じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

中村勘三郎 三島村歌舞伎「平家女護島 俊寛」

wowowライブwowowに三つチャンネルがあるうちの一つ)で12/10(土)に放送された、中村勘三郎本格復帰後初のテレビ舞台中継、三島村歌舞伎「平家女護島 俊寛(へいけにょごがしま しゅんかん)」を観ました。公演は今年10月22日の夜。
中村勘三郎 魂の舞台 三島村歌舞伎「平家女護島 俊寛」|ステージ|WOWOWオンライン
「平家女護島 俊寛」は、平安時代俊寛僧都が平家討伐の陰謀を企てた罪で流刑となった最果ての島「鬼界ヶ島」が舞台の物語。硫黄島(三島村の一部)はその「鬼界ヶ島」だという説もあり、俊寛が暮らしたという痕跡も見つかっているようです。硫黄島の自然の浜辺をそのまま使った特設ステージは、物語の中で沖からやってくる船を島の漁師が動かすなど、島民も総動員です。夜の海岸に照明が配され、暗闇の中、砂浜が白く浮かび上がる幻想的なステージ。約800年前の絶海の孤島を再現♪

『平家女護島』は近松門左衛門作の人形浄瑠璃。『平家物語』や能『俊寛』を題材にしたもので享保4年(1719年)の8月12日に大坂竹本座にて初演。その翌年歌舞伎化されています。二段目切の「鬼界ヶ島」が有名でこの段のみが『俊寛』の通称で上演されることも多い…

wowowライブのHPで紹介されているストーリーは以下の通りです。

平家に反旗を翻した罪で、鬼界ヶ島(きかいがしま)に流刑にされた俊寛僧都(しゅんかんそうず/中村勘三郎)、丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね/中村七之助)、平判官康頼(へいはんがんやすより/中村勘之丞)の3人。そこに、都から恩赦を伝える船がやってきた。ところが、赦免船に乗れるのは3人で、成経が島で結婚した海女の千鳥(中村鶴松)は乗れないと分かる。さらに、使者の妹尾太郎兼康(せのおのたろうかねやす/片岡亀蔵)から、都で俊寛の妻が殺されたと聞いた俊寛は、妹尾を切り捨て、自分の代わりに千鳥を船に乗せて都に返す。船が去った後、1人になった俊寛は改めて、孤独に打ちひしがれる。

この演目は、中村勘三郎さん自身の、そして実父である先代勘三郎の当たり役だったそうです。この硫黄島での初公演は、15年前、現勘三郎が当時勘九郎だった時でした。是非再びこの島で勘三郎の名で演じたいという本人の希望で今年3月に公演予定でしたが、体調不良のために延期されていたのがこの度、復帰初公演となりました。長男の勘太郎さんと次男の七之助さんも出演しています。

いつもの閉め切られた劇場の空間と違って、潮風が海を渡り役者の頬に当たって髪がなびいているのを見ると、大気に包まれてこの場で生きているのだという臨場感があります。この臨場感が孤島に残されてひとり生きるという事実をなおのこと浮き彫りにするようでした。
勘三郎さん演じる俊寛は妻が処刑されたのならば都に未練はない、と自ら島に残ることを選択したものの、遠ざかる船を見送るうちに改めて孤独感が心に押し寄せます。船の姿はとうに小さくなっているのでしょうが、「おーい!…おーい!…」といいながら船に手を振り続け、崖の岩に登り、その上の松の木にもよじ上り、泣きそうな顔で手を降り続ける…
そして、とうとう船の姿が見えなくなったのでしょう、最後にはゆっくりと手を下ろした時、悲しさの中にも自分の状況を受け入れたような穏やかな表情をフッと見せました。舞台ではここで終わり。歴史上の俊寛は、その後、食を断ち自害したとも言われています。
テレビでは気がつきませんでしたが、風の影響で本番の船が予定とは少々違う方向に流されてしまったとのこと。最後に勘三郎さんは、「自然と調和する役者になりたい」とおっしゃっていました。

こちらのCDのDisc3の2曲目で「俊寛」がお楽しみいただけます→じゃぽ音っと作品情報:古曲の今(12枚組) VZCG-8362 〜 8373

俊寛」(23'03")作詞:酢屋清兵衛 / 作曲:菅野序遊 浄瑠璃:菅野序恵美 三味線:菅野序枝 [録音] 平成15年8月8日紀尾井小ホール

(J)