じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

目黒からの散歩で出会った・・・

先週末のこと、目黒の自然教育園を散策しました。

正式名称は国立科学博物館附属自然教育園、都心にありながら豊かな自然が味わえるところです。目黒駅から歩いて約10分ですが、広大な森で、時おり聞こえてくる高速を走る車の音がなければ、どこかの山道を散歩しているような気分です。
初夏の花も咲いていましたが、なにより美しい若葉のもと、しばし日常を忘れてリフレッシュしてきました。池にはカルガモやカメが。アメンボを見たのはずいぶん久しぶりでした。自然教育園というだけあって、植物の名前がいたるところに表示されていて助かります。

キショウブ

フタリシズカ

ノイバラ
ここは室町時代は豪族の館だったそうで、その土塁の跡が見られます。江戸時代は高松藩主の下屋敷で、その頃に植えられたらしい松の巨木もありました。そして明治時代は海軍の火薬庫、大正時代に白金御料地となり、広い土地のまま長く一般の人が入れなかったため、豊かな自然が残されたようです。
自然教育園を出て、恵比寿のガーデンプレイスのほうに歩いて行く途中、「吉田翁碑」という立派な石碑がありました。この一帯の長者丸住宅街を開発した呉服商吉田彌一郎を顕彰するものとのこと。説明のプレートを見ていたら、「日本の伝統音楽」の文字が目に飛び込んできました。

彌一郎の跡を継いだ吉田幸三郎(1868〜1980)は、日本の伝統音楽や日本美術の後援者だったとあり、その功績を「邦楽百科事典」から引用した銅柱が傍らに建っています。帰ってから「邦楽百科事典」を見ると、次のような記述がありました(プレートには邦楽の友社とありますが、正しくは音楽之友社刊)。

演劇・美術・音楽の分野にわたり、私財を投じ、もっぱら陰の力として莫大な資金援助と国への働きかけによって、近代の伝統の危機を救うことにつとめた。音楽の分野では、大正末の春峰庵事件を契機に、笹川臨風の創設した〈古曲鑑賞会〉をうけ継ぎ、一中節、河東節、富本節、荻江節、宮薗節などの保存と育成に尽力し、衰亡を防いだ。また第二次大戦後、能の囃子方の危機を救うべく、〈囃子方養成所〉を幸祥光、川崎九淵とともに設立し、染井能楽堂で保存と育成に当った。文楽の保存育成にも尽力し、豊竹古靱大夫の豊竹山城少掾を受領したときには、幸三郎の強い働きかけがあったといわれる。

伝統音楽を支えたすごい方がいたのですね。この人がいなければ、もしかしたら消えてしまった曲があったかもしれません。自然を満喫した散歩の跡で、思わぬ出会いがありました。

(Y)