奥付に昭和25年10月15日発行と記された古書、町田嘉章著『ラジオ邦樂の鑑賞』という本が面白くて、このところ寝る前に拾い読みをしています。発行所は、「株式會社日本放送出版協會」。町田さんは生涯を通じて下の名前を何度か変えていましたが、これは「嘉章」の時代。
本書は、ラジオで邦楽を放送するに当たって、どういった曲をどういった観点に注意して取り上げればよいのかを提示することを目的として書かれています。とはいえ、著者は邦楽の各種目について基本的な説明からはじめているため、期せずして、邦楽入門書としてもなかなか要を得た読み物となっています。
しかも、昭和25年(1950年)という今から60年以上も前に書かれたにも関わらず、相手が伝統音楽ということもあって、大きな視点で見れば現在でも十分通用する内容(もっとも、邦楽の各種目の愛好家や専門家の目で見れば、ところどころ古いとか、間違っているとか、そういう点もあるのでしょうけれども)。
まずは、目次をご紹介しましょう。「邦楽と花柳界との因果関係」などという一章も。先日、横浜能楽堂の副館長の中村雅之さんと話していた時もこの話題になって、「花柳界を復活させたら邦楽の勢いは確実に盛り返しますよ」との説に、ううむ、たしかにそれは一理あるかも…と思った次第。
この目次でやたらと「●●の将来性とラジオ」という項目が出てくるところがなんとも律儀。『ラジオ邦楽の鑑賞』という当初の目的を外さないという強い意志を感じますが、しかしながら本書の面白さは、邦楽全般の勘所と魅力を説明しようとする丁寧な寄り道・脇道の方にあります。
序 古垣鐵郎
自序
<第一編 本論>
第一章 本書執筆の意義と目的
序説――知識的な音樂の聽き方――ラジオ開設と邦樂放送
第二章 邦樂鑑賞に必要なる知識
邦樂の本質を知ること――邦樂の成立と歷史的變遷――邦樂曲構成の基本的知識
第三章 邦樂作品は作者と鑑賞者との合作
平安朝は貴族藝の時代――町人階級の演藝批判力――明治以後鑑賞階級の變化
第四章 邦樂と花柳界との因果關係
上代の遊女と藝能關係――京・江戸・大阪の遊女街――明治以後の花柳界
第五章 邦樂における作曲の問題
獨創を尊ぶ西洋の作曲――作曲と演奏は一身同體――個性化した長唄の作曲
第六章 放送の扱い方を一部輿論にきく
文化人の嗜好調査――最も人氣ある音樂種目――ラジオ邦樂創成の可能性――邦樂放送に關する希望註文
第七章 專門家愛好曲の輿論調査
長唄と三曲の優劣――長唄專門家の調査回答――三曲專門家の調査回答
第八章 邦樂樂曲ベスト・テン
雅樂曲――能樂曲――琵琶曲――地唄箏曲――山田流箏曲――尺八曲――義太夫曲――長唄曲――常磐津曲――清元曲――古曲――新内曲――歌澤曲――小唄曲――民謠俗曲――新日本音樂曲
<第二編 各論>
第一章 雅樂
雅樂の沿革と變遷――雅樂の家と藝系――樂器の構造と用法――樂曲の形式と構成――雅樂曲の演奏方式――雅樂曲の曲目總覽――雅樂の將來性とラジオ
第二章 能樂と狂言
能樂の沿革と變遷――能樂の構造と形式――樂器の構造と用法――流派とその藝系――能と狂言の現行曲目――能樂の將來性とラジオ
第三章 琵琶を伴奏とする聲曲
薩摩と筑前琵琶の沿革――琵琶界最近の動き――琵琶の構造と用法――薩摩筑前兩流の曲目――琵琶歌の將來性とラジオ
第四章 尺八の音樂
尺八の沿革と變遷――尺八の構造と用法――尺八曲の種類と曲名――尺八の將來とラジオ
第五章 地唄と箏曲
地唄と箏曲の沿革――明治時代以後現代まで――樂曲の構造と形式――樂器の構造と使用法――地唄箏曲の現行曲――地唄箏曲の將來性
第六章 長唄
長唄と囃子の沿革――長唄界現在の動き――長唄の構造と形式――樂器の種類と使用法――長唄の流派と藝系――長唄の現行曲一覽――長唄の將來とラジオ
第七章 義太夫淨瑠璃
