じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

落語の世界は深い!part10

あっという間の1年が過ぎようとしている今日この頃、年末、そして新年を迎える準備で慌ただしくなってきておりますが、その昔は年末になると、どの家でも一年の締めくくりとしてお坊さんに来てもらっていたようです。いろいろな家をお経を上げるために忙しく走り回るお坊さんの様子から、12月は師走と呼ばれるようになった、とのこと。
そんな「年末」に触れた落語の噺がないか、と探したところ、「文七元結」「芝浜」という演目がありました。本日は、その二つの噺をご紹介いたします。
まずは、「文七元結」。「ぶんしちもっとい」と読みます。
弊財団からは、五代目古今亭志ん生師匠の作品があります。
◆ ビクター落語 五代目 古今亭志ん生(2) 文七元結/火焔太鼓
左官の長兵衛は、腕は良いが博打にはまって大きな借金を抱えてしまう。年末になり、あといくつかで新年を迎えるというある日家に帰ると、娘のお久が昨晩から行方がわからなくなった、と女房のお兼が困り果てていた。いなくなった理由は、実は、お久が身を売って金を作り、両親仲良く暮らせるようにするために、吉原の店へ来たのだ、ということ。聞きつけた長兵衛がその店を訪ねたところ、店の女主人が、一年後の大晦日までに返せば、お久には客を取らせない、と五十両を貸してくれる約束をしてくれた。
この話にさすがの長兵衛も、まじめに働いて借金を返そうと決意。やがて五十両を手にし、仕事からの帰り道、橋から身を投げようとする文七と出会う。店の集金五十両を掏られたので死んでお詫びをすると言う。身投げをやめさせようといくら説得しても聞かないので、とうとう手持ちの五十両を渡すことに。そんな文七が店に戻ると、置き忘れた五十両は、先方に忘れていたということで、戻ってきていた。何とかして長兵衛の家を探しだし、五十両を返そうとする文七。しかし、長兵衛は受け取りを拒む。それでも無理に引き取らせ、さらに吉原からお久も身受けして連れて帰って来た。その後、文七とお久が夫婦になり、元結屋を始め、そして繁盛した、という人情噺。
幕末から明治にかけて、名人と言われた三遊亭圓朝師匠の作だとされています。しかし圓朝が発表した時には、それほど関心を持たれていませんでした。この噺を大きな人情噺にしたのは、四代目三遊亭圓生師匠。四代目は圓朝の直弟子で、これが圓生の弟弟子に当たる三遊亭一朝師匠を経て、五代目圓生へ、さらには六代目圓生へと伝わりました。また八代目林家正蔵師匠や、志ん生へと横の広がりもあって、この噺の格がさらに上がった、とのことです。
続いての噺は、「芝浜」。
文七元結」と同じく、五代目古今亭志ん生の作品をご紹介。
◆ ビクター落語 五代目 古今亭志ん生(14) 芝浜/抜け雀/お血脈
毎日大酒を飲み、ろくに仕事にも行かない旦那と喧嘩ばかりしている女房。そんな旦那がある日大金の入った財布を拾うことに。嬉しくなってまたもや飲み明かし、翌日目を覚ますが、女房には、夢でも見たのか、と言われる始末。ろくに働きもしないからそんな夢を見たんだろうと、改心して一生懸命働くようになり、数年後には店を構えるほどの生活ができるようになります。そんな年の暮れ、実は女房が財布を隠していた事(奉行所に届け、落とし主が結局現れず)を打ち明けます。しかし、旦那はそれを怒る事はせず、逆に女房に感謝します。こんなに立派になれたのも、旦那の稼ぎのおかげ、とお酒を勧める女房。そこで旦那がひとこと。「よそう、また夢になるといけねぇ。。。」
年末ジャンボ宝くじを買って、勝手にあれこれ夢を見ている私は、やっぱり「そんなムダ使いせずに、目を覚まして、せっせと働きなさい! 」と言われるのかも。。。というわけで、今回のブログはここまで。

(よっしゃん)