じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

武満徹『エクリプス』(琵琶、尺八)

前に本ブログで「武満徹と琵琶」という記事を書いたとき、名作『ノヴェンバー・ステップス』(1967)の誕生の契機となった作品として琵琶と尺八のための『蝕(エクリプス)』(1966)の名前を出しましたが、この曲もちょうど今頃秋の季節にぴったりの音楽だと思います。

『エクリプス』は、武満徹さんと一柳慧さんの企画・構成による現代音楽祭「オーケストラル・スペース」第1回(1966)に際して作曲された作品です。曲はまず五線譜で確定的に記譜された「合奏の譜」で始まり、やがて図形楽譜のパートへと移行します。図形楽譜は、両奏者に「白の譜」が各2枚と黒地白抜きで印刷された「黒の譜」各1枚、つまり各奏者3枚ずつの計6枚からなります。サラベール社の出版譜をみると、琵琶の「白の譜」2枚にタゴール詩篇の断片(詩集『ギーターンジャリ』からの抜粋)が三箇所に日本語でタイプ印字されています。

この作品で使われている図形記譜法は、次作『ノヴェンバー・ステップス』の図形記譜法と共通したもので、たとえば尺八には28項目の約束があって、その上で奏者の自由性に委ねられており、実質的には即興の余地のない厳密なものとなっています。題名に因んで、両奏者は、白の譜と黒の譜を互いに対にして演奏します。(一方が白を演奏するときは他方が黒を演奏するという具合)

ところで、サラベール社の出版譜をみると6枚の図形楽譜だけしかなく、どうしたわけか肝心な五線譜による「合奏の譜」および演奏のためのインストラクション(指示書)が付されていません。以前、東京オペラシティで展覧会「武満徹 Visions in Time」をやったときに、藤原道山さんと薩摩琵琶奏者の友吉鶴心さんが『エクリプス』を演奏したのを聴きましたが 、そのときの譜面はどうなっていたのか。同時代の作品といっても誰かがきちんと伝え残しておかないと、あっと言う間に歴史の彼方へ飲み込まれてしまうことから逃れるのは難しい。

ちなみに、藤原道山さんと友吉鶴心さんは、2006年9月サントリーホール20周年記念フェスティバル・オープニングコンサートで、新日本フィルハーモニー交響楽団クリスティアン・アルミンク指揮)と『ノヴェンバー・ステップス』を演奏されています。

さて、話を『エクリプス』に戻しますが、後年作曲者の武満さんは次のように記しています。

「《エクリプス》は、その書法において、当時私が抱えていた多くの矛盾を反映している。確定的な書法と、偶然性による記譜の混在。タゴールの詩句を奏者が黙読することで決定される時間(これは、後に、過度な文学的解釈を虞(おそ)れ、破棄された)。ジョン・ケージの不確定的な作曲法の影響が濃いが、私としては、精一杯、自分の気持ちを表しえた作品だと思う。」(「芸術家の愛と冒険VII 民俗と都市芸能」プログラム 1993年)

この曲をもっと知りたいがためにタゴールの詩集を熟読したのも懐かしい思い出ですが、なんと作曲者自身によって「詩句の黙読」が破棄されていたとは。しかし、破棄したくなる作曲者の気持ちもよく分かります。音楽は、まず何よりも、言葉の意味を越えた世界に到達すべきであるがゆえに。

武満徹作曲『蝕(エクリプス)』は、当財団から完全復刻した現代邦楽の金字塔作品『復刻・響――和楽器による現代日本の音楽』で聴くことができます。 演奏は横山勝也さん(尺八)と鶴田錦史さん(琵琶)。このお二人は、何種類か『エクリプス』の録音を残されていますが、聴き比べるとテンポや間合い、音の表情が(五線譜で確定的に記譜された「合奏の譜」の演奏においても)全部違います。その一瞬ごとに音をどう活かすかに賭けていることが伝わってきます。

(堀内)