じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

明倫LPレコード倶楽部@京都芸術センター


京都芸術センターで行われた明倫LPレコード倶楽部の番外編「フリッツ・クライスラーを聴く」を聴講させていただきました→明倫LPレコード倶楽部 「フリッツ・クライスラーを聴く」|イベントアーカイブ|京都芸術センター

京都芸術センターは、平成5(1993)年に閉校になった京都市立明倫小学校の校舎を活かして、京都市における芸術の総合的な振興を目指して平成12(2000)年に開設→理念|京都芸術センター

校舎の中には京都の老舗喫茶、前田珈琲もあって軽食もとれますよ♪→前田珈琲(マエダコーヒー) -京都人に愛され半世紀 「京都老舗喫茶」- 開講時間より早く着いたのでスペシャブレンドの「龍之助」を頂きました。

さて時間になりまして会場へ向かいます。以下は同倶楽部のチラシより抜粋。

元明倫小学校の校舎で行われる明倫レコード倶楽部。
司会・進行を務めるレコード研究家、亀村正章氏のコレクションから貴重なレコード音楽をお届けします。
〜中略〜
いい音を聴いてもらうために音響機器にもこだわっています。蓄音機は、ビクターの「ビクトロラVVV1-90」。スピーカーは、かつて劇場用に使われていた「アルテックA-5」を使っています。どちらも、今となっては貴重な名器です。SPレコードは明治から昭和にかけての音の缶詰、音の文化を残すメディアですから、ここでしか聴けない音を楽しんでもらいたいですね。
古き良き時代の〈音〉を、懐かしい風情の残る京都芸術センターでお楽しみください。-----亀村

亀村正章先生の略歴については、こちらをご参考下さい→明倫LPレコード倶楽部 「フリッツ・クライスラーを聴く」|イベントアーカイブ|京都芸術センター

今回の「フリッツ・クライスラーを聴く」のメニューは、次の通りです。ヴァイオリンはもちろんフリッツ・クライスラー(1875-1962)。ウィーン出身の世界的ヴァイオリニスト、作曲家。(伴奏者の記載は割愛させていただきます)
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バッハ 二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
  第一楽章 ヴィヴァーチェ
  第二楽章 ラールゴ
  第三楽章 アレグロ
  レコード番号:ビクトロラ76028-30

ベートーヴェン ロンディーノ
  レコード番号:ビクターJE-183

ドヴォルザーク ユモレスク
  レコード番号:ビクターRL-41

チャイコフスキー ユモレスク
  レコード番号:ビクター1170

チャイコフスキー アンダンテカンタービレ
  レコード番号:ビクターRL-41

コレッリ 至誠
ビゼー  アルルの女〜間奏曲
  レコード番号:ビクターJS-4

ルドルフ・フリムル インディアン・ラブコール
  レコード番号:ビクターHL-50

ドルドラ 思い出
  レコード番号:ビクター1325

クライスラー 支那の小鼓 op3
  レコード番号:ビクターRL-15

ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
  第一楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ
  第二楽章 ラルゲット
  第三楽章 ロンド・アレグロ
  指揮:レオ・ブレッヒ
  演奏:ベルリン国立歌劇場管弦楽団
  レコード番号:ビクターVD 8290-92
                8077-79  
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先生のお話によると、SPレコードの音質が一番よかったのは昭和12(1937)年〜14年。太平洋戦争が始まると質が悪くなり、戦後になって質が改善された頃にはポピュラー・ミュージックのレコードが多くなったのだそう。この時代はマイクがなかったので、集音器の近くに演奏者が集合して、全く電気を使用せずに録音したとのこと。

現在の録音は高度の技術によりヴァイオリンの弦に指が触れる衣擦れの音やピアノの鍵盤に指が当たる小さな音まで録音されていますが、SP盤はそういった余分な音がうまい具合にマスキングされて演奏だけが録音されていたのだそうです。

今回先生が持ってきて下さったレコードのうち、ドルドラの「思い出」は、日本で発売した当時のビクター赤盤。先生が若い頃は、お父様のコレクションを聴いていらっしゃったそうですが、「黒盤は聴いてもいいが、赤盤は触ってはならん」と言われていたくらい貴重なものだったそうです。
ウィキペディアクライスラーのこんなエピソードが記載されていました。

クライスラーはただ一度、1923(大正12)年5月に来日している。日本では以前よりビクターレコードの赤盤によって人気が沸騰しており、クライスラーより少し前に来日していたウィリー・ブルメスター(格式ではクライスラーより劣ることはなかった)の公演が、知名度の低さもあいまって霞んでしまうほどであった(ブルメスターは自嘲気味に、「次に来日するのは、自分も赤盤に吹き込んで人気が取れてからだ」と言ったそうである)。

上記の来日の際には京都にも訪れて園遊会に出席されたそうです。

また、このエピソードも昭和10年頃に日本のマスコミでも話題になったことをお話下さいました。(以下はwikiより)

クライスラーは演奏旅行先にある歴史ある図書館などで埋もれていた作品を発掘し、それを演奏会にかけることを楽しみにしていた。その埋もれた作品をそのまま演奏するのみならず、作品の旋律のごく一部を自作に取り入れ、その自作をしばしば「過去の(忘れられた)作曲家の作品を『再発見』した」と称して演奏・出版した。ある時、その演奏を聴いた評論家が「作品はすばらしいが、演奏は大したことがない」と斬って捨てた。それを聞いたクライスラーは激怒し(クライスラーは、評論家の批判に対しては滅多に怒らなかったようであるが、この時は逆鱗に触れる部分があったらしい)、抗議の手紙を評論家に送った。
1935年頃、その手紙を入手した『ニューヨーク・タイムズ』の音楽担当記者が、「編曲」と銘打っているのに原曲が世に出てこないことを疑問に思い、当時ウィーンに戻っていたクライスラーにそのことを尋ねて証拠品の提出を求めた。すると、クライスラーはあっさりと「○×作曲・クライスラー編曲」とある曲はほぼ自作であることを認めたばかりでなく、どの曲のどの部分をどう・どれだけ引用し、どの部分が自分の作曲であるか事細かく答えた。そして、事に及んだ理由として「自作ばかりじゃ聴衆が飽きるし、また自分の名前が冠せられた作品だと他のヴァイオリニストが演奏しにくいだろう?だから、他人の名前を借りたのさ」と答えた。

SPレコードを次々と何枚も聴いているうちに、ブツ!シュー…ブチブチブチ…、という特有の音は、いつの間にか聞こえなくなっていました。いえ、冷静に聴き直すとその音は確かに入っているのですが、クライスラーの演奏する音色に引き込まれて、脳内で自ら音を消してしまうようです。。。

旧明倫小学校の校舎であった同センターの建物を出て、おもてで、二宮金次郎の像に気づきました。そして道路から同センター内を写した写真。

伝説の歌声9 オーストリア歌曲集2 14曲目の「オールド・リフレイン」はクライスラー作曲です→じゃぽ音っと作品情報:ノイズレスSPアーカイヴズ 伝説の歌声 9 オーストリア 歌曲集 2 /  (VARIOUS)

(J)