じゃぽブログ

公益財団法人日本伝統文化振興財団のスタッフが綴る、旬な話題、出来事、気になるあれこれ。

私の初夢をご紹介しましょう

「ウィーンわが夢の街(Wien, du Stadt meiner Träume)」は、ウィーンの作曲家R.ジーチンスキー(1879〜1952)〔右写真〕が残した名曲で、エリザベート・シュワルツコプフ、エーリヒ・クンツ、リヒャルト・タウバーなど多くの名歌手に加え、あの3大テノール、日本のクラシック歌手による演奏もインターネット検索で聴くことが出来ます。
この曲はまた、1999年に映画「アイズ・ワイド・シャット」の中にも使用されたことでも知られています。トム・クルーズニコール・キッドマンの夫婦(当時)共演、試写後急死したスタンリー・キューブリック監督の遺作となったこの作品は、世界的なヒット作となりました。
ジーチンスキーの処女作で、おそらくこの作品1曲のみが今も歌い継がれている「ウィーンわが夢の街」。この曲が書かれたころ、世界中にSPレコードが普及し始めていました。


さて「夢の街」といえば、今日は正月2日。一富士、二鷹、三茄子、本年を占う?皆様の初夢はいかがでしたか?

今日は、私の初夢をご紹介しましょう。ただこの夢は、もう何年間も見続けている夢。まじめに「それはいけません!」と問い詰められたこともありました。能の月刊誌「観世」に平成9年に掲載の拙文をご一読下さいませ。


鎖国のススメ」
本年NHK放送文化賞を受賞された中世・ルネサンス音楽研究家の皆川達夫先生は、少年時代から謡曲や仕舞をたしなみとして習われていた。中学一年生の頃初めて観た能「巴」に感動し、旧制高校では能楽研究会を作るほど能狂言に傾倒、初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、桜間弓川といった昭和初期の名人の舞台に触れられたことは「今も心に生きている大きな財産である」と述べられている。
皆川先生の数ある業績の中にオラショ研究がある。オラショとは江戸時代に200年以上続いた鎖国期の厳しい弾圧の中、隠れキリシタンとして命をかけて口伝えだけで受け継がれてきたラテン語聖歌や典礼文で、その実際の音の記録を「CD&DVD版 洋楽渡来考」(平成18年弊財団刊)でお聴き頂くことが出来る。西欧文化流入を頑として拒む鎖国は様々に弊害を生じたが、反面、日本独自の文化が大いに花開いた遠因とも考えられ、この時期に生まれ、発展した日本文化は少なくない。
大政奉還と開国を経て、明治12年文部省内に音楽取調掛が設けられて以来今日までの100年余りに渡って、日本は世界で類例のない自国の文化、特に音楽・芸能文化をないがしろにする国となった。今、最も重要なことは、伝統芸能の真価を理解する聴衆を増やすことだが、実際のところ教える人と習う人はいても、かつての大名人のように真髄を聴かせ、またそれを聴いて楽しみたい人々は著しく減少している。
「洋楽偏重100年」の結果は火を見るより明らかだ。このままでは日本古来の芸能は博物館の遺物のように、護られながら形だけ残ることになる。
そこで考えた。日本の古典音楽を未来に残して行くために「音楽の鎖国」をするというのはどうだろうか。音楽に才能を持つ日本の子供達ほとんど全ては、ポップス、ロック、クラシックからダンス、ミュージカルなどの西洋音楽に進んでしまっている。西欧の音楽や芸能に偏った現在の教育システムを全て取り止め、子供の時分から全員に日本の古典芸能のみの教育を授ける。演奏会、放送、新聞報道などは当然伝統芸能に限られることになるが、ここは100年を巻き戻すために我慢して頂こう。そしてこれを機に、現代日本人がすっかり失ってしまった日本古来の美しい言葉、挨拶、所作など立ち居振る舞いのあるべき姿のすべてを、今日までしっかり継承されておられる伝統芸能界の方々によってもう一度徹底的に教えて頂くことも必要だ。
恐らく20〜30年はかかるであろう「音楽の鎖国」の結果、溢れる音楽の才能を古典芸能に発揮するたくさんの若人たちが、新しい日本の伝統芸能を創りだしてくれる日が来ることを夢想している。

(理事長 藤本)