最近は新聞を取る人も少なくなっているということですが、私はかろうじて新聞を購読しております。数週間前だったでしょうか、東京新聞に邦楽楽器の危機について取り上げられていたのを思い出しました。邦楽演奏者も少なくなっていて危機に瀕しているけど、邦楽楽器職人の方も少なくなっていてこれも危機的。邦楽楽器に使われる材料も手に入れるのが年々困難に・・・、という心が痛む内容だったと思います。
さて、一般に入手が難しい地域誌なのですが、「くらしと住まいの情報誌 萌木だより」の2013年VOL.5で広尾の三味線屋さんの記事が載っておりました。こちらにいらっしゃる職人さんは木の状態から完成までをおひとりで担う方。材料から作っている職人さんは関東で数人、ということですから貴重な存在です。「あと15年も経てば最初から作る人どころか、修理する人もいなくなるんじゃないかしら。最初から作れなければ修理も出来ないからね」とは、ご本人の言葉です。
三味線は、糸以外は国内で材料をまかなえない楽器。三味線はその材料の多くがラムサール条約やワシントン条約で輸出入制限を受けているという、難儀な状況に置かれています。文化として残していくべきなんて言っても、作り手の現場からしてみれば、「原材料入手は先行き不安だし、奏者人口もどんどん少なくなるし、商売として成り立たなければ続けていけない」というのが本音でしょう。飯を食べていく、というのはたやすいことではありません。
戦後生まれの世代の女性に伺ったことがあります。その方の母親は日常の中でお三味線やお箏を弾いていたのだけど、彼女や彼女の兄弟にはピアノやバイオリンを幼いころから習わせた、と言っていました。今も、女の子の習い事のナンバーワンはピアノかバレエか、というところでしょう。ピアノもバレエも素敵なのですが、邦楽器はずいぶんなりをひそめていますね・・・。戦後、西洋へのバイアスがかかり過ぎたのでしょう・・・。自然なかたちで、日本のものを愛するきもちが、戻ってくることを願っています。
今回の話題に関連した内容がこちらのブログ『和楽器ご紹介(5)「地歌三味線」』にございます。ぜひお読みください!地歌三味線が楽器として愛情込めて紹介されているほか、メンテをしてくださる楽器屋さんとの間でも「楽器屋○○さんの後を継がれる方は、いらっしゃるのですか?」「ん〜、いないね。わたしの代で、終わりかなぁ〜」なんていう会話が交わされています。
(弘)