じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

テノール歌手 木下 保先生(7)

本日は、しはらくお休みしていた、シリーズ「テノール歌手 木下保先生」です。本日は第7回目です。

神坐しき、蒼空と共に高く、
み身坐しき、皇祖。
遙かなり我が中空、
窮み無し皇産霊、
いざ仰げ世のことごと、
天なるや崇きみ生を。

この詩は、北原白秋(1885〜1942年)が作詩した『海道東征』の第一章「高千穂」の最初の部分です。この詩は「皇紀二千六百年奉祝芸能祭」における作品として、白秋が亡くなる2年前に作詩したものです。
「まづ作詩については、北原氏が眼疾重く殆んど読み書きの出来ぬ状態の中で、古事記日本書紀等の参考書類を夫人令嬢に読ませ、更にその作を口述するという涙ぐましい努力によって生まれたもので・・」(『会館芸術』1941年4月号 増澤健美)とあるように、詩全体はとても迫力があります。
『海道東征』の作曲は、信時潔(のぶとききよし)です。「(前略)「海道東征」作曲の御委嘱を受け、度々御辞退致しましたが遂に御引受けすることになり、同年11月初めて歌詞をいたゞき一見北原先生の詩の見事さに力を得て曲の大骨の見当がつきましたので、演奏上の色々な都合をも見はからひ、全曲一時間を目標に仕事を進めました。(後略)」(『音楽倶楽部』1941年3月号 信時潔
とあるように、信時潔も、北原白秋の詩の力に心動かされたようです。詳しくはこちら ↓ に信時裕子氏による詳しい解説が載っています。

神武天皇が初代天皇として即位した年を紀元とする皇紀という紀年法で、1940年は皇紀二千六百年にあたり、洋楽(交響曲、交声曲)、箏曲(新日本音楽)、長唄、舞踊、歌舞伎とさまざまな奉祝記念行事が行われたそうです。
と、・・・なかなか木下先生が登場しないですね。
実は「木下保の藝術」CDを制作中に、木下保氏の三女である増山様のお宅(木下記念スタジオ)にお伺いし、いろいろな資料を拝見しているとき、この行事の本がある、ということで見せていただきました。本はアルバムのようになっていて、めくってみると最初のほうに、弊財団に馴染みの深い生田流箏曲の宮城道雄先生のアップが・・・!『祝典箏協奏曲』の演奏風景で、この曲もこの行事の一つだったのですね。歴史と音楽が繋がるような気がしました。
『祝典箏協奏曲』はこちら ↓ CD16枚組です。

『海道東征』と『祝典箏協奏曲』は、同じ日の1940年11月26日に、日比谷公会堂における演奏会で、初演されました。(海道東征は11月21日抜粋初演後の全曲初演。)
なかなか本題に入れず、また終わってしまうのでしょうか・・。すみせん。次回こそ、この『海道東征』演奏を指揮した木下先生です。

(制作担当:うなぎ)