じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

縄文聖地巡礼とお水取り


昨日のブログでご紹介したこのCDも、まずは「縄文の音」から始まるわけですが→じゃぽ音っと作品情報:日本音楽まるかじり(2枚組) /  オムニバス、今日は『縄文聖地巡礼という本をご紹介しましょう。坂本龍一氏、そして、こちらのブログにあります本の著者、中沢新一氏との対談形式となっています→アースダイバー - じゃぽブログ
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冒頭に「縄文とは何か」という中沢さんの文章が置かれています。それによると、明治時代に縄文土器が発掘されたあと、縄文という言葉はより広い意味を持つようになり、日本列島に国家が誕生する以前に、この列島に住んでいた人々の文化を総称して「縄文文化」と呼ぶようになったとのことです。

縄文文化のような文化は、この日本列島以外のところには見当たりません。日本列島に住んでいた、国家が生まれる前の人々の生活や自然観、心のあり方全体を含めて「縄文」と呼ぶとき、厳密に考古学的な意味とは別に、ひじょうに多様な意味を包摂する言葉になっています。 〜中略〜 この現代を突き抜けていくために、どういう想像力や思考が必要なんだろうか。それが、この旅をとおして、坂本さんとぼくの共通のテーマでした。国家の先を考えるには、国家が生まれる前の状態の人間のものの考え方や感受性が、どういうものであったかを知る必要がある。そうして「縄文」へと引き寄せられていきました。

「縄文」の対義としてここで書かれている現代資本主義の「国家」とは、「ものとものが等価交換できる」という考え方にもとづく経済のシステムが連動しています。国家が生まれる以前、つまり、現代日本人の先住民とも言える縄文人の社会では贈与により経済が動いていく世界が形成されていたそうです。そのあたりのことは中沢氏の『日本の大転換』にも書かれていました。3月3日にセミナーがあるようです(残念ながら既に定員)→http://www.cataloghouse.co.jp/study/schedule/T20120303001/
資本主義経済=生産・増殖し続け、廃棄物が溜まる。そして、電気もそうですが・・・限りある資源。そこで、行き詰まる現代の世界を打破するためにも、本書ではお二人が循環的な世界である縄文を見直す旅をしています。
縄文人の循環思想の一つでもある「死と再生」については、昨年9月にこちらの中で→土偶への祈り そして ヴァルキューレ - じゃぽブログ縄文人の再生のための死の儀式について書かせて頂きました。土取利行さんのCDもご紹介しています→じゃぽ音っと作品情報:縄文鼓——大地の響震[SHM-CD] /  土取利行(全曲ではないですがこのページで試聴も可能)

『縄文聖地巡礼』の86ページから、東大寺「お水取り」を坂本氏が見に訪れたときのことも書いてありますが、縄文をめぐる旅と「縄文↔国家」については、また次の機会に。。。本書は2010年に発行されたものですが、今まさに問題になっている原発のことについても触れられています。

「お水取り」は来月、3月12日の深夜に行われます。昨年は当財団の事務局・堀内がその様子をこのブログでレポートしております→お水取りと大野松雄さん - じゃぽブログ
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