じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

肥後の琵琶弾き 山鹿良之 その2

本日は、先週ご紹介した肥後琵琶奏者 山鹿良之師の続きです。琵琶語りひと筋に生き、最後の芸人と呼ばれた山鹿良之師。とにかくすごかったのは、外題(演目)を、200段以上も暗記していたそうです。だいたい1段で、30分以上あるそうですので、その伝承量は全貌を把握しがたいほどだと、先日ご紹介した木村理郎さんは、おっしゃっていましたが・・。とうとう記録が残せないものもあったと、残念がっておられました。

その山鹿さんのすごさに、早くから注目されていたのが、ヒュー・デフェランティさんです。本CDの企画も、ヒューさんの山鹿さんへの思いによってはじまったもので、すでに1992年に発売された『邦楽ジャーナル(12月号)』では、「最後の琵琶法師 山鹿良之(聖なる芸人/補説・肥後琵琶入門/他)」で山鹿さんが特集されたときに、ヒューさんのお名前がありました。
ヒュー・デフェランティさんは、オーストラリアご出身で、日本音楽文化の研究をされています。昨年の11月の東洋音楽学会第61回大会では、田邉尚雄賞を受賞されました。受賞対象の書籍が、 "The Last Biwa Singer : A Blind Musician in History, Imagination and Performance" で、山鹿さんを研究された本でした。
ヒューさんのお話を少しご紹介します。
「山鹿良之さんの演奏を記録する必要性を痛感したのは、1990年代はじめである。当時私は、熊本県とその近隣を稼ぎ場としていた盲目の琵琶弾きである山鹿さんたちの音楽と生活を記録するためのフィールドワークを行っていた。ことに芸能者である山鹿さんについては、私が調査に入る20年以前から、すでにラジオやテレビなどのメディアで紹介されていたし、研究報告書や論文は多数あった。しかし、山鹿さんの何百時間にも及ぶ語りのレパートリーの音源のほとんどがメディア化されていないことに気づいて、驚くと同時に、いつしか私がその実現に関わるようになっていく。」

ここから山鹿さんCD制作は、はじまりました。まずは木村理郎さんが聞き取りしていた大量の録音テープから、文字起こしが行われたそうです。次回続きます。(→ その3

「ワタマシ(渡御)」の様子 1993年
(写真:ヒュー・デフェランティ氏、木村理郎氏所蔵)

(制作担当:うなぎ)