淨瑠璃の沿革と義太夫――淨瑠璃臺本の戲曲化――淨瑠璃の構造と形式――技藝の傳承と曲風――明治以後の淨瑠璃界――義太夫淨瑠璃現行曲――人形淨瑠璃の將來とラジオ
第八章 豐後節系統の淨瑠璃
流祖豐後掾の藝風――豐後三流の變遷發達――鶴賀と新内との關係――豐後節各流の動き――脚本と樂曲との關係――四流の音樂的特色――常磐津節現行曲目――富本節の現行曲目――清元節の現行曲目――新内節の現行曲目――豐後節の將來とラジオ
第九章 唄ものに屬する裵派
歌澤節の起りと傳承――小唄の起りと傳承――俚謠の發生と俗化――歌謠としての音樂的特色――端唄と歌澤の曲目――早間の小唄の曲目――俗曲の品目と種類――俗謠とその出生地――端唄俗謠類の放送價値
第十章 古曲と呼ばれるもの
古曲各流の起りと變遷――古曲四流の特長と交流――古曲各流の現存曲目――古曲の將來と變貌
第十一章 新日本音樂
新日本音樂の名の起り――新樂器の種類と構造――樂曲の構成と樂器法――新日本音樂の作品――新日本音樂の過去と將來
<第三編 邦樂曲の系列式解題>
(1)翁 式三番叟物/(2)獅子物/(3)高砂物/(4)竹生島物/(5)江の島物/(6)羽衣物/(7)松風―汐汲物/(8)熊野物/(9)隅田川物/(10)安宅―勸進帳物/(11)江口と時雨西行物/(12)橋辨慶物/(13)舟辮慶物/(14)道成寺物/(15)鄢筭(安達ヶ原)物/(16)土蜘蛛物/(17)葵上物/(18)殺生石物/(19)小督物/(20)小鍛冶物/(21)鶴龜物/(22)山姥物/(23)菊慈童と枕慈童物/(24)釣狐物/(25)靱猿物/(26)末廣狩物/(27)丹前物/(28)草摺物/(29)祝儀物(歳旦物)/(30)追善もの/(31)景色物(描寫曲)/(32)祭禮物/(33)道行物/(34)歌舞伎狂亂もの/(35)動植物の精靈化現/(36)幽魂亡靈もの/(37)變化所作事物
附録一 邦樂用語・術語事典抄
附録二 邦樂藝能略系圖
◎觀世流シテ方系圖/◎寶生流シテ方系圖/◎金春流シテ方系圖/◎金剛流シテ方系圖/◎喜多流シテ方系圖/◎地唄三味線流派略系圃/◎八橋・生田・繼山箏曲流派系圖/◎山田流箏曲家元略系圖/◎琴古流尺八略系圖/◎觥山流尺八竝分派略系圖/◎薩摩琵琶藝系圖/◎筑前琵琶藝系圖/◎杵屋勘五觔・喜三觔・六左衞門家略系圖/◎杵屋六三觔・正次觔・六四觔家略系圖/◎岡安家略系圖/◎杵屋佐吉・和吉・勝派略系圖/◎芳村・吉住家略系圖/◎松永家略系圖/◎義太夫淨瑠璃太夫藝系圖/◎義太夫淨瑠璃三味線藝系圖/◎常磐津・富本・清元三流藝系略圖
附録三 流派別曲目一覽表
このなかの<第三編 邦楽曲の系列式解題>は、読んでいてじつにためになります。だいたい邦楽の曲は種目(ジャンル)を越えて共通の題材に基づいた作品が多いので、その元になった物語や題材・形式について知っているだけで、作品の大枠が了解できてしまいます。邦楽を聴くときに、この大体の見当・目安があるのと無いのとでは結構違ってきます。
ところで、<第一編 本論>の最初のほうに、「第六章 放送の扱い方を一部輿論にきく」というのがあって、それによると、この当時の邦楽愛好家のリスナーがもっとも好きな種目は圧倒的に長唄がトップで二位の清元はその半分以下、ちなみに三位は三曲合奏だったそう。(この本では、浪曲や落語は含まれていないので、それらを入れたら順位は変わってくるかもしれません)
そして、気になるのが「第八章 邦楽楽曲ベスト・テン」ではないでしょうか。これは、各種目に通じている評論家諸氏が、それぞれの代表曲を選んだというもの。ご紹介しましょう。なかでも、長唄をセレクトしている颯田琴次さんのコピー・ワークのセンスには脱帽。
雅樂曲 十種 田邊尚雄
[藭樂]榊、[大歌]久米歌、[催馬樂]更衣、[耦詠]東岸、[左方樂]越天樂・陵王・拔頭(夜多羅拍子)・長慶子、[右方]納曾利・崑崙八仙
