じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

複製芸術としてのレコードを想う〜諸井誠作曲「有為転変」の再演を機に

去る6月10日、国立劇場の自主公演「現代邦楽名曲選〜創作の軌跡」の中で、諸井誠作曲の「有為転変」が上演された。三人の演奏者が位置を変えながらアドリブを交えて演奏するこの曲は、1972年、諸井の空間音楽の一頂点とされる「S.M.のためのシンフォニア−伸」(演奏:宮下伸)をレコード化するにあたって、レコード会社(ビクター。当財団の基金元)がB面収録用に委嘱したもので、1973年、『諸井誠 和楽器による空間音楽』のタイトルで4チャンネル・ステレオ(CD-4)方式レコード(CD4K-7518)として発売された。4チャンネル・ステレオとは4台のスピーカーを前後左右に配して聴く立体音響装置のことで、日本ビクターが1970年に開発し普及に力を入れていた。

 

このような経緯で創作された「有為転変」が50年の時を経て名曲として選ばれた背景には、現代邦楽の歩みにおける移動演奏を用いた創作と実演への評価があったものと思われる。当時のレコード解説によると、本曲は「ステージでの演奏との両立性を考慮して作曲されているが、4チャンネル音場内での三人の演奏(尺八、箏、打楽器)のポジションや移動による音場の移り変わりが音楽的重要性からいえば優先しており、ステージ演奏の場合はその動きをステージ上の演奏の動きに移し変える」のだという。今回の演奏はまさにこのステージ演奏化を実現したものだ。酒井竹保(尺八5管)、宮下伸(十三絃箏、十七絃箏)、藤舎呂悦(小鼓、太鼓、締太鼓、打楽器)の三人によって初演されたこの曲を今回は長谷川将山、中井智弥、住田福十郎という若き実力者が演奏した。舞台は作曲時に構想されていた「三人の奏者が己れを主張し、ポジションを確保するために相争うころから生まれる緊張や弛緩の音楽的表現」(同解説)が遺憾無く発揮されたものとなり、会場からは万雷の拍手が送られた。

 

4チャンネル・ステレオはその後普及することなく、そのためのレコードが作られることもなくなった。作曲者や演奏者とレコードの録音再生技術とが相互に影響し合いながら新しい音楽が創作されていた当時は、今から思えばレコード会社が新しい音楽の創造に積極的に関わった時代であった。時代が下り、今や音楽創作は一個人で完結するパソコン上でのプログラミングが主流となり、生楽器やボーカルをダビングする録音はあっても大きなスタジオやホールを利用して実験的な録音が行われることはアコースティックやオーケストラなど一部の音楽を除き稀である。折しも、雑誌『レコード芸術』がこの7月号をもって休刊となった。録音を音楽作品として評価して論ずる貴重な場を失った今、複製芸術としてのレコードの存在意義を誰かが語り継いでいかねばならない。

 

立体音響については映画の音響技術を用いたドルビー・アトモスという方式が近年登場し、音楽制作の現場にも取り入れられるようになってきていると聞く。今回の「有為転変」の再演に触れ、空間音楽に限ったことではないが、録音再生技術の進歩を担うレコード関係者と作曲家や演奏家がもう一度関係を深め、複製芸術としてのレコード(録音、編集を経ていったん音源として固定されればメディアはCDでも音楽配信でも構わない)の美的価値を今後も維持し、高めていくことに自覚的であらねばならないとの思いを新たにした。

(茶目子)