'89)(7枚組) / ラルフ・ワイケルト、ズデニュク・コシュラー、オットマール・スウィトナー、ベリスラフ・クロブチャール、フェルディナント・ライトナー、若杉弘