能樂曲 十種 三宅 襄
熊野・雲林院・羽衣・松風・井筒・江口・砧・融・蟬丸・三井寺
琵琶曲 十五種 椎橋松亭
[薩摩琵琶]小敦盛・潯陽江・小松の操・鉢の木、[錦心流琵琶]石童丸・舟辨慶・俊寛・山科の別・別れの盃・櫻狩、[筑前琵琶]小督・湖水渡・菅公・扇の的・長柄
地唄箏曲 廿一種 藤田斗南
[三味線組歌]琉球組・京鹿の子、[箏組歌]蕗菜組・三つの調、[段物]みだれ・六段の調、[地唄]雪・出口の柳・鳥邊山・荒鼠・松竹梅、[三曲として]殘月・萩の露・夜々の星・八重衣・八千代獅子、[生田箏曲]秋風の曲・千鳥の曲・楓の花・御國の卷・明治松竹梅
山田流箏曲 十種 藤田鈴朗
櫻狩・熊野・小督の曲・江の島・住吉・那須野・壽くらべ・松風・雨夜の月・觥の春
尺八曲 十種 浦本淅潮
虛空(明暗及古流)・鈴慕(風袋軒)・薩慈(一朝軒阿字觀ともいう)・三谷(明暗・藭保流その他)・瀧落(明暗流)・轉菅掻(明暗・琴古流)・岩清水(觥山流薪本曲)・尺八追分節(伴奏でないもの)
義太夫曲 十種 三宅周太觔
道明寺(菅原傳授手習鑑二段目切)・寺子屋(同四段目切)・大序(假名手本忠臣藏)・判官切腹(同四段目)・須磨の浦(一谷嫩軍記二段目)・陣屋(同四段目切)・尼ヶ崎の段(繪本太功記十段目)・合邦(攝州合邦辻)・河庄(心中天網島)・野崎村(新版歌祭文)
長唄曲 十妙 颯田琴次
越後獅子(旋律の妙)・勸進帳(劇的表現の妙)・吾妻八景(情景描寫の妙)・小鍛冶・秋色種(氣分表現の妙)・鏡獅子(複雜精緻の妙)・元祿花見踊(西洋氣分取入れの妙)・綱館の段(大薩摩表現の妙)・紀文大盡(新機軸の妙)・筑摩川(豪宕なる手法の妙)
常磐津曲 十種 渥美清太郎
雙面月姿繪(江戸歌舞伎の面目躍如)・積戀雪關の扉(曲として優秀)・乘合船惠方萬歳(風俗描寫の巧みな點)・蜘蛛絲梓弦(仙臺淨瑠璃の面白さ)・戾駕色相肩(古風な情調)・市川山姥・花舞臺霞猿曳・忍夜考事寄・三世相錦繍文章・釣女
清元曲 十種 黒田 清
北洲・梅の春・四季三葉草(以上祝儀物)・保名(狂亂物)・お染・落人(道行物)・文屋・喜撰(飛び物)・累・今樣須磨(狂言淨璃瑠)
古曲 十種 英 十三
[河東節]松の内・灸据・舟の内、[一中節]椀久・根曳の門松・賎機帶、[宮薗節]鳥邊山・縁の花房、[荻江節]短夜・松
新内曲 十種 藤根道雄
花咲綱五觔・音羽丹七・尾上伊太八・蘭蝶・明烏・お花半七・膝栗毛・後正夢・花井お梅・子寳三番叟
歌澤曲 十種 土岐善麿
のぼりくだり・秋汐・秋の夜・夕立や・待乳沈んで・我が物・書き送る・淺くとも・忍ぶ戀路・苗賣(芝派)
小唄曲 十種 伊東深水
あの花が・野暮な屋敷・からかさ・からくり・夜櫻・いつしかに・折よくも・初雪・蟲の音・ぶらりつと(由來小唄は他人に聞かせるものでは無く、獨り口吟んで樂しむものなれば、總じて餘り長い歌詞や理窟つぽいものは好まず)
民謠俗曲 十種 中山晋平
追分節・安來節・秋田おばこ節・博多節・八木節・佐渡おけさ節・新庄節・會津盤梯山・伊那節・越中おわら節
新日本音樂曲 十種 金森高山
春の海(宮城道雄作曲尺八箏合奏曲、標題樂的樂曲)・薤露調(同作曲邦樂器のみによる管絃合奏曲)・谷間の水車(同作曲、尺八主奏・箏伴奏曲標題樂的作品)・秋の調(歌謠・第伴奏・尺八助奏同作曲、新らしき形式を驅使して東洋式な哀愁を盛りたる先驅的作品)・せきれい(歌謠・箏伴奏・尺八助奏・新形式による三拍子の歌謠曲)・春陽樂(合唱付邦樂器管絃合奏)・春の惠(久本玄智作曲、尺八と箏との二重奏曲)・愛光(町田嘉章作曲、尺八・三絃・箏の合奏によるソナタ形式風の先驅的作品)・赤壁賦(中能島欣一作曲、歌詞を感覺的によく生かした作品)・幻想の文覺(金森高山作曲、新らしい構成による合唱附管絃合奏)
(堀内)