じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

浅草神社『舟渡御』

昨日の日曜日、54年ぶりに斎行された浅草神社の「舟渡御(ふなとぎょ)」を見てきました。天気は生憎の小雨模様で肌寒い一日でしたが、神輿の周囲は大変な熱気にあふれていました。

『浅草で「舟渡御」54年ぶりに再現』(読売新聞ニュース)

浅草神社のホームページ内に、今回の「舟渡御」を特集したページがあります→

「江戸時代には、御縁日である3月18日の大祭前夜(17日)浅草神社御神体がお移りになられた一之宮・二之宮・三之宮三基の御神輿を観音本堂外陣に「お堂上げ」にて安置し、観音様と三社の三人の神様に共に一晩を過ごして頂きました。」


つまり、このお祭では、仏事と神事が同時に行われるのです。江戸時代まで、日本の宗教は神道と仏教が関連し合った神仏習合のかたちが自然なものでした。しかし、江戸時代の半ば以降からこれらを分けようとする考えが発生し、江戸末期から明治元年にかけて神仏分離令が通達されました。

さらに、明治政府によって神道を国の宗教の中心に据えようとしたこともあって、全国に廃仏毀釈運動が起こり、仏教の勢力は衰微し、全国の神事や祭の形態にも大きな変化が生じました。具体的に言うと、お寺と神社が共同で行う儀式や祭が二つに分けられたり、変質して片方に取り込まれたりすることが起こりました。

またこれとは別に、神懸かりなどを伴う神楽など、いくつかの民俗芸能が非科学的で前近代的であるとして禁止されたりもしました。その当時の日本はともかく近代化を急いで西洋の合理思想に照準を合わせていたわけです。

現在は、神仏分離令はもはや無効となっています。しかし、一旦破壊された仕組みは、とりわけそれが宗教に関するものである場合、簡単には元には戻せません。こうした悩みは、ある神社の宮司さんからも伺ったことがあります。

浅草といえば5月の三社祭が有名ですが、その起源は、正和元年(1312年)に三社の神話に基づいて行われた「舟祭」にあるそうです。そして今年2012年は、この三社祭が斎行されてから700年目という大きな節目の年に当ることから、このたび、当時の「舟祭」を『舟渡御』として再現・斎行することになったそうです。

これは大変資金を要する祭事でしょうが、浅草神社及び浅草神社奉賛会をはじめ、地元の方々の協力があってようやく実現できたのだろうと思います。さらに、神仏習合だった時代の祭を甦らせたことは、ひじょうに大きな意味をもつことだったと思います。


見る場所を吾妻橋の上に決めて、待つこと1時間。


舟の並び方を頭に入れて。お、近づいてきました。
 


凄い、凄い!
  
  


このあと、舟は両国橋まで行ってから駒形橋まで戻り、そこで三つの神輿が陸(おか)に上りました。
午後6時からは、宮神輿渡御。雷門から、仲見世を通って、浅草寺本堂前へ。神輿の通った後には何足もの草鞋が散乱(!)。
  
 


そして、浅草神社境内へ。神輿庫入れの後、7時に宮神輿御霊返しの儀が斎行されて終了。
 


帰りには神谷バーに寄ってデンキブランを一杯。素晴らしい休日になりました。

(堀内)