じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

初夢

新年2日。

本日の東京は眩しい陽射しの一日でした。
気温も14〜5度の3月の陽気でしたが、明日からまた急な冷え込みが予報されています。
暮れから大荒れの天気が続いている北陸から東北地方、北海道にお住まいの方々にはくれぐれもお見舞い申し上げます。

余談ですが我が財団スタッフも南は鹿児島から北は秋田まで、出身地がだいぶワイド?になってきました。

さて皆さま、初夢はご覧になりましたか?

「初夢」とは、大晦日の晩に眠り元日の朝に目覚めるまでに見る夢でなく、元日から2日にかけて見る夢、というのが今は一般的でしょうか。
江戸時代後期には「2日から3日」つまりこれからおやすみになって明日の朝までに見る夢のことだったそうです。ウィキペディアにその辺りが詳しく記されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E5%A4%A2

今日のブログは、私の初夢をご紹介したいと思います。と言ってもこの「夢」は、実はずっと以前から思い願っていること。


では皆さま、ちょっと極端な私の「初夢」にお付き合いください。


鎖国のススメ」

中世・ルネサンス音楽研究家の皆川達夫先生は、少年時代から謡曲や仕舞をたしなみとして習われていた。
中学一年生の頃初めて観た能「巴」に感動し、旧制高校では能楽研究会を作るほど能狂言に傾倒、初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、桜間弓川といった昭和初期の名人の舞台に触れられたことは「今も心に生きている大きな財産である」と述べられている。その皆川先生の数ある業績の中にオラショ研究がある。
http://www.yk.rim.or.jp/~guessac/orasho.html(「オラショグレゴリオ聖歌とわたくし」)


オラショとは江戸時代に200年以上続いた鎖国期の厳しい弾圧の中、隠れキリシタンとして命をかけて口伝えだけで受け継がれてきたラテン語聖歌や典礼文で、その実際の音の記録を「CD&DVD版 洋楽渡来考」(平成18年弊財団刊)でお聴き頂くことが出来る。
http://search.japo-net.or.jp/item.php?id=VZZG-1

西欧文化流入を頑として拒む鎖国は様々に弊害を生じたが、反面、日本独自の文化が大いに花開いた遠因とも考えられ、この時期に生まれ、発展した日本文化は少なくない。

大政奉還と開国を経て、明治12年文部省内に音楽取調掛が設けられて以来今日までの100年余りに渡って、日本は世界で類例のない自国の文化、特に音楽・芸能文化をないがしろにする国となってきた。
その結果は火を見るより明らかで、古典芸能のレコード制作に携わる私の実感として、伝統芸能を楽しむ人たちの数はここ30年に10分の1以下になっているのではないだろうか。

一世を風靡した娘義太夫浪曲の例を見るまでもなく、一時期のブームは廃れる前兆であり、演者の数がその時代の需要に足りていれば良いという考えなどはもってのほかだ。最も重要なことは芸の真価を理解する聴衆を増やすことだが、実際のところ教える人と習う人はいても、かつての大名人のように真髄を聴かせ、またそれを聴いて楽しみたい人々は著しく減少している。このままでは日本古来の芸能は、やがて博物館の遺物のように護られながら形だけ残ることになる。

そこで、日本の芸能文化を未来に残して行くために鎖国をするというのはどうだろうか。

芸能に才能を持つ子供達の殆ど多くは、今はポップス、ロック、クラシックからダンス、ミュージカルなどの西洋の芸能に進んでしまっている。
西欧の音楽や芸能に偏った現在の教育システムを全て取り止め、子供の時分から全員に日本の古典芸能のみの教育を授ける。

演奏会、放送、新聞報道などは当然伝統芸能に限られることになるが、ここは100年を巻き戻すために我慢して頂こう。

またこの機に、現代日本人がすっかり失ってしまった古来の美しい言葉、挨拶、所作など立ち居振る舞いのあるべき姿を、それらを今に残しておられる伝統芸能界の方々からもう一度徹底的に教えて頂くことも必要だ。

恐らく20年は少なくともかかるであろう「芸能鎖国」の結果、溢れる才能を古典芸能に発揮するたくさんの若人たちが、新しい日本の伝統芸能を創りだしてくれる日が来ることを夢見ている。(月刊「観世」(平成21年10月号)巻頭随筆より加筆転載)


(理事長 藤本)