じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

鈴木輝昭vs谷川俊太郎 対談

合唱専門誌「ハーモニー」No.157 夏号が届きました。特集は「大震災を乗り越えて合唱に何ができるか」。原発事故と直面している福島をはじめ、大震災で被災した東北地方は、合唱が非常に盛んなだけでなく、常に音楽的にレベルの高い作品に挑戦し、その丹念で粘り強いアプローチによって多くの感動的な名演を残してきた土地柄です。日本の合唱音楽は、いわゆるアマチュアによって支えられています。個々の生活の基盤に打撃を受け、練習場の確保もままならない状況のなかで、被災地の合唱関係者は何を思い、どのような行動を起こしているのか──。今井邦夫さん(全日本合唱連盟東北支部長)、早川幹雄さん(合唱団Epice指揮者・宮城)、村松玲子さん(岩手県立不来方高等学校音楽部顧問)といった皆さんの被災地からの声。一方、出演者は全員ノーギャラ、チケットは0円で入場時にお客様から一万円以上の義援金を頂き一晩で3,560万円を集めた三枝成彰さんが尽力して実現したチャリティ公演全音楽界による音楽会 東北関東大震災チャリティ・コンサート」)のこと、また作曲家・新実徳英さんが福島出身の詩人・和合亮一さんの被災後に書いた詩に作曲した「つぶてソング」を自分で歌ってYoutubeに投稿を続けていることなど()、今号の特集を通じて、合唱に関わる人々がそれぞれの場所で音楽の意味と役割を問い直し、さまざまな行動を起こしていることが分かります。全日本合唱連盟による「被災地の合唱活動復興のための義援金も始まっています()。

しかし今号でわたしが最も惹かれた記事は、作曲家・鈴木輝昭さんと詩人・谷川俊太郎さんとの対談「詩と音楽」でした。お二人のお話は一言一言が多くの示唆に富んでおり、話の内容を言い換えたりまとめたりすること自体が、多様な触発と連想の機会を簒奪するように思われて、なんとも気が引けます。それでもあえて対談の内容の一部をご紹介すると、創作に他者という観点が必要という話、理知的な操作は必須だがそれ以前のアイディアが大事である点、意味よりも無意味のほうが奥深いという話、そして最後に、大震災の被災者に対してあえて「沈黙する」という態度も許されるのではないかという谷川さんの問いかけ。・・・これ以上は是非本誌を手にとってお読みください。

鈴木輝昭さんの作品を収録した当財団の最新CDは今年3月2日にリリースした『日本合唱曲全集 頌歌/鈴木輝昭作品集 4』です。そして本作に参加した4つの学校の合唱団の内、2校が福島県内の学校でした。

福島県会津高等学校合唱団(山ノ内幸江先生)、そして福島県立喜多方高等学校音楽部(佐藤朋子先生)。完成したCDをお届けして、御礼のご連絡をいただいたりして間もない時期、東日本大震災の発生・・・。今このCDを聴くたびに、録音に参加した福島の方々との輪のつながりを願いつつ音を追わずにはいられないのです。本来、録音時に思い描かれた遙かな音世界をこそ、聴きとらねばならないはずなのに。

このCDには、他に、千葉県立幕張総合高等学校合唱団(山宮篤子先生)と斐川町立斐川西中学校合唱部(浜崎香子先生)の演奏も収録されています。このCDでは、曲ごとに作曲者自身が納得した演奏を実現した学校の歌唱で収録されており、中学から高校にかけての青少年の世代だけが可能な独自の表現の領域、研ぎ澄まされた感性のきらめきを限界まで追究して彫琢される鈴木輝昭さんの合唱音楽芸術の、まさしく精華が刻まれたアルバムと言ってよいと思います。何度聴いても、作品・演奏のクオリティの高さに圧倒されるばかりで、ここまで来ると「何がどうした」とか「かくかくしかじか」等の説明・解釈はまったく不要ともいえます。しかしそこに到達するまでに、どれほど凄絶なプロセスが必要とされるのかを思うと言葉を失います。

作曲の過程、演奏の過程。いずれにおいても磨き抜かれた問いと思いが蒸溜し定着する時間がそこには確実にあって、その次には生きた音楽となるために、意味から飛翔し自在に振る舞うことが目指されなければならない。こう書いていてなんとももどかしいのですが、しかし、このCDを聴けば、そうした殆ど不可能にも近い音楽が見事に実現されていることがお分かりいただけるかと思います。現代日本にこうした音楽が存在していることを知らない方もまだ多いと思います。聴けば、必ずショックを受けるはず。たとえば、あの「ガンダム」の生みの親の富野由悠季監督も鈴木輝昭作品を聴いて驚き、雑誌の対談のゲストに招いたほど。→「ついにガンダムエース入手!」

とはいえ残念なことに、少年(少女)合唱の世界は、独立した芸術音楽の領域としていまだ充分に認められているとは言えず、それはNコンの課題曲がポップス歌手の作品であることを見ても分かります。でも、たしかあれは二年前、Nコンのファイナル時に、来年の課題曲が、「詩は谷川俊太郎さん、曲は鈴木輝昭さん」とアナウンスで紹介されたときNHKホール内に沸き起こった学生たちの熱い拍手、悲鳴のような喜びの歓声は何だったのか。彼らだって自分たちの限界に挑戦したいはず。ただ難解なだけの作品なら、鈴木輝昭作品がこうまで広く歌われていることは説明できません。平易な課題曲を与えようとする大人の側の変な平等意識(全国どの中学・高校でも歌えるように)が、その善意の圧力で、少年少女たちが傷つき失敗し、悩み、反発する力を奪い取り、上から押さえつけ歪めているように見えるのはわたしの気のせいでしょうか・・・


この鈴木輝昭さんと谷川俊太郎さんとの対談が行われたのは、第21回コーラスワークショップinしまね()内、2011年5月3日、松江プラハホールでのこと。その数日前、わたしは東京文化会館小ホールの「第5回ポワン・ドゥ・ヴュ(Point de Vue」で、鈴木輝昭さんの新作初演、無伴奏チェロ組曲 第1番」(独奏・鈴木皓矢)を聴いたことが忘れられません。「第1番」と銘打っているので、今後連作として構想されているのでしょう。

この日、7名の作曲家のそれぞれに趣のある多様な作品を聴きましたが、音楽それ自体が自立/自律した世界を湛えている点で、鈴木作品は極めて禁欲的かつ垂直な祈りの力に溢れて別格の佇まいを感じさせました。ご子息のチェロの演奏も修道士の作法を思わせ、高い精神性の持続を実現していました。終演後、さっそくロビーで販売されていた本作品のスコアを購入。わたしにはソルフェージュの力も碌にないのですが、この譜面を通じて、作品を支える論理をおぼろげにでも感じ取りたいと思うほど、胸に迫る音楽でした。

鈴木輝昭さんの合唱作品に魅了されている多くの方に、ぜひ鈴木輝昭さんの器楽作品・現代音楽作品の世界にも触れてほしいと願っています。

(堀内)